遅れましたが、新年おめでとうございます。皆様方は、どのようにお過ごしでしたでしょうか。
私は、同じDRFC-OBのM・T君と一緒に、年末から大地に入り、念願だったナローゲージでSLの走る、四川省の芭石鉄道に行ってきました。芭石鉄道は、中国鐡路とは、直結されていなく、省都成都からも、約4時間以上もかかる、独立した鐡路で、簡単にいける所ではありません。今回の旅も、いつもと同様に、ハプニングと出会いの連続でした。
今年も、身体が動ける限り、国内・海外の鉄道を訪ねて、第2の青春を謳歌するつもりです。その都度、ご報告をさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。
第2日目 2009年12月30日
① 永安里-(1号線)→苹果园-(Taxi)→北京植物園
② 北京植物園-(Taxi)→北宫门(4号線)→西単-(1号線)→永安里
③ 永安里-(Taxi)→北京西站
④ 北京西16:49-(T7次)→翌日18:39成都
昨日、チェックイン後、両替をして、フロントの日本人のご好意で、立替払いをしていただいた、成都への特快T7列車の寝台切符を、受け取りました。普通は、こうはいきませんので、感謝、感謝です。
北京西站発車は、16:49です。充分に時間があります。M・T君に、故宮、万里の長城、天壇公園等々、北京の観光地をあげて聞きましたら、意外や、植物が好きなので、植物園に行きたいと言います。植物園は、市内中心部から、北西へ約20数キロ、新緑や紅葉で有名な『香山』の麓にあります。
久しぶりに1号線の終点、苹果园站にも行って見たいので、案内することにしました。苹果园站は、客扱いでは、終点ですが、Part1の北京地鉄路線図でもお分かりのように、実際は、まだ先に工務員専用の3駅があります。しかし、その詳細は、公表されていなく、なぞとなっています。
回送車に知らぬふりで、乗れるかもと淡い期待もありました。永安里站から18駅目、26キロを乗車して向かいましたが、やはり苹果园站で、降ろされました。仕方ありません。地上に上がり、昔の北京郊外の風情が残る駅周辺を散策後、タクシーに乗って、植物園へ向かいました。
北京植物園は、京都植物園の約200倍もの広さを誇ります。香山を含めると、1日では、とても回りきれません。様々な花木があり、ゆっくりと見て楽しめる所ですが、残念ながら冬季は、枯れ木が見えるのみで、殆ど人を見かけませんでした。
彼は、そんな光景には見向きもせずに、管理事務所を目指します。皆様方もご存知の、数100万年前に地球上に茂った『メタセコイア』、化石としてのみしか見られなかった、この木の原木が、今回向かう四川省に原生林として現存しているので、見てみたいと、思っていたのです。
管理事務所には、必ず学術員がおられるので、四川省の何処にあるのか聞きたいのが、彼の目的でした。
私も、小学校卒業の際に記念樹として、植えた記憶があります。今、世界中に植林されているメタセコイア(中国名;水杉、別名、石炭の木とも呼ばれている。)は、中国の奥深い山の中で、ひっそりと群落を形成し、数100万年の間、残っていたのが発見され、植栽されていったのです。
残念ながら、管理事務所には、学術員はおられませんでした。彼は、『何で、こんな立派な植物園にいないのか!』と、文句たらたらで、出ましたら、道の向こうに中国科学植物研究所がありました。門衛に聞いていると、学生が通りかかり、親切に研究所内を案内してメタセコイア原生林は、今は湖北省となった利川市にあると、教えてくれました。
ようやく満足した彼を急がし、タクシーで近くの地鉄4号線北宫门站に向かいました。ホテルに到着後、預けた荷物を持ってタクシーで約10キロある北京西站へと着きました。
オリンピック開催後も地鉄開業が続いていますが、まだまだ交通インフラが遅れていて、北京西站へは、地鉄がありません。開通は、2012年予定です。移動には、不便を強いられます。
北京には、上海・東北方面へと向かう北京站、内モンゴル方面への北京北站、天津・上海・青島方面への動車(CRH電車)専用の北京南站、そして、香港やチベット・西安等の内陸部へ向かう北京西站と、4つの始発駅があります。
その中でも、香港返還時に、京九鉄道の始発駅として、開業された北京西站は、1日あたり約30万人(西站駅員曰く)の乗降客があり、130本(他に春節・国慶節・労働節休みは、増便有り)もの長距離列車が発車する、最大の站です。ご覧のように17時台には、9本が発車します。
