あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~39~

2007年2月 「くりでん」へ ①

もう3月になりましたが、2月分の「あの日あの頃」を積み残していました。2007年3月限りで、くりはら田園鉄道(くりでん)が廃止されることになり、二日間にわたって訪問、撮影しました。

くりはら田園鉄道は、東北本線の石越から西へ向かい、細倉マインパークまでの25.7キロ、当時は第三セクター化され、動力を電気から内燃に変更して運転を続けていたが、2007年3月限りで廃止となった。鴬沢工業高校前~細倉マインパーク前

くりはら田園鉄道 東北本線の石越から、陸羽街道沿いの沢辺までの約9キロ、762mmの栗原軌道が大正10年に開通した。細倉鉱山までの延長、直流電化、1,067mm改軌を相次いで実行し、社名も栗原鉄道、栗原電鉄と変わり、当時は東北で一番の近代的な私鉄に成長した。しかし、細倉鉱山が閉山すると、収入の柱の貨物輸送なくなり、旅客の減少も続いた。1993年には第三セクター化されて、さらに1995年には設備の老朽化により電化を止めて内燃化、社名も「くりはら田園鉄道」と改めた。電化は廃止されたが、架線柱などはそのままで、タブレットや腕木式信号機などの信号設備も引き続き使用され、電化時代の面影を残していた。その後も乗客の減少は続き、赤字を補填していた宮城県が2003年に支援打ち切りを表明し、以降も状況が好転しなかったことから、2007年3月限りで廃止となった。最後はKD95形951~953の3両で運転 ▲▲電化時の電車、初期のDCが残っていた。

くりでんは宮城県の最北部にあって行きにくいところ、当時は多忙な会社人間で空路で仙台入りとなった。翌月に仙台空港鉄道が開業するため、全廃される仙台市営の空港バスも撮影。

仙台から一ノ関行きに乗って1時間20分で東北本線石越に到着。その向かいにある、くりはら田園鉄道の石越駅。駅舎は団体客で満員。石越駅の一線式終端ホームに到着した10レ KD95形952号終端部の駅舎から望んだ乗車列車、かつては右側に国鉄線と、貨車受け渡しの側線があったが、いまは荒れ地になっていた。

石越12:23発の11レに乗車する。石越の終端部、ゼロキロポストと車止め、丸く縁取られたホームを離れる。▲▲次駅の荒町駅

つぎの若柳は、鉄道本社と車庫のある中心駅、電化時代の電車も放置されていた。

谷地畑駅 ▲▲大岡小前駅

東北新幹線、東北自動車道をくぐって大岡駅へ。 ▲▲交換駅の沢辺、腕木信号機も現役で使われていた。沢辺では12レと交換、タブレットを授受して乗車の11レは発車。

 

 

 

 

 

津久毛駅 ▲▲杉橋駅

栗駒を発車、交換可能な有人駅、お名残り乗車の団体客が多く乗降。

栗原田町駅 ▲▲尾松駅

終点のひとつ手前の鴬沢工業高校前で下車、ほかと同じホーム一面の棒線駅で、ここから細倉マインパーク前へ向けて歩き出した。

 

 

折り返して来た14レ、石越行きを撮影 952号その後部、952号には「くりでんoh!バンデス号」のヘッドサインを掲示。かつて細倉鉱山があった頃に貨物線が分岐していた細倉駅跡を行く13レさらに歩くと、終点の細倉マインパーク前に到着、右手は駅舎。細倉鉱山街跡地をテーマパークにした細倉マインパークへの最寄り駅。勾配を上がって家並みに挟まれるようにして、終点の細倉マインパークがあった。左は、電化時代、鉱山輸送に使われていたED201が貨車とともに保存展示。保存電機の前では、団体乗車客が記念撮影。

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~39~」への8件のフィードバック

    • 準特急さま
      青空バックのくりでんDCはよく映えています。私は二日間行ったものの、天気が良くなく、それが心残りでした。腕木信号機もいいアクセントですね。私も車両よりも、腕木信号やタブレットの写真をよく撮っていました。

  1. 準特急先輩の訪問時期と特派員氏の訪問時期の間の2006年7月27日に私もくりでんを訪ねています。若柳にはまだ多くの車両が保存(放置?)されていました。細倉マインパークに保存のELはED202です。くりでん訪問の最大の目的は、三菱三原生まれのED202とED203に会うことでした。201はすでに廃車されていました。762mmゲージで登場し、のちに1067に改軌されて幅広台車に履き替えた電機でした。

    • 西村様
      コメントありがとうございます。保存中の電機はED202でした。失礼しました。沖中さんが改軌直後に栗原電鉄に行かれた様子をデジ青にレポートされています。
      hhttps://drfc-ob.com/wp/archives/70030
      ED201~203が全機揃っていて、ED351と言う電機もいました。沖中さんが行かれた昭和30年代前半、改軌してますます前途洋々の栗原の様子はたいへん貴重ですね。

  2. 栗原電鉄時代の昭和57(1982)年3月18日、旧細倉駅です。当時私は国鉄完乗を目指していましたが、同時に近い将来トライする予定の「国鉄を含む日本全国の鉄道路線完乗」をにらんで、特に地方の私鉄には積極的に乗っていました。平日の昼下がり、町は静かで電車はガラガラでした。

    • 勘秀峰様 全国鉄道完乗を目指されていたのですね。私は考えたこともなく、特別な目標もなく過ごしてしまったと今になって反省してももう手遅れですね。旧細倉駅は使われていませんでしたが、廃駅として残っていました。貨車が停まっている線路が本線となり、ホーム側の線路の途中には車止めが設けられていました。

    • 勘秀峰さま
      旧細倉駅の写真を拝見しました。私は電車時代のくりでんは行ったことがなく、貴重な旧駅構内を見せてもらいました。私が行った時は、西村さんと同じような状態でした。駅舎もそのままの状態で残っていました。近くの細倉鉱山の社宅も、閉山後も残っていて、行く直前にリリー・フランキーの「東京タワー」のロケ地に選ばれ、オダギリジョーや樹木希林が来たそうです。

      • 総本家様
        ほぼ同じ場所からの、細倉駅です。電車を入れようと駅舎の左半分が見えませんが、だいたいの雰囲気が分かります。
        それにしても、駅舎の右には昭和50年代後半だと言うのに、瓦造りで木造の立派な「便所」が目を引きます。旧駅の方は「リニューアル」されていますから、駅舎の瓦を変えたタイミングで改装したのでしょうか。

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