第10日目 1月1日
新年があけましたが、中国では春節(旧正月)がお正月です。何のお祝い行事もありません。我々にとっては、月夜の大爆煙ショーこそが新年の始まりです。
0時前にすぐに「フライアッシュ号」が来るので、急ぐようにとの連絡が参り、ホテルをでました。凍てつく道をワクワク気分で山へと向かいました。
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ところがです。撮影ポイントに行くには、205信号所の下の道にあるゲートをくぐらなければなりませんが、鉄柵の門は閉まっていて車では入れません。降りて開けようとしましたが、電動になっていてビクともしません。
仕方ありません。もう1つのゲートがある205信号所上の道に進路を変えて向かいましたが、ここもガッチリ閉まっていて施錠されています。困りました。すでに「フライアッシュ号」は、五龙炭鉱前にある信号所で待機中です。205信号所へと向かうのは時間の問題です。
こうなれば、撮影ポイントに行くには徒歩しかありません。約40分程度は必要です。再度、先ほど通った205信号所に行って、発車を遅らせてもらうように交渉しようとのことになりました。
交渉が上手くいくようにと祈りましたが、やってきた「フライアッシュ号」は、205信号所前を殆ど停車することもなく、我々の前を通過していきました。呆然と見送る以外ありませんでした。
結果論ですが、最初のゲートでチャーター車を降りて山に向かうべきでした。まだ時間がありました。
しかし、月明かりの外は凍てつく寒さです。こんな条件下で待つのには勇気だけではできません。できれば温かい待機場所を必要としていましたので、その時にこの選択は考えられませんでした。
T中さんは、ここでの夜撮のご経験もおありでしたが、いつもは205信号所に一旦停車する蒸気機関車に乗せてもらって向かわれていたそうです。今回は、案内人を入れての8名です。多いので乗せてもらう交渉は始めから不可でした。
と、いうわけで、新年早々は失意から始まりました。
【DATA】 7:11、125㎜、F7.1、1/5秒、ISO200、-03段
【DATA】 7:22、300㎜、F6.3、1/125秒、ISO2000、-0.3段
▲ 7:10、一旦ホテルへ引き揚げて朝食をとってから踏切まで来ました。8時には運転手の交代がありますので、機関車の集結が見られます。が、やってきたのは数台で、以前に見た総集合が見られません。おまけに鉄道局の公安がやってきて追い出しを受けました。これも以前は8時まではセーフだったのですが、厳しくなっていました。
朝の気温はマイナス15℃です。昨夜は、マイナス20℃にはなっていたでしょうね。
▲ 後からやってきた日本人グループ約7名も同様で、案内人に導かれて線路内に入りましたが、追い出されていました。踏切外から撮るしかありませんでした。
再び、ホテルに引き揚げて、吉報を待ちました。
吉報は11時過ぎに入りました。今回は内側線のレール上からのかぶりつきで撮りたいと早目に向かいました。しかし、現場に着く前に公安部の車がやって来て、撮るのは禁止だと山を下りるように命令を出します。我々よりも先に到着していた朝会った日本人グループも同様に追い出されました。
ここで追い出しを喰ったのは初めてです。阜新煤礦鉄路局も公害のフライアッシュバラ巻きを外国人に撮らせるのはヤバイと神経質になってきたようです。1月1日まで動いてくるとは想定外でした。
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T中さんは、撮影を諦めません。それでは、絶対に公安が来ない場所に行こうと我々を導いてくださいました。ズリ山とは別の山で標高232mと踏切からは100m、昨日撮った場所からは50mも高い位置です。ズリ山全体がフカンできました。
▲ 13:40、205信号所を発車した「フライアッシュ号」は、ゆっくりと勾配を上ってループを右方向に向かいます。
