関先生によりますと、今後しばらくは山陽地方の小私鉄シリーズと言うことで、西村さんはじめ湯口先輩や乙訓の長老様達の出番が多くなるでしょう。
最初は「備南電鉄」という聞き慣れない私鉄です。母の実家が倉敷なので宇野線沿線へは良く出かけましたが備南電鉄は知りませんでした。でもよく読むと玉野市営になった、とのことで、これなら名前だけは知っています。当時は私鉄に興味がなかったため見ることは致しませんでしたが、いまになって悔やんでおります。
後に琴電へ移ったと言うことなので乙訓の長老などはご覧になったことがあるのでしょうか。また、玉野市営では中古のディーゼルカーを購入した、とあるので、これなどは湯口先輩が先週に引き続いてご出座されるかもしれません。よろしくお願い致します。
それにしても関先生の資料はどれほどあるのでしょうか!
おはようございます。
最近の関さんの作品は、ほとんど故牧野俊介さんの世界を思わせますが、牧野さんがたくさん、写真を撮っていない各地の消えた私鉄をイラストに描いておられ、中島の忠さ
んから見せられたことを、彷彿する作風です。
備南→玉野市営(1972/3/31廃止)は、私も朝日新聞社年刊「世界の鉄道」で知った鉄
道ですが、大学の鉄研等の研究でもあまり取り上げられたことが、少ないです。
琴電に移管したのは1964年か65年で、64年3月末で廃止になった熊延鉄道から、2台のDCを譲り受けて、電化を廃止しました。
他者に厳しいことは言えませんが末期的な経営です。
琴電750型、750、760、770の3台は玉野市時代と大きく変わったのは、正面貫通ドアがつけられたこと。
これで、16m級の短躯ながら、少し“美男”に生まれ変わり、見栄えが良くなり田舎臭
さが減りました。
玉野市時代のイラストは、日立製の正面張上げ電車ということもあり、十和田の2400と
設計の共通部分を感じます。
おはようございます。
最近の関さんの作品は、ほとんど故牧野俊介さんの世界を思わせますが、牧野さんがたくさん、写真を撮っていない各地の消えた私鉄をイラストに描いておられ、中島の忠さんから見せられたことを、彷彿する作風です。
備南→玉野市営(1972/3/31廃止)は、私も朝日新聞社年刊「世界の鉄道」で知った鉄
道ですが、大学の鉄研等の研究でもあまり取り上げられたことが、少ないです。
琴電に移管したのは1964年か65年で、64年3月末で廃止になった熊延鉄道から、2台のDCを譲り受けて、電化を廃止しました。
他者に厳しいことは言えませんが末期的な経営です。
琴電750型、750、760、770の3台は玉野市時代と大きく変わったのは、正面貫通ドアがつけられたこと。
これで、16m級の短躯ながら、少し“美男”に生まれ変わり、見栄えが良くなり田舎臭
さが減りました。
玉野市時代のイラストは、日立製の正面張上げ電車ということもあり、十和田の2400と
設計の共通部分を感じます。