昭和の電車 改訂版(242)ー名鉄3400系ー 投稿日時: 2022年1月2日 投稿者: 米手作市 明けましておめでとうございます 今年もがんばって投稿致しますので、皆様からのコメントをお願い致します。 新年は流線型の特急シリーズ。 初頭を務めるのは名鉄の流線型特急3400系です。 準特急さんのレポートです。かえりみますと、準特急さんは本当に全国を渡り歩いて撮影されていたのですね。頭の下がる思いです。これからも投稿、お願いしますよ! 名鉄3400系 関連記事: 昭和の電車 改訂版(175)ー近鉄ク1320型ー 昭和の電車 改訂版(173)ー京王電鉄6000系ー 昭和の電車 改訂版(151)ー定山渓鉄道モロ1100型ー 昭和の電車 改訂版(134)ー東武鉄道デハ5号ー 昭和の電車 改訂版(126)ー加越能鉄道デ7050型ー 昭和の電車 改訂版(109)ー国鉄モハ30型ー 昭和の電車 改訂版(95)ー名鉄7000系ー 昭和の電車 改訂版(25)ー銚子電鉄デハ101ー
明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。 昨年2月までほぼ毎日都心の神谷町まで常磐線、千代田線、日比谷線で通勤していましたが、3月に職場が住んでいる葛飾区の隣、江戸川区変り、勤務日数を月6~8回程度に大幅に減らし、余裕ができたので、コメント欄で復帰しました。 関 三平さんの解説を少し補足させていただきます。 昭和12年、日本車輌でモ3400形+ク2400形が3編成新製されました。戦後、昭和25年に中間電動車モ3450形を新製して3連化、28年にサ2450形を新製して4連化されました。 昭和42年から43年にかけて車体更新が実施され、正面が連続窓化される等、スタイルに変化が生じました。 昭和63年8月、モ3402編成、続いて9月にモ3401編成が廃車になりました。10月に動態保を目的にモ3403編成の中間車、モ3453、サ2453を廃車して、モ3403を3401に、ク2403をク2402に改番して2両編成になりました。 主に犬山地区のローカルで使用され、平成6年には冷房装置も設置されましたが、老朽化、部品調達が困難になったこと等から平成14年9月30日付で廃車になり、モ3401のみ舞木検査場で保存されています。 画像は、昭和42年7月23日、金山橋駅、車体更新前のモ3403の編成です。 返信 ↓
昭和42年7月23日、金山橋駅、車体更新後のモ3401の編成です。(後ろ2両は、モ3800形) 車体更新の結果、正面が連続窓になりました。車体更新は2両単位で行われたため、その期間中は、モ3800形等の2連と連結して4連を組みました。 返信 ↓
名鉄はあまり撮っていませんでしたが、路面電車が好きだったので。岐阜市内線を撮りに行った時に少し足を延ばして、復活塗装色となった3400形を撮りました。1996年9月23日でした。この流線形の電車、赤一色より断然こちらの方が好みです。 返信 ↓
皆さま明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しく。暫くぶりに宮松コレクションから、御紹介したいと存じます。就役直後と思われる3401です。撮影者が宮松氏かどうか、はっきりしませんが、日付と場所は付いていました。昭和12年4月1日、神宮前です。側引戸の上部が弧を描いているのが、何とも優美ですね。改装後の二段窓も悪くありませんが、やはりオリジナルの一段窓がスッキリしているかと。 返信 ↓
3400の面白さは室内前方から見た眺望も忘れてはならないかと。 この日は、神宮前で電車ハンティングをしていると3400の西尾線直通急行が滑り込んできたので、迷わず飛び乗りました。 本線区間での高速疾走音も忘れられませんが、単線区間に入るとこのようなシーンが広がり、1986年という時代に普段見られぬ大私鉄の吊り掛け電車の高速運用と、続いてのローカルなシーンに目を丸くしました。 名鉄の魅力に嵌り年に数回中京圏訪問をしていた頃です。 返信 ↓
Gordon Davis氏のスライドの中にも1枚あったので、お目に掛けましょう。車端が架線柱をクリアしていないのが、残念。3402編成で、昭和31年頃の撮影です。4連化され数年経った姿、塗色は下半分マルーン・上半分ピンクの2色塗装の筈ですが、スライドの退色なのか、はっきりしません。場所は、西枇杷島の東方、犬山線とのデルタ線部で、列車は本線上を名古屋へ向かって居るところではないかと思うが、どうでしょう。違うでぇ~、〇〇や、と御異議のある方は、ご教示下さいませ。 返信 ↓
知立や前後と言う難読?駅にご縁が有った小生も、我が「流電」を彷彿とさせる車体に、その昔「エッ!」と思わされた記憶が蘇りました。 その時、かの流電でさえ、とっくにスカートを脱いでしまっていたと言うのに何故?と名鉄の保守担当部署の律儀さに脱帽したものです。 しかし今から思えばC53やEF55の他、クモハ52までもが、後に空気力学的には何の効果も無いと言われた?「流線形」にこだわっていた時代、猫も杓子も(失礼!)が真似をしたのは、昨今の鉄道界に於ける流行と何ら変わりが無い気がするのは私だけでしょうネ。 返信 ↓
