昭和の電車 改訂版(101)ー近鉄6201系ー 投稿日時: 2020年8月23日 投稿者: 米手作市 前回投稿時には、どなたからも反応がありませんでした。 我々の時代には、残っていなかったのでしょうか? だれか知りませんか? 関連記事: 昭和の電車 改訂版(123)ー大阪市営地下鉄60系ー 昭和の電車 改訂版(112)ー京阪500型ー 昭和の電車 改訂版(67)ー熊本電鉄モハ55型ー 昭和の電車 改訂版(65)ー山陽電鉄700型ー 昭和の電車 改訂版(40)ー阪神ジェットシルバー5201系ー 昭和の電車 改訂版(13)ー阪堺電車デト11号ー 昭和の電車 改訂版(4)阪急電鉄1301 昭和の電車 一畑電鉄デハ20型
前回、今回とも、どなたもコメントされていないとのことで、タイミングも遅くなりましたが書いてみます。 今回は関先生の記事にもあるとおり、画のような編成は実現しなかったようです。そもそもM2両、T6両というのはコンビを組む前提ではなさそうですし、側窓2枚ごとに飾り窓があるのは共通ですが、乗務員扉の有無や扉位置の微妙な差もありますので、たまたま製造時期が近接したため同系のデザインとなったものの、用途は関先生の述べられたとおり、ローカル用と優等列車用に分けられていたのでしょう。ただ伊勢電のクハの運用がそのように確立するのは、ロマンスカーのモハニ231型(近鉄モニ6231型)が12両揃ってからとも考えられ、(クハ6両のうち前半3両は当初HL制御で登場し、本稿のモハニよりも小型で小出力の在来車と連結することを想定していたものの、ほどなく改造された記録あり。)それまでの間、飾り窓付き車のMTM3連はなくとも、MT編成はあり得たかもしれませんね。 残念ながらM車は私が生まれる前に更新で飾り窓が消えたらしく、 (「関西の鉄道」No.23に、乙訓長老様の撮影された、6301系急行5連の中間にT代用で挟まれたモニ6201型の写真がありますが、これも飾り窓撤去後です。)一方T車の飾り窓はその後数年間残ったものの、幼少の頃は名古屋線のことなどまったく知りませんでしたので、私もこれらの車の飾り窓は写真でしか見ておりません。 名古屋線改軌後もモニ6201型は狭軌のまま養老線に残り、数年後に伊賀線に移って結果的にはクより長命でしたので、伊賀線で出会われた方は多いと思います。 添付写真は1972(昭和47)年11月12日、伊賀線茅町~桑町間にて。 左がモニ6201、右は元信貴山急行のもモ5251です。 返信 ↓
まほろばの鉄趣味住人様 コメントをありがとうございます。貴兄と宮崎繁幹様の援護射撃が当欄の『救いの神』です。 写真を拝見して、意外に小型やな、という感想です。関先生のイラストから持っていたイメージは18mぐらいある大きな車体でした。 やっぱり写真と見比べなければいけないと思いました。 これからも近鉄が出てきます。よろしくお願い致します。 返信 ↓
近鉄HPに「近鉄資料館」というのがあって、その中に「鉄路の名優」というところに「モニ6201形」があり、最後は伊賀線で昭和52年に全車廃車とありました。ひょっとしたら伊賀線に行った時に写した写真にあるかもしれないと見たのですが、それらしき写真は逆光でシルエットだったのではっきりわかりませんでした。まほろばの鉄趣味住人さんの写真を見て、「モニ6201形」の晩年だと思うにですがちょっと自信がありません。この時も「元信貴山電鉄デ5形」とコンビでした。撮影したのは1973年10月です。 返信 ↓
間違いなく私の撮った写真と同じ、伊勢電と信貴急のコンビ編成です。私の撮った写真ではモニ6201型の半身がバックの木々と重なり、車体長の差は判り難いですが、どですかでん様の写真はシルエットなので、両車の長さの違いがよく判りますね。 ところでこのコンビですが、モ5251型はHL制御、モニ6201型は電空カム軸式PC制御で、本来なら連結運転できないはずですが、「鉄道ファン」誌バックナンバーのどこかに、 「モ5251型がモニ6201型に連結される場合、モ5251型はトレーラー扱い」との記事を見かけた記憶があります。あるいはかつての琴電のように、モニ側も自動進段せず、HL車のモ5251型に合わせる形で、HL車のようにノッチのステップを刻んでいたのかもしれませんね。このあたりの事情をご存じの方はいらっしゃるのでしょうか? 返信 ↓
