半世紀前の電車特急 投稿日時: 2013年4月4日 投稿者: tsurukame 1963年1月1日、姫路駅。上り第二富士と思われる。車番を確認しましたがはっきりと読み取れません。クロ151-のあとは、一桁番号のようです。2に見えたり、7に見えたり。7なら翌年に事故で廃車となった車ですから、貴重品である筈ですが。ちょうど半世紀が過ぎ去りました。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 昭和の電車 改訂版(92)ー国鉄クロ151型ー “半世紀前の電車特急”によせて 特急富士の展望車と言えば・・・
クロ151に1度乗ったことがあります。連絡船が混んでおりゆっくりしたいので当時グリーンの船室+900円だったと思いますが、その延長でクロに大阪(終着)まで乗れるか尋ねてみましたらOKとなり実現したのです。リクライニングソファ2列、先頭部の個室はだめでした。四国担当時代で1964年秋だったと思いますが、手帳が見当たらず料金が?です。宇野折り返し大阪11時ごろ到着。その足で国電、京都駅からタクシーで下鴨の実家に帰宅でした。車室にはホステスがおり、おしぼりはもちろん、紅茶とクッキーのサービスがありました。山科の人間国宝さんも乗車されており、その時の切符を所持しておられます。私の切符はどうなったのか、たぶん向日町引越の際に甥にプレゼントしたものに入ったのかもしれません。DRFC現役の頃、羽村、重沢、湯口、沖中の4人はマイテのデッキに床几を置いて、渋団扇で去りゆく景色を目出度いと言っていました。それが30周年のマイテ、55周年は「しまかげ」、これで思い起こすことなしです。 返信 ↓
クロ151に1度乗ったことがあります。連絡船が混んでおりゆっくりしたいので当時グリーンの船室+900円だったと思いますが、その延長でクロに大阪(終着)まで乗れるか尋ねてみましたらOKとなり実現したのです。リクライニングソファ2列、先頭部の個室はだめでした。四国担当時代で1964年秋だったと思いますが、手帳が見当たらず料金が?です。宇野折り返し大阪11時ごろ到着。その足で国電、京都駅からタクシーで下鴨の実家に帰宅でした。車室にはホステスがおり、おしぼりはもちろん、紅茶とクッキーのサービスがありました。山科の人間国宝さんも乗車されており、その時の切符を所持しておられます。私の切符はどうなったのか、たぶん向日町引越の際に甥にプレゼントしたものに入ったのかもしれません。DRFC現役の頃、羽村、重沢、湯口、沖中の4人はマイテのデッキに床几を置いて、渋団扇で去りゆく景色を目出度いと言っていました。それが30周年のマイテ、55周年は「しまかげ」、これで思い起こすことなしです。