河 昭一郎さん、 私も同感です! 最後まで律儀にスカートをはいていたとは、名鉄の保守部門の方々のご苦労が偲ばれます。 ところでカラー写真を見ていて、京阪の1000系にそっくりだと思いました。京阪1000系と併結した姿を思い浮かべると、笑いがこみ上げてきました。 それにしても出場直後のオリジナルが一番カッコイイ!と思いませんか? 返信 ↓
明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。
昨年2月までほぼ毎日都心の神谷町まで常磐線、千代田線、日比谷線で通勤していましたが、3月に職場が住んでいる葛飾区の隣、江戸川区変り、勤務日数を月6~8回程度に大幅に減らし、余裕ができたので、コメント欄で復帰しました。
関 三平さんの解説を少し補足させていただきます。
昭和12年、日本車輌でモ3400形+ク2400形が3編成新製されました。戦後、昭和25年に中間電動車モ3450形を新製して3連化、28年にサ2450形を新製して4連化されました。
昭和42年から43年にかけて車体更新が実施され、正面が連続窓化される等、スタイルに変化が生じました。
昭和63年8月、モ3402編成、続いて9月にモ3401編成が廃車になりました。10月に動態保を目的にモ3403編成の中間車、モ3453、サ2453を廃車して、モ3403を3401に、ク2403をク2402に改番して2両編成になりました。
主に犬山地区のローカルで使用され、平成6年には冷房装置も設置されましたが、老朽化、部品調達が困難になったこと等から平成14年9月30日付で廃車になり、モ3401のみ舞木検査場で保存されています。
画像は、昭和42年7月23日、金山橋駅、車体更新前のモ3403の編成です。
昭和42年7月23日、金山橋駅、車体更新後のモ3401の編成です。(後ろ2両は、モ3800形)
車体更新の結果、正面が連続窓になりました。車体更新は2両単位で行われたため、その期間中は、モ3800形等の2連と連結して4連を組みました。
昭和45年10月25日、新岐阜駅、モ3402の編成、黄色に赤帯の時代です。その後、スカーレット1色になります。
名鉄はあまり撮っていませんでしたが、路面電車が好きだったので。岐阜市内線を撮りに行った時に少し足を延ばして、復活塗装色となった3400形を撮りました。1996年9月23日でした。この流線形の電車、赤一色より断然こちらの方が好みです。
3400最終走行。とても暑い日でした。2002年8月25日、西可児ー善師野
自己レスすみません。スカーレットカラーも貼っておきます。1985年3月6日、江南にて
皆さま明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しく。暫くぶりに宮松コレクションから、御紹介したいと存じます。就役直後と思われる3401です。撮影者が宮松氏かどうか、はっきりしませんが、日付と場所は付いていました。昭和12年4月1日、神宮前です。側引戸の上部が弧を描いているのが、何とも優美ですね。改装後の二段窓も悪くありませんが、やはりオリジナルの一段窓がスッキリしているかと。
3400の面白さは室内前方から見た眺望も忘れてはならないかと。
この日は、神宮前で電車ハンティングをしていると3400の西尾線直通急行が滑り込んできたので、迷わず飛び乗りました。
本線区間での高速疾走音も忘れられませんが、単線区間に入るとこのようなシーンが広がり、1986年という時代に普段見られぬ大私鉄の吊り掛け電車の高速運用と、続いてのローカルなシーンに目を丸くしました。
名鉄の魅力に嵌り年に数回中京圏訪問をしていた頃です。
Gordon Davis氏のスライドの中にも1枚あったので、お目に掛けましょう。車端が架線柱をクリアしていないのが、残念。3402編成で、昭和31年頃の撮影です。4連化され数年経った姿、塗色は下半分マルーン・上半分ピンクの2色塗装の筈ですが、スライドの退色なのか、はっきりしません。場所は、西枇杷島の東方、犬山線とのデルタ線部で、列車は本線上を名古屋へ向かって居るところではないかと思うが、どうでしょう。違うでぇ~、〇〇や、と御異議のある方は、ご教示下さいませ。
知立や前後と言う難読?駅にご縁が有った小生も、我が「流電」を彷彿とさせる車体に、その昔「エッ!」と思わされた記憶が蘇りました。
その時、かの流電でさえ、とっくにスカートを脱いでしまっていたと言うのに何故?と名鉄の保守担当部署の律儀さに脱帽したものです。
しかし今から思えばC53やEF55の他、クモハ52までもが、後に空気力学的には何の効果も無いと言われた?「流線形」にこだわっていた時代、猫も杓子も(失礼!)が真似をしたのは、昨今の鉄道界に於ける流行と何ら変わりが無い気がするのは私だけでしょうネ。
河 昭一郎さん、
私も同感です!
最後まで律儀にスカートをはいていたとは、名鉄の保守部門の方々のご苦労が偲ばれます。
ところでカラー写真を見ていて、京阪の1000系にそっくりだと思いました。京阪1000系と併結した姿を思い浮かべると、笑いがこみ上げてきました。
それにしても出場直後のオリジナルが一番カッコイイ!と思いませんか?
米手作市様
そうですネ、京阪の1000形とは瓜二つ?って、実は正面窓数やパンタに違いがあるんですかネェ。
そう言えば名鉄は「いもむし」だそうですが、京阪は何と?