第11~12日目 1月2日~3日
① 1/2-阜新17:41(4207次)→21:07沈阳(Taxi)→沈阳北
② 沈阳北22:35(K549次)→1/3-7:24齐齐哈尔(チチハル)
② 齐齐哈尔1/3-10:50(6245次)→1/4-9:16古蓮
今夜から小竹直人先生と二人で阜新を出発して、中国最北端の地、黒竜江省漠河のその名も北極村へと向かいます。移動距離は、約2,000キロです。
北極村の極寒の冬はマイナス50℃にもなり、運が良ければオーロラも見えると言われています。鉄道とは無関係の所ですが、小竹先生より「中国の蒸気機関車撮影には数10回も来ているが、最北端の地も一度は行ってみたい。それも極寒の真冬こそ一番。」とのお誘いを受けて、綏棱森林鉄路、阜新大爆煙ツアーの後で訪れることにしました。
また丸谷氏からは、グーグルアースを見ていると終着站の古莲から線路が伸びている。古莲站構内にはデルタ線も見えているので、ひょっとして森林鉄道ではないだろうか。古莲には訪れた日本人も少なく情報がない。行かれた方でも列車本数が少なく、周りになにもない站なので直ぐの折り返し列車で戻っている。行くなら是非とも探索をお願いしたいとの依頼もありました。
2つの目的を持って訪れることになりました。
第11日目 1月2日 阜新
昨日にも増しての強風が吹く、凍てつく朝を迎えました。T中さんの朝撮はどうだったのだろうかとお聞きしましたところ、「205信号所から蒸気機関車に乗って、かぶり付き撮影に挑んだが自分が望む位置に止まってくれなかった。撮るには撮ったが、風も強く思い通りのカットにはならなかった。また機会を見て臨みたい。」と、今回は条件に恵まれなかったが、飽くなき挑戦を続けると誓っておられました。
何度も阜新を訪れ、自らのイメージを追いかけておられます。今までにも素晴らしいカットをお撮りになっておられると思いますが、達人の視線はもっと先にあられます。たまたまで満足している私としては見習わねばならないところです。
小竹先生は、T中さんの求める映像を追いかける姿勢に絶賛されておられました。研ぎ澄まされたプロの目からは、秀でた映像は努力しか求められないと言い切っておられました。
今日はゆっくりとしようと思っていました。小竹先生はお仕事、私はデジ青投稿の用意に勤みました。正午には、大爆煙ショーがまた始まるとの情報をいただきましたが、私は昨日のATMに飲み込まれたクレジットカードを返してもらうために銀行に行かなければなりません。小竹先生も急ぐ仕事があるようで、手が離せないようです。
午後になり先生も一仕事が終わったようで、街の様子も見てみたい。昼食を食べに出かけてみようとのお言葉をいただきましたので、繁華街に参りました。
まずは銀行で私のクレジットカードの受け取りです。パスポートを提示して、無事にカードを受け取りました。試しにキャッシングを試みましたが、問題なくできました。これで安心です。
昼食をとっていますと、T中さんから先生への連絡がきました。かぶり付きに行かれると思っていましたが、昨日と同じ場所での撮影に挑まれていました。あの場所での凍てつく寒さをもろともせずに行かれたとは恐れ入ります。私にはやはり達人の境地に入るのは難しそうですね。
駐在先の广州に戻られるT中さんとは、阜新でお別れです。飛行機ですが、3,000キロの移動です。ご苦労様でした。またご自身のカメラとレンズに限界を感じられたようです。次回の帰国時には、私と同じNikon800Eに買い換えられるそうです。T中さんの熱意とパワーがあれば私には叶わぬ求める映像を撮れると思います。またどこかで同じカメラを持ってお会いしましょう。よろしくお願い申し上げます。
▲ 夜の阜新站内です。列車は25分遅れています。沈阳站からの接続ではなく沈阳北站からの齐齐哈尔行の乗車です。もう1站先まで行ってくれれば良いのですが、このあたりが中国鉄路の乗り鉄旅愛好家には、不便なところです。この路線は単線ですので、列車が遅れる事が多いのは経験済みです。更に遅れないかと心配しましたが、そのままの25分遅れで沈阳站に到着しました。移動にはTaxiにしましたが、乗り場は人民が列をなしています。仕方なく白タク利用で向かいましたが、相乗りで迂回しての沈阳北站着となりました。
