毎度山陽路の話題で恐縮です。今回は片上鉄道DD13552です。1991年(平成3年)7月1日の営業廃止から22年が経ちました。柵原鉱山から片上港に硫化鉱を運ぶ鉱山鉄道として長大編成の貨物列車や朝夕の客車列車など独特の雰囲気の鉄道でした。廃止時には2両のDD13がいたのですがDD13551は終点の柵原のひとつ手前の旧吉ケ原駅跡で動態保存されています。柵原ふれあい鉱山公園として整備された吉ケ原駅に 片上鉄道保存会や地元美咲町所有の11両が大切に保存され、そのうち9両が動態という優等生の保存鉄道です。今回はこのDD13551の紹介ではなく もう1両のDD13552のご紹介です。JR赤穂線西片上駅の南西500mほどの海岸に旧片上駅跡があります。1面の旅客ホーム、機関区、数多くの留置線、そして貨物船に硫化鉱を積み込むためのホッパー設備などがある広大な駅でした。その片隅に今もDD13552が保存というより 保管?されています。まず直近の平成25年9月9日の状況をご紹介します。
現在の所有者が誰なのか、なぜここに永年保管されているのか 私にはわかりません。現役時代から何度か記録していますので、時系列的にご紹介します。なお古い写真はフィルムスキャナーの不調で見苦しい写真でスミマセン。まず現役時代の昭和44年7月27日 片上機関区での撮影です。
右のDD13556ですが 片上鉄道は4を忌み番としていたようで554が欠番で5両目が556でした。昭和53年に同系列の同和鉱業小坂鉄道に転出し、平成21年4月1日の廃止まで秋田県で活躍しました。さて552の次の撮影は廃止4年後の平成7年5月6日で 片上駅跡です。
このときにはDD13552の他 トラ814、トム519、トラ852やワフ102そして小坂から来ていたキハ802も残されていました。トラ814、トム519、ワフ102は吉ケ原で今も元気です。次なる撮影は約13年後の平成20年10月19日です。
場所は同じく広大な片上駅跡ですが 県道250号線のすぐ横に短い線路とともに移設されていました。うしろに写っているのは物流倉庫で、その関連でしょう 木製パレットや物流器材が前に置かれていました。パレットのかげにワム80000の屋根も見えます。潮風をまともに受ける岸壁のそばで、さすがに錆もまわり 色あせていましたので余命を心配したのですが、更に3年後 平成23年11月7日にはすっかりきれいになっているではありませんか。
パレットの山もなくなり、ワム8もいませんが明らかに再塗装され今にも走り出してもおかしくないような姿にびっくりしました。いよいよ誰の意図でこうして整備、保存されているのかが気になります。どなたか事情をご存じなら教えて下さい。そしてそのあとが1枚目の現状の姿となります。約2年が経っていますので 塗装の劣化は否めません。ただ 誰でもが入り込める場所に何も縄張りもされない状態でありながら、窓ガラスも割られることなく、健全な姿を保っているのは地元の皆さんの品位を感じます。
さてDD13552は1967年(昭和46年)10月 日車生まれで片鉄廃止まで24年間活躍し、以来22年が経って余生の方が追い越すのももうすぐです。吉ケ原で動態保存のDD13551の影武者として部品供給のために残されているのかもしれません。
ところでこの片上にはもうひとつの不思議があります。それは鉱石の積込み設備に登ってゆく築堤の一部が今もこわされずに残っていることです。車両ではない地上設備の対比ですが 併せてご紹介します。まずは現役時代の昭和62年12月28日の状況です。
左端にはオープンデッキの客車、トム、トラの群れ、右側側線には和気から入ってきたコキが見え 活況を呈していた現役時代です。そしてホッパーに登る築堤の右側に白いキロポストがあるのがおわかりでしょうか。これが片上鉄道のゼロキロポストです。このときから24年後 このヤードには多くの建物が建てられて様相が変わっていますが この築堤とゼロキロポストが健在です。
結構頑丈な構築物のため 壊すのにも費用がかかり 当面邪魔にもならないために残っているのでしょう。さすがにレールはありませんが、赤錆びたバラストは当時のままで、犬釘の1本でも落ちていないかと探しましたが見つかりませんでした。そして去る平成25年9月9日時点では 大きなドラッグストアが出来ていて東の方向の景色は一変しましたが、築堤とゼロキロポストは健在でした。
DD13552の行く末も気懸りですが、片上鉄道33.8Kmの起点を示すゼロキロポストが 単なるコンクリート片として廃棄される前に 吉ケ原に持って行って保存すればよいのにと思った次第です。保存車両から脱線してしまいましたが、悪しからず。