2008年3月29日 三木鉄道の最終日曜日
第三セクターの三木鉄道(厄神~三木6.6km)が2008年3月いっぱいで廃止されました。国鉄三木線が第一次特定地方交通線に指定されて、1985年4月、第三セクターとしては最短の路線として発足しましたが、旅客量は減る一方で、20年余りしか維持できませんでした。当時、三セクの廃止は、北海道ちほく、神岡、高千穂鉄道に次ぐ4例目でした。両端で鉄道と接続しているものの、旅客の行き来はもともと少なく、加古川方面へは厄神で乗り換えを強いられ、神戸方面へは神戸電鉄三木駅への徒歩連絡を強いられるなどの壁もあり、同時期に転換した近くの北条鉄道が、いろいろな施策で話題を作りながら、持ちこたえているのとは対照的でした。▲三木鉄道へは廃止直前に何度か通った。JRで加古川回りで行くより、神戸電鉄で三木まで行っていた、当時、関西一円で使える、乗り放題のスルッとKANSAI 3dayチケットがあり、格安で三木まで行くことができた。石野付近を行くミキ300形
▲三木鉄道の三木駅に着くと、11:37発の124レが発車するところだった。ミキ300-105で、左の2番線に待機するのがミキ300-104、右の車庫内にミキ300-103が見え、この3両がすべてだった。▲三木駅の駅前広場では恒例のグッズ販売中、駅舎は、大正5年の播州鉄道として開業時そのままの姿。▲三木12:37発の126レに乗車、三木鉄道はホーム有効長もあって、単行運転しかできず、その分、一時間一本の頻発運転だった。▲▲乗車した126レの車内、乗り納めの客で賑わう。ワンマン運転だが、右の社員が、菓子の缶の中に硬貨を入れて乗車券を販売している。
▲途中の石野で下車、つぎの列車を流してみた。ミキ300形はLE-DCと呼ばれる富士重工製の軽快気動車だが、車長は18m級あり、サイドから見るとなかなか立派。▲桜の季節だが、沿線にはほとんど桜はなく、その分、菜の花を入れて撮ってみた。▲ミキ300形の103、104、105(車番は前身のDCからの続き番号)は、廃止後に、それぞれ、ひたちなか海浜鉄道、北条鉄道、樽見鉄道へ働き場所を見つけた。ひたちなかは、三木鉄道の塗装のまま使用されている。▲線路に沿って、2駅、3駅分を歩き回り、夕方を迎えた。築堤上を去って行く列車を撮影。宗佐~国包▲もう一度、三木駅の様子を撮りたくて戻って来ると、ちょうどブルーモーメントの時間帯だった。
▲改札口付近と、告知がベタベタ貼られた窓口付近、国鉄時代と全く変わらない様相だった。▲とっぷり暮れた三木駅、帰りも神戸電鉄で帰ると、2時間で家まで着けた。
国鉄時代の三木駅の様子について、「廃駅をめぐる」シリーズで紹介していました。駅の構内、改札口付近など、意識したことはないのに、まるで同じアングルで撮っていました。
https://drfc-ob.com/wp/archives/112792
国鉄時代、在学中に三木線に一度、その後の3セク時代に1回か2回乗っていますが、最初は2軸のレールバスで運行。(写真は1996年)車両が用途に耐えなかったのか、廃止時にはボギー車に置き換わっています。この購入費が市の財政再建でやり玉になり、廃止主張派の議員が市長になり「あっさり」廃止になったような経緯に記憶しています。
同じ時代に岡山県の倉敷市は外国提携の大型遊園地「チボリパーク」の廃園を巡って何度も議会の論議が新聞を賑わして、廃止派の女性候補が当選してチボリパークも夢の跡になりました。(2008年12月31日)
実は自分はクラシックカーのラリー走行イベントに2007と2008年に出場して、神戸から岡山県下まで走り、同公園での熱烈な歓迎レセプションを地元財界から受けており、俄に廃業が信じられませんでした。
この2000年代はバブル崩壊後10年経ち、地方の淘汰と再スタートの時代で、小泉改革の2005年に平成の大合併が繰り返されて、「痛みを伴う改革」は15年経って振り返ると、地方は”葬式”だらけだったように思えます。
同日撮影の広い貨物駅の跡地から見た停車中のレールバス風景。
ここに商業テナントビルを北条のように誘致出来なかったことは、旧三木市中心街の反対があったことが想像出来ますが、電化して神鉄乗り入れとか、神鉄粟生線自体も存続が危うい現在、包括な交通連携が図られるべきだったのではと思います。
このレールバスは撮ったことがありません。もともと最初から車両寿命を短く見積もった車両でしたが、15年しか持ちませんでした。12m級のLE-Carは、ほかでも短命でした。三木鉄道廃止のウラにこんな裏話があったとは知りませんでした。
三木鉄道は訪れたことがなかったのですが、2018年に総本家様も書かれているするっとKANSAI3DAYS切符で神戸電鉄に行き、その折に旧三木駅を訪ねました。周辺は三木鉄道記念公園となっていて、旧駅舎は三木鉄道ふれあい館として使われています。中では三木鉄道時代の写真が展示されているだけでしたが、外観は昭和の雰囲気を残した良い感じの建物でした。
三木鉄道時代の駅舎はかなり老朽化が進んでいましたが、廃止後のほうが、かえってきれいになって活用されているようで何よりです。
ひたちなか海浜鉄道に譲渡後のミキ300-103です。塗装、車号ともにそのままです。
他車との併結ができない等、制約はありますが、昼間は沿線でイベントがある時以外は単行ですので、特に問題なく使用されています。
平成27年3月22日、中根~金上間です。
ずっと三木鉄道カラーを維持したまま活躍しているのは嬉しいことです。ネット情報によると、ミキ300の3両は、ほかの2両はすぐ売却できたものの、103号は話がまとまらず、保存を前提として車庫にずっと保管されていたということです。それが、ひたちなかに見込まれて、いまも原色を維持して活躍しているのは何よりです。