中国鐡路では、発車30分前(長距離列車)にならないと、改札は行われません。それまでは、広いですが、大混雑の列車別の待合室で、待たなければなりません。
ラーメン@13元×2杯=26元 苦瓜料理10元 総額36元=504円でした。
充分時間がありましたので、中国に来たら本場のラーメンを食べたいと言うM・K君の要望で、站食堂へ入りました。確かにラーメンの発祥地は、中国ですが、日本のように、『コシ』のある麺や、美味しい濃厚なスープは、少なく、あっさりしたものです。
訪日中国人を何回も案内しましたが、日本のラーメンを食べて、美味しいとびっくりして、2杯も食べていましたぐらいです。食にうるさいM・T君は、落胆した様子で、以後、麺を食べたいとは言いませんでした。
T7次の改札が始まると、多くの乗客が、これでもかと思える荷物を持って、ホームを走ります。自由席はありませんが、荷物の置き場所確保に急いでいるのです。
いよいよ、約27時間の寝台列車の旅の始まりです。各車両の入口には、若い綺麗な女性乗務員が、待っています。11月に乗車した、深圳から沈阳までの43時間も乗車した列車は、全て男性乗務員でしたので、全く違っています。
軟座寝台コンパートメントのドアには、ホテルによくある札がかけてありました。こんな列車は、初めてです。
私達の乗車する軟座寝台車は、10号車です。隣は餐車(食堂車)で、20両編成の真ん中です。軟座寝台は、1両のみで、後は3段の硬座寝台と、硬座車(2+3の普通座席車)です。4人コンパートメントの同室客は、30歳台の女性2名でした。
職業は、軍人で、北京に勤務しているが、休みを取って、郷里の成都に帰省すると言っていました。少しお話をしたいと思いましたが、彼女達は、日本と同様に、寝るまで、お互いの話に夢中でした。
発車してしばらくすると、軟座寝台専用乗務員が、検札に来ました。乗車前にもありますが、再確認と身分チェックです。中国人は、身分証明証、外国人は、パスポートの提示を求められます。乗務員は、座席番号表に氏名、住所と身分証、あるいはパスポート番号を記入します。そして、切符と引換えに座席カードを渡します。下車駅近くになると、起こしてくれ、切符と交換します。途中駅下車の乗客にとっては、まことにありがたいシステムです。
北京西站を定刻に出発した列車は、15分もすると、車窓は、市街地から農地の広がる、淡々とした風景に変わっていきます。勾配もカーブも少なく、列車は、ひたすら南下を続けていきます。海外は初めてのM・T君は、車窓に釘付けで見入っていました。
長距離列車の旅の楽しみは、餐車での食事です。今夜のメニューは、ジャガイモの千切りのピリ辛炒め、苦瓜と溶き卵の炒め、きゅうりと椎茸、揚げ卵入りスープです。味は、絶品! ご飯は、お代わり自由です。ビール2本を入れて、総額56元=784円! この味で,、このボリューム、そして、この安さ、信じられますか!!
列車乗務員も全て、交代で、餐車内で食事をとります。左側が、列車乗務員用の夕食です。これも美味しそうです。右側は、予約席の表示です。
21:30、小腹が空いたとの彼の要望で、餐車に行ってみました。普通ですと、この時間は、営業終了ですが、まだ飲食中の、お客がおられました。餐車専用のウェートレスは、勤務時間務終了で、換わって、我々の車両等の列車乗務員が接客をしています。
今まで、多くの中国鐡路夜行列車に乗車しましたが、これは、初めてです。T7次は、成都鐡路局管轄でした。各鐡路局によって、対応が違っているのが分りました。
T7餐車の驚きのメニュー! 8頁に記載された、中国4大料理の1つ、四川料理の数々は、40種類近くあります。 『川菜』と書いて、四川料理と訳します。四川料理は、辛いのが代名詞ですが、そんなことはありませんでした。その美味しさに、復路も利用しました。まさに、走るレストラン! こんな食堂車、見たことありません。皆様も、是非にご利用してみて、味わって下さい。
驚きは、メニューの多彩さです。大概は、紙に手書きした4~6品程度でしたが、T7次では、一般のレストランと同様な分厚いメニュー(中国名;菜単)を、持って来ました。聞くと、その殆どが出来ると言います。野菜中心に注文しましたが、味は、街で食べるより美味しいぐらいです。
先月、北京西→武漢に乗ったCRH5の列車の電子レンジでチンの車内弁当とは、偉い違いです。餐車の営業は、10:30を過ぎても、まだ続いていました。
Part3 へ続く