まほろばの鉄趣味住人様、ご鑑定ありがとうございます。これでよく眠れます。さて、モ5251とのコンビ編成ですが、「鉄道ファン図書館」というのがあって税込396円で鉄道ファンのバックナンバーが毎月追加公開されていて、ちょっと調べるのに重宝しています。それで検索してみると1975年2月号で「電車をたずねて 12 盆地の主は大正生まれー近鉄伊賀線」という佐藤一男さんが書かれた記事に連結可能の一覧があって「5251形+5201形(5251形モーターカット)」とあったのでコメントされているように5251形はトレーラー扱いだったのだと思います。5201形は75kw×4で伊賀線最強の電車だったので可能だったのでしょう。ちなみに伊賀線に写ってから5201形に改称されたそうです。 返信 ↓
どですかでん様 ご安眠できるようで何よりです。「鉄道ファン図書館」の情報ありがとうございます。確かにこの号の記事でした。関先生の記事では「少しばかり出力が小さかった」とありますが、当時の伊賀線では最強でMT編成を組んでいたというのも面白いですね。 6201型から5201型への改番は、南大阪線初の通勤冷房車6200系が出現するにあたり改番されたものです。その5200番台もさらに現在の3扉転換クロス車が後を継いでいます。このように近鉄では、廃車で欠番になった過去の車の番号を継いでいる車両も多いのですが、なぜか2200、2300番台の新型車は出ていませんね。もしかすると、旧参急の偉大な車を讃えて「永久欠番台」にするつもりなのでしょうか?
私鉄ガイドブックシリーズ近鉄(昭和45年初版)にはモニ6201について「制御器がことなりク5360以外とは連結されない」との記述があります。5360はク5361の1両のみだったので、あぶれた方(在籍2両のうち1両)は単行で使用していたが、昭和四十年代後半、晩年は輸送量が増えて無理やり5251ともペアを組むようになった、ということでしょうか??なお、同書所収の諸元表によると6201は17.5m、5251(これは見たかった)は14.9mです。 返信 ↓
前回、今回とも、どなたもコメントされていないとのことで、タイミングも遅くなりましたが書いてみます。
今回は関先生の記事にもあるとおり、画のような編成は実現しなかったようです。そもそもM2両、T6両というのはコンビを組む前提ではなさそうですし、側窓2枚ごとに飾り窓があるのは共通ですが、乗務員扉の有無や扉位置の微妙な差もありますので、たまたま製造時期が近接したため同系のデザインとなったものの、用途は関先生の述べられたとおり、ローカル用と優等列車用に分けられていたのでしょう。ただ伊勢電のクハの運用がそのように確立するのは、ロマンスカーのモハニ231型(近鉄モニ6231型)が12両揃ってからとも考えられ、(クハ6両のうち前半3両は当初HL制御で登場し、本稿のモハニよりも小型で小出力の在来車と連結することを想定していたものの、ほどなく改造された記録あり。)それまでの間、飾り窓付き車のMTM3連はなくとも、MT編成はあり得たかもしれませんね。
残念ながらM車は私が生まれる前に更新で飾り窓が消えたらしく、
(「関西の鉄道」No.23に、乙訓長老様の撮影された、6301系急行5連の中間にT代用で挟まれたモニ6201型の写真がありますが、これも飾り窓撤去後です。)一方T車の飾り窓はその後数年間残ったものの、幼少の頃は名古屋線のことなどまったく知りませんでしたので、私もこれらの車の飾り窓は写真でしか見ておりません。
名古屋線改軌後もモニ6201型は狭軌のまま養老線に残り、数年後に伊賀線に移って結果的にはクより長命でしたので、伊賀線で出会われた方は多いと思います。