▲ 21:55に沈阳北站に無事到着。本線のK549次も6分遅れていて、まだ改札は始まっていませんでした。しかし、「6分晩点」とは、いつから1分単位での案内になったのでしょうか。こんなの見たのは初めてでした。
リニューアルされての沈阳站は初めての利用です。マクド等のファーストフード店もあって、最近の中国鉄路站によくあるタイプに仕上がっていますが、中で待つ人民の姿に変わりはありません。
▲ 阜新からの切符は、硬座だけのローカルですので、阜新に着いてから買っていました。齐齐哈尔までの切符ですが、先生とのコミュニケーション不足で買うのが遅れてしまったので、硬座寝台しかありませんでした。しかし、2枚とも下段が取れましたので、まあ快適でした。大连を17時に出発した列車で途中乗車になります。通常は車内灯の消灯時間を過ぎていますので心配でしたが、乗車した7号車は、沈阳北站からの乗客ばかりで、点灯してありました。これを見ても、各乗車駅ごとに切符が割り当てられていて、車両ごとに振り分けられているのが分かります。
第12日目 1月3日 齐齐哈尔
▲ 7:23、翌朝、齐齐哈尔(チチハル)に定刻に到着しました。左側の駅舎は満鉄が建設、右側は中国建立後に建てられた駅舎です。気温はマイナス15℃と阜新と同じです。駅前広場の地下は商店街になっていて、食堂もありましたので朝食にワンタンを食しました。
【 齐齐哈尔站(チチハル駅) 】
齐齐哈尔の名前は、少数民族ダフール族の言葉で「国境の要塞」という意味だそうです。清朝時代に町になり、ロシア東侵防衛拠点として発展していきました。
満洲里から哈尔滨への鉄路は1903年にロシアにより日東(東清)鉄道として開業しておりましたが、齐齐哈尔站は本線上にはなく、近くの昴昴渓站が齐齐哈尔站と呼ばれていました。ここより齐齐哈尔中心部までの鉄路は、1909年10月にナローゲージとして28.8キロが開業しました。1,435㎜鉄路は、満鉄時代の1928年12月に平齐線の起点站としてナロー路線とは、別線で建設されました。
旧駅舎は1936年6月に竣工されました。中国建国後は横に並んで新しい駅舎が1970年代に建設され、駅機能は新駅に移されました。
古莲に向かう列車の発車は、10:50。十分時間がありますので、街の散歩でも楽しみたいのですが、齐齐哈尔の繁華街は、駅から遠いので出かけられません。軟座待合室で待つことにしました。
軟座待合室は、旧駅舎内にありました。
広くはありませんが、綺麗にリニューアルされていました。満鉄時代は、駅舎の階上はホテルだったそうです。
待合室を見渡しますと隅っこに食器棚が置かれていました。多分、ホテルで使用されていた物と推測します。立派な紋章が彫られていました。満鉄時代の物なのでしょうか?
▲ 10:50、6245次に乗
り込みました。切符は、哈大高速鉄路に乗車の際に大连北站で買い求めました。すぐに売り切れとなるプラチナ切符ですが、齐齐哈尔乗車時は、軟座寝台車に我々2人だけでした。
編成は、DL+荷物車2両+硬座3両+軟座寝台1両+硬座寝台2両の8両編成でした。
古莲までの923キロを22時間26分をかけて各駅停車でゆっくりと走ります。
問題は食堂車がなかったことでした。車内販売は来ますが、温かい弁当はありません。ビールとカップラーメンで過ごしました。
先生も長い旅路にお疲れになったのか、お休みが多くなっておられました。
▲ 夕暮れが近づいた車窓です。ホームにドアがあるホームは初めて見ました。これなら安全ですね。老人や荷物を持った旅行者には、原始的でもあってもバリアフリーが、跨線橋よりずっと便利です。
中国最北端の地とはどんな世界なのでしょうか、楽しみの車中が過ぎていきました。明日の世界を楽しみに今日も夜更けとともに就寝でした。 Part12 へ続く