新春から鉄道写真三昧 (2)

初詣は阪堺電車で

初詣風景と電車の取り合わせができるところと言えば、関西では阪堺電軌の住吉鳥居前ぐらいになってしまった。かつては、京都市内でも祇園や四条京阪などがあり、正月になると足繁く通ったものだ。
折りしも阪堺にはグリーン・クリームの竣工時の塗色に復元されたモ501形が走り出した。特派員は、正月の住吉大社は初めてのことだが、電車好きの乙訓の老人は毎年住吉詣でを繰り返したと聞く。しかし、今年は孫の世話で忙しく、電車どころではなかったらしい。
南海本線住吉大社駅から続く参道は人で埋め尽くされていた。阪堺電車も大増発で、最近新設された、天王寺駅前から浜寺駅前への直通系統もひっきりなしに来る大輸送。降車、乗車を分け、自動車を締め出した臨時安全地帯から降りた客は住吉大社の太鼓橋へ向かっていく。非冷房車で冬季限定となったモ161形も、大形の車体を買われての大活躍。
堺市内中心部のLRT計画が持ち上がり、阪堺と一元化する計画が進展して阪堺にも一時は光明が射し込んだかに見えたが、LRT計画中止を唱えた新市長が当選したことにより、計画も頓挫してしまった。正月だけとはいえ、悲観的な将来を吹き飛ばすような繁盛ぶりに心強く感じたものだった。、

次々に来る電車。路面電車全盛時代を思い起こさせる

デビュー当時の塗装に戻されたモ501形、504、505が年末から走る

最古の現役路面電車、モ161形も大活躍

南海住吉大社駅から人波をかき分けるように進む阪堺電車が望める

新春から鉄道写真三昧 (2)」への1件のフィードバック

  1. またもや登場、皆さんのディスプレイの壁紙に、老人が平身低頭している姿がないでしょうか。実は年賀状で大スカタンをしております。京阪電鉄が和歌山支店を設置して、路面電車経営したのは1922.07~1930.05間であります。年賀状を御受取いただいた方は再度、ご覧いただきたいと存じます。いよいよ呆けて来たようでございます。昨日昼に気付きました。ご容赦ください。
    さて、【6240】で紹介されたように、路面電車同好会入会の翌年1989.01.02から住吉詣で開始となった。2002.01.02は息子がは花嫁持参で帰京したので出来なかった。それ以後2度だけ詣でただけである。特派員撮影の写真3枚目、162号の姿がある。南海緑一色の姿、この色に復元した時のスポンサー平芳資也さんの笑顔が浮かんできた。最初の初詣の時、路面の会有志は屋台新年会を催した。その翌々年だったと思うが、居酒屋へ場所を移した時に平芳さんも参加するようになり「南海太郎」の名前で紹介された。吉川文夫さんがなくなる少し前に亡くなった。
    太郎さんのコレクションはすごい!と聞かされていた。その遺品はどうなったのかと思っていたら、関西鉄道研究会のメンバーから年賀状代わりに「南海電車展」のパンフレットが送られてきた。その内容は太郎さんの遺族が天理大学付属「天理参考館に寄付されたコレクションであることが分かった。
    本年1月5日~3月8日の間、公開されています。休館日などの記載がないが、詳しくはTEL 0743-63-8414、FAX 0743-63-7721、に問い合わせると良いと思う。またはhttp//www.sankokan.jp/となっています。

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