添付写真は1972(昭和47)年11月12日、伊賀線茅町~桑町間にて。
左がモニ6201、右は元信貴山急行のもモ5251です。
まほろばの鉄趣味住人様
コメントをありがとうございます。貴兄と宮崎繁幹様の援護射撃が当欄の『救いの神』です。
写真を拝見して、意外に小型やな、という感想です。関先生のイラストから持っていたイメージは18mぐらいある大きな車体でした。
やっぱり写真と見比べなければいけないと思いました。
これからも近鉄が出てきます。よろしくお願い致します。
近鉄HPに「近鉄資料館」というのがあって、その中に「鉄路の名優」というところに「モニ6201形」があり、最後は伊賀線で昭和52年に全車廃車とありました。ひょっとしたら伊賀線に行った時に写した写真にあるかもしれないと見たのですが、それらしき写真は逆光でシルエットだったのではっきりわかりませんでした。まほろばの鉄趣味住人さんの写真を見て、「モニ6201形」の晩年だと思うにですがちょっと自信がありません。この時も「元信貴山電鉄デ5形」とコンビでした。撮影したのは1973年10月です。
まほろばの鉄趣味住人さんの判定や、いかに!
間違いなく私の撮った写真と同じ、伊勢電と信貴急のコンビ編成です。私の撮った写真ではモニ6201型の半身がバックの木々と重なり、車体長の差は判り難いですが、どですかでん様の写真はシルエットなので、両車の長さの違いがよく判りますね。
ところでこのコンビですが、モ5251型はHL制御、モニ6201型は電空カム軸式PC制御で、本来なら連結運転できないはずですが、「鉄道ファン」誌バックナンバーのどこかに、
「モ5251型がモニ6201型に連結される場合、モ5251型はトレーラー扱い」との記事を見かけた記憶があります。あるいはかつての琴電のように、モニ側も自動進段せず、HL車のモ5251型に合わせる形で、HL車のようにノッチのステップを刻んでいたのかもしれませんね。このあたりの事情をご存じの方はいらっしゃるのでしょうか?
まほろばの鉄趣味住人様、ご鑑定ありがとうございます。これでよく眠れます。さて、モ5251とのコンビ編成ですが、「鉄道ファン図書館」というのがあって税込396円で鉄道ファンのバックナンバーが毎月追加公開されていて、ちょっと調べるのに重宝しています。それで検索してみると1975年2月号で「電車をたずねて 12 盆地の主は大正生まれー近鉄伊賀線」という佐藤一男さんが書かれた記事に連結可能の一覧があって「5251形+5201形(5251形モーターカット)」とあったのでコメントされているように5251形はトレーラー扱いだったのだと思います。5201形は75kw×4で伊賀線最強の電車だったので可能だったのでしょう。ちなみに伊賀線に写ってから5201形に改称されたそうです。
どですかでん様
ご安眠できるようで何よりです。「鉄道ファン図書館」の情報ありがとうございます。確かにこの号の記事でした。関先生の記事では「少しばかり出力が小さかった」とありますが、当時の伊賀線では最強でMT編成を組んでいたというのも面白いですね。
6201型から5201型への改番は、南大阪線初の通勤冷房車6200系が出現するにあたり改番されたものです。その5200番台もさらに現在の3扉転換クロス車が後を継いでいます。このように近鉄では、廃車で欠番になった過去の車の番号を継いでいる車両も多いのですが、なぜか2200、2300番台の新型車は出ていませんね。もしかすると、旧参急の偉大な車を讃えて「永久欠番台」にするつもりなのでしょうか?
私鉄ガイドブックシリーズ近鉄(昭和45年初版)にはモニ6201について「制御器がことなりク5360以外とは連結されない」との記述があります。5360はク5361の1両のみだったので、あぶれた方(在籍2両のうち1両)は単行で使用していたが、昭和四十年代後半、晩年は輸送量が増えて無理やり5251ともペアを組むようになった、ということでしょうか??なお、同書所収の諸元表によると6201は17.5m、5251(これは見たかった)は14.9mです。