EF66 弁当箱もヒサシも無い原型機
現有の電機のなかで、個体別で見た絶対的な人気は、何と言ってもニーナことEF66 27のようですね。唯一の国鉄色EF66です。本欄でも鉄鈍爺さんから、今春改正後のEF66貨物について書かれています。仕業数が34から31に減り、昼間に京都付近で見ることができるのは、定期1本、臨1本という寂しさ、勢い“闇鉄”に傾注せざるを得ないようです。EF66 27はまだまだ元気で、ときどき昼間の運用に入ることがあります。最近も走るというニュースを聞き込み、近所へ行きましたが、平日でも撮影地は過密状態でした。
なんで弁当箱を載せたスタイルに惹かれるのか、やはり国鉄色なのでしょうか。ニーナにぞっこんのサイトを見ると、そのエネルギーをほかに使った方がいいよと、つい年寄りのたわごとを言って見たくもなります。私にとってのEF66は、弁当箱もヒサシもない、また特急牽引のような華やかさもない、デビュー当時の、素のままの一次車EF66にやっぱり思いが残ります。
▲昭和41年、それまでEF65重連で牽引していた1000tクラスの高速貨物を、単機で牽引できるF級電機が計画され、デビューしたのが試作のEF90 1だった。それまでの電機の標準であったMT52主電動機の1.5倍のMT56を6個搭載した定格出力3900kwの日本最大のパワー機関車となった。EF90 1による各種性能試験の結果、昭和43年から量産車EF66が製造を開始する。試作車EF90 1は量産車並みに改造されてEF66 901となった。写真は、雪の伊吹をバックに上り貨物を牽く、試作のEF66 901 柏原~近江長岡(昭和55年1月)
▲EF66の形状は、一段と高い運転台や中央部を突出させた前面形状は、今までの国鉄電機にない独特のデザイン。正面のナンバーは逆三角形の標章と一体化している。塗色は最初から青15号、正面下部と側面の帯はクリーム1号。吹田区のイベント時のトップナンバー機。
▲EF66の量産車(0番代)は、昭和43年から49年までに、1~55の55両が製造された。細部の差異により1次車と2次車に分けられる。EF66 2が無動力のEF60を連れて上り貨物を牽く。神足~山崎(昭和50年3月)
▲はじめは全機が下関区に配置されていて、その後、広島、吹田へ一部が転属になり、東海道・山陽本線の高速貨物列車の牽引に専念した。山崎~高槻(昭和50年3月)。
▲最初にEF66を撮ったのが、京都駅で撮ったこの写真、まだ量産機が揃わない時期のためか、有蓋車、無蓋車を連ねた一般の貨物列車を牽いていた(昭和43年12月)。
▲本格的にコンテナ車を連ねた高速貨物を牽く。柏原~近江長岡(昭和55年1月)
▲東山トンネルの山科側にある陸橋から、下りコンテナを牽くEF66 18(昭和53年)。▲高速貨物のなかでも、とくに鮮度を要求される冷蔵車を連ねた特急貨物列車「とびうお」「ぎんりん」の牽引で本領を発揮する。東加古川付近(昭和49年5月)
▲0番代のうち、一次車(左)と二次車(右) 最大の差異は、二次車に前面窓の上にヒサシがついた点。これは、集電スリ板で発生する金属粉による汚れを防ぐためである。右のEF66 47は、下関区に転進して、ブルトレ牽引機となる。▲ヒサシがなかった一次車の一部にも、ヒサシ取付け車も現れたが、私の本命は、あくまでヒサシ無し。試作のEF66 901も量産機にまじって活躍した。昭和60年3月改正から特急「はやぶさ」にロビーカーが増結されて15両編成となり、EF65では速度の維持ができなくなり、東京~九州のブルトレ12本がEF66の牽引となった。またJR貨物になってから、初の新製電機として、EF66の100番代が製造された。神足~山崎(昭和50年3月)
なにやら俎上にあがっていますので、少々、薀蓄を述べます。
★“闇鉄”に至った背景
撮影地での「押し合い、圧し合い」とか「(結果的に)機材の自慢合戦」に嫌気がさし、
1.皆様が撮りたがらない画角や時間帯
2.スチルより動画
3.近場で数をこなす
を、主要コンセプト(?)にしました。
★なんで、66
ec583系が無くなり、ドクターイエローも3月限りで運転中止となりました。
ここに身近で絶滅危惧種としての、EF66が在ります。
ちなみに、EF66の原色機は“ゼロロク”と称し、27号機、30号機、36号機が残っていました。
100番台は前頭のエンブレムも無く、丸っぽい感じで塗装とも相俟って“鮫”と呼んでいます。
なお前面の丸っぽいデザインは、EF210にも踏襲されています。
2021/04/23 闇鉄(2021/04/22) 5分40秒からニーナ、9分00秒にサメ君が登場します。
https://youtu.be/3lpB8KR_P2c
鉄鈍爺さま
コメント、ありがとうございます。「押し合い、圧し合い」「機材の自慢」は、私も撮影地へ行くと辟易しています。ですので、私もネタ狙いだけでは絶対に行きません。ふだんの何気ないシーンが好きですが、そのなかに、ちょっとだけネタの要素を組み入れると、より達成感も出てきますね。
お二人に質問
私には「原色電機」といえば“茶色”となるのですが、EF61は出場時は茶色でEF90(EF66)は青色でしたね。いつ頃から青色が原色になったのでしょうか?出場時から青色はどの機関車からでしょうか?EF64は茶色だった気がします。
ちょっと記憶が定かではありませんが、EF60-500番台(1963年/S38~:ブルトレ牽引用)まで遡るのでは?
わかった!
Wikipediaを見たら『1964年製EF64から全ての直流電機は青色にクリームとなった』とありますからEF63までが栗色です。
EF66は撮っているようで意外にカメラを向けていないことがわかりました。5年前のものですが、桜が満開の山陽本線入野駅を通過してゆく下り貨物EF66111です。2016-4-9の撮影です。
同じ日にもう1本撮っていました。河内・本郷間の上り貨物EF6626です。後ろの高い橋は山陽自動車道です。
まだありました。夕陽を受けて山陽路を下るEF6633です。2016-4-22本郷・河内間です。
西村様
山陽線のEF66の活躍、見せていただきました。私も同様ですが、EF66には特段に関心が無く、今に至っています。その分、改めて原型の初期の頃のEF66が愛おしく感じています。その時は、まさか特急の牽引機に転進するとは思ってもいませんでした。
再度、ネガを見ていますと、いま唯一の原色機、ニーナことEF6627に、弁当箱が載る前の写真が出てきましたので、貼っておきます。