今日は、阪神大震災から、15年目を迎えました。私ごとで、申し訳ありませんが、当時、私は勤務していた会社の神戸支店の責任者として赴任して、業務も順調で、意気揚々としていましたが、突然の惨事に啞然とするばかりでした。
鉄道網もズタズタとなり、5日後、三田からの神戸電鉄が開通したので、地下鉄新神戸駅圣由で、市内へと、行く事が出来るようになりました。徒歩で、三ノ宮に近づくにつれて、目の前に拡がる光景は、想像を絶するものでした。
高校生時代にも予兆がなかった突然の心臓発作で倒れ、10分搬送が遅れたら死んでいたと言われた経験を持ちます。人間、何処でどうなるか分らない。人生は、1回のみ、一瞬一瞬を大切に生きようと、あらためて思った日でした。
こんな日に、神戸と同様に、四川大地震で大被害を受けた地の、紀行文を書くのは、自然と力が入ります。
第4日目 2010年1月1日
① 成都クラウンプラザ8:30-(チャーター車)→13:50石渓站14:30-(観光列車)→15:08蜜蜂岩站15:20-(観光列車)→16:20黄村井站
② 黄村井站17:35-(観光列車)→石渓站18:45-(チャーター車)→19:15犍為天波大酒店
15:20、地形上、カーブできる土地がなく、やむなくスイッチバックとなった蜜蜂岩站を発車しました。進行方向を逆に変えた列車は、Y型になったポイントを渡り、石渓から来た線路を左に見ながら、山の斜面に沿って、大きく右にカーブします。そして、路線最大の36.14‰の急勾配を必死に駆け上がっていきます。
短い手掘りの後が残る、第5トンネルを抜けると、右手に絶壁の高い岩壁が見えます。欧米ファンが好む撮影地です。この辺りからは、カーブまたカーブで、ゆっくりと登り坂を走ります。
15:30、蜜蜂岩站から3.2km、左手に春には、菜の花が一面に咲く、段々畑で有名な撮影地の大カーブを、左に大きく曲がりますと、菜子埧站がありますが、通過します。人家も多くなってきました。
▲ 15:38、菜子埧站から2.0kmを走り、列車交換できる仙人脚駅に到着しました。ここで、石渓站を30分前に出た定期列車の折り返し便と交換待ちで、しばしの停車をしました。
ホームはありませんが、線路横には、駅舎と間違う雑貨店があります。駅の周りには、集落が広がっています。
15:53、定期列車が出た後に、発車しました。
15:58、コンクリート造りのトイレとホームが見え、停車しました。付近に人家がないので、定期列車では、停車しない、観光列車のみの站だそうです。
胡小姐が、みんな降りて撮影しますと言いますので、降りますと、列車は、築堤を逆走して、警笛を鳴らし続けながら、勢い良く煙とドレインを出して、戻ってきました。陽がさして、運が良ければ、ドレインに虹が出る、芭石鉄道一の撮影ポイントとなっています。
お立ち台も整備されていて、全員がカメラを向けます。残念ながら、この日は、曇っていましたので、虹は出ません。
観光列車のみのサービスですので、こられる方には、乗車をお薦めします。3月には、段々畑は、菜の花が咲き、右上の站の壁の写真のような光景が拡がるそうです。
16:08 交換設備のある焦埧站を、最徐行で通過しました。站を過ぎると。使われなくなったホッパーを左に見ながら、加速していきます。しばらく行くと、かなり長い第2、第1トンネルを連続してくぐりました。通過中、車内は、真っ暗です。時折、トンネル内の裸電球で、車内が明るくなりますが、一瞬です。
▲ 站に掲示されていた時刻表です。1日4便の定期列車です。芭溝站か、蜜蜂岩站近くの宿に泊まらなければ、効率的な撮影は難しそうです。
16:12 トンネルを抜けると、直ぐに芭溝站に着きました。ここで、大多数の乗客は降りていきます。
かつて、芭石鉄道は、国営の嘉陽集団により沿線炭鉱開発の輸送として、1959年に開業されました。最盛期には、10,000人余りの炭鉱休業者家族が居住した町でしたが、炭鉱閉鎖によって、会社も去り、今では約3,000人に衰退しました。
職を失った労働者は、出稼ぎへと出て行き、老齢者の町となっています。そのため、古い町並みと芭石鉄道を観光名所として、売込みを図っています。
16:14 終着駅に向けて、芭溝站を発車。眼下に古い町並みを見る事ができます。
16:20、運行表の定刻に5分遅れて、黄村井站着でした。残っていた観光客は、ホームから橋を渡って、炭鉱服に着替え、炭鉱見学ツアーへと行きます。観光料金は、50元(=700円)だそうですが、我々は、何の興味もないので、パスしました。
胡小姐は、ここから芭溝站まで歩いて、芭溝の古い町を散策に行こうと誘いますが、我々の興味は、線路の先に見えるホッパーと、その上にあるトロッコ集団です。こちらを選択しました。
帰りも来た観光列車に乗らないと、次の一般列車は、18:45です。発車時間は、17:20と、確認して向かいました。
登ってみますと、トロッコしと、ナローゲージより狭い380㎜の軌道がありました。
インクラインは、石を上に上げるようになっていましたが、はっきりとは、分りません。
ホッパーは、上のトロッコから石炭を落とす原始的な物で、トロッコを見ていると、炭鉱の責任者が来て、相棒が質問する事に答えてくれています。こういった時は、通訳がいると、詳細を聞けるので、ありがたいです。私の片言では、通用しません。
この炭鉱は、この地区でも最も古い物で、トンネルの壁は、石造りです。この先、1500mが採石現場だそうです。
▲ 相棒の撮影です。かれは、こんな風景を気に入っていました。
17:35、炭鉱見学者が、遅くになったので、定刻を15分遅らせての発車です。列車は、日暮れが近い帰りの坂道を下りていきます。
18:08、芭溝站以外の途中站は無停車で、定期列車が交換待ちをする、蜜蜂岩站に到着。
18:11、定期列車が、黄村井に向けて発車した後、大急ぎでSLの方向転換を行い連結して、下山しました。
▲ 18:28、躍進站到着。18:30、躍進站発車、18:45、定刻には15分遅れで、暗闇になった石渓站に着きました。往路は、1時間50分。復路は、1時間10分の芭石鉄道全線19.8キロ乗車の旅は、終わりました。
相棒のたっての希望で、羊肉料理店に入り、食べた夕食です。羊の内臓と地元野菜が入った鍋料理です。味は、彼のご両親の出身地沖縄の料理と、全く一緒で美味しいと、うんうんと、言いながら食べていました。
今夜の宿は、基本ツアーでは、楽山市のホテル泊でしたが、前もって、石渓站に近い、犍為のホテルに変更しておきました。石渓站前からは、チャーター車に乗って、約30分で、天波大酒店に着きました。
3つ星ホテルですが、部屋に入ると、窓が開けっぱなしで、寒く、また、バスタブなしで、ぬるいお湯のシャワーです。亜熱帯に属して、冬でも10度前後で、京都よりは暖かい所ですが慣れてくると一緒で、夜間は寒く感じます。寛容な性格の相棒も、これにはクレームを入れました。
明日は、9:30石渓站発の第2次に乗車して、今日決めた撮影地を目指します。胡小姐には、今日と同じく、8:30ロビー集合と打ち合わせをして、早め、ベットに入りました。 Part7 へ続く