温度はマイナス13℃ですが、風が強く防げる物はありません。じっとしているだけで体温が奪われます。体感温度はマイナス20℃以下です。
▲ 14:00、1回目の投棄が行われましたが、風が強すぎてすぐに拡散して蒸気機関車を覆ってしまいました。何とか蒸気機関車の頭だけでも入れたいと待ちました。
2回目の14:05でした。少しだけでしたが、辛うじてカマの頭だけは捕えられました。
▲ キノコ雲が逆方向に行ってくれれば、まだ写せるのですが・・。ここで私は寒さが我慢できずでギブアップです。皆さんを残して下で待機しているチャーター車に向かって下山しました。
下山途中で見た戻り列車ですが、停車したままです。なぜかと下を見ましたら、他のズリ捨て列車が内側線に入選して投棄作業をしていました。閉塞区間はないのですね。
皆さんが下りて来られるのを待って今回の阜新大爆煙ツアーの終了となりました。これから小竹先生、T中さんと私を残して、皆さん方は夜行列車で北京へそして帰国されます。私たち3人は今夜は阜新で宿泊します。そして翌日、T中さんは駐在先の广州へ戻られます。小竹先生と私は、中国最北端のその名も北極村へと旅立ちます。
ちょっと不本意なところもありましたが、ここは中国です。仕方ありません。今夜は阜新大爆煙ツアーの打上会となりました。不本意と申し上げましたが、私は前回4日間も滞在したのに1回も大爆煙ショーには出会えませんでした。2日間で1回撮れたのは大成功と言っても良いと思います。
しかし、打上会前に銀行ATMにキャッシングを受けに行ったところ思わぬトラブルにあいました。
【 ATMの トラブル 】
私は海外に出かける時は多少の現金は用意して行きますが、高額現金を持ち歩くのはおっかないので、クレジットカードを使ってATMでのキャッシングを利用しています。
今回も宴会場前に銀行と横にATMがありましたのでいつものようにカードを入れて、暗証番号を入力しようとしましたら、通常の表示画面がでません。代わりに機械が壊れましたとのメッセージが出ました。これはまずいと退出ボタンを押しますが、カードが戻ってきません。ATMに飲み込まれてしまったのです。
銀行内にあったATMなのですが、1月1日は中国も休みで窓口は開いていません。記載されていた苦情電話にかけてみましたが応答がありません。参りました。
案内人の王さんに電話をして来てもらいました。現場から何度目かで電話がつながりましたが、担当者が休みなので明後日まで待てと言われたそうです。王さんは、外国人で明日帰国するので明後日までは待てない。今がダメなら明日には出て来いと言っていただき、事なきを得ました。
しかし、明日も午後2~3時に来るようにとの指定がつきました。日本なら、即座に担当者が飛んで来るでしょうが、やはりここは中国でした。
王さんが近くにおられて助かりました。もし一人だったら、今日の列車で移動だったら、町中にある無人のATMだったら、手の打ちようがありませんでした。王さんに、感謝、感謝です。
今まで世界各国のATMで何のトラブルも経験していませんでしたので、完全に信用していました。皆さん方もご注意ください。これからは、銀行の営業時間内で、銀行内でのキャッシングをしなければならないと肝に銘じました。
問題が解決した後、宴会には参加しましたが、明日は王さんがおられません。大丈夫かなと心配がでてきます。想定外が日常的に起こるのが中国ですので、気が気でない状態で好きなお酒もすすみませんでした。
夕食後は夜行列車に乗られる皆さんを阜新站までお送りしてからホテルに戻りました。
今夜も月夜です。大爆煙ショーを撮りに行きましょうかとT中さんからのお誘いを受けましたが、旅に出て今日で10日目になっています。いつもは1週間に1日は完全休暇を取るようにしていました。明日からは2日間連続夜行列車乗車もあります。もう、そろそろ体がしんどいと言っていますので、丁重に今晩は見合わせたいとお断りを入れました。小竹先生も、皆さんのお世話でお疲れになったのか、今晩はゆっくり休みたいと申されました。
二人揃って、ぐったりの就寝でした。 Part11 へ続く