杉並木をバックに快走する107系4連 /(25-3-11) 今市~日光
今回のダイヤ改正で、日光線と中央本線塩尻~辰野間(通称辰野支線)の使用車両が全面的に置き換えられた。日光線にダイヤ改正前後の3月11日と25日、辰野支線にダイヤ改正前日の3月15日に訪れたので、当日の状況等を報告する。
〔日光線〕
今回のダイヤ改正で使用車両が一夜にして置換えられた。ダイヤ改正前日まで107系(Mc+Tc)×8本=16両が、時間帯に応じて、2連、4連、6連で昼間2本、ラッシュ時4本で運用されていたが、改正後は205系(Tc+M+M+Tc)×4本=16両となり終日4連になった。205系は元京葉線で使用されていた車両である。
107系4連 / (25-3-11) 今市~日光
205系4連 / (25-3-25) 今市~日光
クモハ107-4+クハ106-4 / (25-3-11) 文挟
今回の改正で2連は消滅した。
クハ204-602+モハ204-602+モハ205-602+クハ205-602 / (25-3-25) 文挟
ヘッドマークが付いたクハ204-603とクハ205-603 / (25-3-25) 宇都宮
クハ205にバリアフリー対応のトイレが設置され、その部分の窓が塞がれた。
宇都宮線の宇都宮(一部小金井)~黒磯間のローカルは、高崎車両センターの211系5連で運行されているが、205系4連6本(1本は日光線と共通の予備車)に置換えられる。現在3本完成しており6本全部揃った時点で一斉に置換えられる予定である。日光線用とは帯の塗装が異なり湘南色である。
ダイヤ改正の初日(3月16日)日光線で車両故障が発生し、完成していた黒磯ローカル用のY8編成が代走した。
205系は小山車両センターに4連10本(Y1~Y10)配置され、Y2、Y3、Y6、Y10編成が日光線用、その他の編成が黒磯ローカル用である。
205系が全車完成していないためダイヤ改正後も211系で運行される黒磯ローカルの211系/ (25-3-25) 黒磯
クハ210-3032+サハ211-3064+サハ211-3063+モハ210-3032+クモハ211-3032
クモハ211-3027+モハ210-3027+サハ211-3053+サハ210-3054+クハ210-3027
【参考】EF8181牽引の訓練車/上(25-3-11)宝積寺 下(25-3-25) 黒磯
〔辰野支線〕
辰野支線のクモハ123-1は、E127系2連(クモハE127+クハE126)に置換えられた。
かねてより「クモハ123-1」が無くなるまでに乗り納めに行きたいと思っていたところ、最終日に休みが取れた。「青春18」を利用して最寄駅4時32分の初発で行くことも考えたが、自宅を4時に出る必要があること、新宿駅で山手線と中央線の接続が悪く、新大久保、大久保間ランニング接続になること等から5時半に出て新宿駅7時発「スーパーあずさ1号」に乗車した。松本から大糸線に乗り、旧形時代に撮影した北細野で降りたが、駅周辺に住宅が増えていた。撮影しながら細野まで戻ったが、駅から徒歩30秒の踏切からでも後立山連峰をバックに撮影が可能であり、最初からこちらにすればよかったと思った。
クモハE127+クハE126/ (25-3-15) 細野~北細野
クハE126-109
あずさ3号
快速「リゾートビューふるさと号」 HB-E301-2+HB-E302-2
【参考】昭和48年3月25日、ほぼ同一地点の画像
クモハ60099他6連
クハ55435他6連
上り334M(新宿23時20分発アルプス7号南小谷行の折り返し)
下り2423M(新宿23時45分発アルプス7号が松本で付属編成が切り離され、普通列車として南小谷まで運行。当時定期の夜行急行列車が上記のアルプス7号と2本運行されていた。)
ED60牽引の貨物列車
松本のチンチン電車バス/京都市バスに「チンチンバス」が存在したが、こちらはズバリ「チンチン電車」と表示されている。かつて電車で運行されていた松本駅~浅間温泉間で運転されている。
昼前まで撮影して松本に戻り昼食後、木曽福島行に塩尻まで乗車。約40分後に発車する辰野行をΩカーブで撮影しようと思って歩いたが、途中で時間切れとなり中途半端な場所での撮影となった。Ωカーブまで行き、もう1本撮影することも考えたが、帰りが遅くなるので駅に戻った。
クモハ123-1/ (25-3-15) 塩尻~小野
複雑な経歴を物語る銘板
警備員の姿も見える塩尻駅停車中
旧塗装時代 / (62-1-15) 平成2年1月 ワンマン改造時に現在の塗装になった。冷房改造は平成5年である。
16時17分発辰野行に乗り、「乗り納め」をした。辰野から飯田線から来た岡谷行、岡谷から大月行、大月から快速東京行と乗継ぎ帰宅した。
塩尻駅では、クモハ123-1最終日の混雑を予想して警備員の方もおられたが、新幹線200系や東急渋谷駅に人が流れたためか、混雑とは無縁の最終日であった。最終便までは確認していないが、お別れのヘッドマーク等もなく、いつもと同じ表情で走り、地域輸送に徹したクモハ123-1らしい静かな幕切れであった。