「きたぐに」 -4-
▲定期列車としては残りわずかとなった「きたぐに」(保内付近)
2年前、「きたぐに」の乗車ルポを書くようにとの依頼が出版社から入り、大阪から自由席に乗って新潟まで行ったことがある。一年を通じて流動の少ない冬のこと、車内はガラガラだったが、仔細に観察するとさまざまな発見があった。
▲大阪駅で発車を待つ。駅改良工事のため10番線からの発車
旅客の流れにも、単に関西と新潟を結ぶ夜行と結論づけられないものがある。定期券でも乗れるため、彦根・米原・長浜などへの最終電車的な役割がひとつ、北陸本線内では一番電車的な役割があり、例えば、直江津で北越急行乗り換えで上越新幹線で首都圏へ向かえば、8時44分に東京着が可能だ。また上りで見ると、「はるか」に乗り換えて早朝の関空便搭乗という手もある。料金においては、夜行列車は夜行バスに勝ち目はないが、大阪~新潟間で見ると、バス9450円(通常期)、きたぐに自由席9675円(往復割引適用)と、唯一拮抗している例であり、バスに比べて格別に車内が広い「きたぐに」に軍配が上がるはずだ。
▲金沢では、留置中の485系と顔を合わした
▲信濃川が見えてきた
末端区間の新津~新潟間では、下りが昭和63年3月から快速となっている。新潟着が8時29分で、多くの通勤客の乗車がある。その観察も今回の出版社からの要請であった。確かに、自由席車4両を目掛けて、各駅からの乗車がある。ただ、不可解だったのは、夜が明けて、長岡、見附、東三条あたりからも、一見して通勤客と判る乗車がある。しかし、ここはまだ急行区間だ、果たして急行料金の収受が正しく行われているのか疑問に思わざるを得ない。と言うのも、西日本区間では、乗車のある都度、過剰なくらいに車内改札を行っていた専務車掌が、東日本区間に入った途端、ぱったり車内改札を止めてしまった。もともと東日本では、無人駅区間でも、車内改札が全くないどころか、車内巡回すらないのは、前から気になっていた。まるで東日本に遠慮したかのように弱気になってしまったのが今でも気に掛かる。
新潟駅に到着して、続々と降車する客を見ていると、「きたぐに」は当分安泰で、北陸新幹線の開業時までは現状維持かと推測して、そのルポを締めたものの、フタを開けてみると、定期列車の廃止という、意外な終幕が巡ってきた。
1967年の登場以来、よく走ってきたものと思います。
ただマニア的に残念なのは前面貫通路が使われなかった点。
分割・併合を意図したダイヤ作りが成されませんでした。
後にシュプールで485系と併結された時に、前面貫通路が
使用されたのには驚きましたが。