あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~40~

2007年2月 「くりでん」へ ②

2007年3月限りで廃止された、宮城県北部を走る、くりはら田園鉄道(「くりでん」  石越~細倉マインパーク)を訪問した二日間、その後半を見ていただきます。

くりでんには、腕木信号機やタブレット交換、信号てこなど、ほかではほとんど見られない通票閉塞方式が、まだ残っていたことも魅力だった。それまでに、三セク化、電車からDC化と、次つぎ施策を断行してきた、くりでんだったが、閉塞システムの近代化まで手が回らなかったのだろうか。ただ廃止前は若柳~栗原のみがタブレット閉塞で、石越方、細倉方は簡易なスタフ閉塞になっていた。

終点の細倉マインパークを15:10発の列車で折り返す。写真は、その前に発車したツアー客を乗せた臨時の団体列車。

乗車列車の車内は、名残り乗車客で満席。▲▲くりでん唯一のトンネル、秋法トンネルをくぐる。

途中の栗駒で下車する。ここからまた団体客が乗り込んで、車内は超満員になって発車した。

 

栗駒駅は、タブレットの交換駅、助役は忙しく確認に回る。

近くの三迫川鉄橋へ。河原に降りて、15レを撮影。

地方駅前の必須アイテム、歓迎アーチを、栗原駅舎をバックに撮影。

時間があるので駅前を散策、東北らしい、味わい深い街並みが残っていた。石越行きの18レが栗駒に到着、運転士とのタブレット交換の便宜のため右側通行でホームに入線する。

栗駒から乗車して、途中の沢辺で下車、創業からの木造駅舎が健在。夕焼け空に腕木式信号機の色灯が浮かぶ。17:35ごろ、沢辺駅で交換する19レと20レ、その次の列車に乗って、若柳まで行き、本日は近くのビジネスホテルに宿泊した。珍しい夕食付きのホテルで、決して豪華ではなかったが、たいへん美味しかったこと、いまでもよく覚えている。翌日は朝食の前に、ホテルで自転車を借りて、くりでん沿線へ撮影に。まだ薄暗いなか、ライトを点灯した回送列車を撮影。若柳~荒町

続いて若柳~谷地畑で3レを撮影、コメント欄で準特急さんから載せていただいた写真と場所や構図が似ている。

若柳駅の内外、ここも朝から団体客で待合室は満員だった。

若柳10:22発の7レに、その団体が乗車、若柳で増結、珍しい2連となった。

7レの車内と運転室付近に置かれた、くりでん思い出ノート

沢辺で下車、今日もタブレットの授受で忙しい。

沢辺から津久毛よりに歩き、国道4号がオーバークロスする地点へ。有名なくりでん撮影地で、晴れていたら、冠雪した栗駒山が広がるはずだが、この曇天では、田んぼのなかを一直線に走る地方鉄道。さきほどの団体乗車の2連は、団体が下車しても2連のまま運用されていた。右は沢辺で交換の12レ、この3両、951~953が現役車両のすべてだった。これで撮影は完了、その後、石越から登米へ向かい仙北鉄道の跡地を探って、仙台から空路で帰宅、サラリーマン時代らしい忙しい土日だった。

 

 

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~40~」への4件のフィードバック

  1. 栗原電鉄時代の沢辺駅の交換風景です。撮影した昭和57(1982)年3月当時と、廃止された平成19(2007)年3月とでは、駅員や乗務員の制服が違います。昔は鉄道会社の制服と言えば濃紺と相場が決まっていましたが、それが逆に利用者に信頼感を与えていたような気がします。
    この日は石越から一ノ関へ、大船渡線の「からくわ」で終点の盛まで行き、岩手開発鉄道に乗りました。いろいろあって思い出に残る一日でした。

    • 勘秀峰さま
      写真とともに思い出を聞かせていただき、ありがとうございます。くりでんの制服は、廃止前は茶系の上下揃いの制服と、ずいぶん粋なものでした。写っている電車M15形も新造車です。電動車をM、制御車をCと呼ぶのも、目新しいですね。写真は廃止前の同型車です。若柳の構内に放置されていました。
      当日のコースも聞かせてもらいました。岩手開発までその日に行かれたとは、ずっとJRが通じていた時代ならではですね。

  2. くりでんが廃止されたのは2007年3月、その翌年2008年6月、この地域で大きな地震が発生しました。「岩手・宮城内陸地震」でした。栗駒市の旅館を土石流が襲い、宿泊していた若き鉄道史研究者が生き埋めになり、非業の死を遂げます。それが、交通博物館の学芸員をしていた岸由一郎さんでした。鉄道史研究の泰斗として、将来を嘱望されていた方で、数々の論文を各誌に発表されていました。栗駒市に来ていたのも、くりでん跡地の有効活用について、地元から相談のために来ていた日の出来事でした。
    本掲示板でも沖中さんによって、岸由一郎さんとの出会い、交流が紹介されています。
    https://drfc-ob.com/wp/archives/4255

    沖中さんが紹介されている、岸さんの評伝「あのボロ電車を救え」は、沖中さんからいただいて、私のところに保存しています。実は私も出版社の忘年会で、一度だけ岸さんと会って話をしたことがありました。誠実で熱意の感じられる方でした。

  3. 記事を拝見していながらコメントをさせて頂くのが遅くなってしまいました。栗原電鉄には行ったことがありませんでしたが、3年前に廃止後2017年に開館したくりでんミュージアムに行ってきました。旧若柳駅と機関車庫、資料館があり、旧若柳駅ー片町裏信号所間往復1.8kmの区間を気動車を使っての運転体験も行われています。廃止後10年を経てのミュージアムの開館、開館までにはいろいろご苦労もあったことと思いますが、多くの資料と車両がありなかなか見ごたえがありました。

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