tsurukame先輩の151系特急「第2富士」、たいへん興味深く拝見しました。新幹線開業前のこだま型のいちばん華やかな時代ですね。50年前とは思えない、あざやかなカラー発色には驚きました。
よく似た構図だと思って、ネガを探してみると、私も姫路駅で写した、こだま型がありました。ただし、私のはモノクロ、撮影年も、その翌年、東海道新幹線開業後の昭和40年で、新大阪発下関行き「しおじ」です。手前は、狭軌記録163km/hのチャンピオンマーク付きのクハ151-3です。「第2富士」は上りで、「しおじ」は下りですので、ホームは違いますが、上のテルハが同じで、姫路駅と分かります。
姫路駅も完全に高架化されてしまい、半世紀前の面影も全くなくなりましたね。
K.H.生です。
昭和40年10月の時刻表を探してきました。
第1しおじ1003Mは姫路が13:45、第2しおじ1005Mが16:44。
雨の日の光線の加減があったとしても、これはおそらく2便の
第2しおじの広島方面行きの後端だと思います。
下り側の先頭は「パーラーカー」のクロ151ですから。
しおじが2便に増発されたのは40年10月からですので、
それ以前の2009Mは、大阪が15:00発ですから、16時過ぎ、
単独運転の時代のようにも思えます。
カラー写真の昭和39年の、第2富士2002Mの姫路駅の時刻は
14:20で、大阪には15:27、終着の東京には22:00に着きます。
地上線時代の姫路駅構内、線路間に、長距離列車給水用の
注水ホースがずらりと並び、広島駅などでも、東京などから
下り優等列車が滑り込んで来ると、係員が一斉に、寝台車の
床タンクに給水していたことを、思い出します。まさに昭和40年
頃の記憶です。