第5日目 7月13日 その2
ノグリキ駅に戻って、公安に見つからないように撮影ポイントを探します。駅の南側の木々が切れた辺りはホームからは見つからず、良いだろうと決まりました。一旦駅に引き上げて直前まで現場に行かず、カメラはバックに入れた状態で待機しました。▲ 16:45 定刻にノグリキを発車したТГ16-081号機牽引の11両編成の№604列車、こちらは13時間51分をかけてユジノサハリンスクに向かいます。表定速度は44.22km/hとゆっくりです。
▲ 公式HPからの時刻表です。
▲ ノグリキ駅に掲示されていた時刻表です。停車時間が表示されているのが素晴らしいかな。何と30分もの運転停車があります。
▲ 駅前に止まっていた厳ついバス。泥沼にも対応できる4輪駆動のオフロード用です。KAWA3とのエンブレムがありましたが製造はどこなのでしょうか。
▲ 20:10 発車40分前にホームへの入場が開始されました。
私たちの車両は8号車です。
ТГ16-052号機牽引の№2列車の編成です。先頭から、
⑨10746+⑧10761+⑦21032+⑥10795+⑤10548+④11124+③05548+②055563+①11108です。それぞれ099形の頭数字が付いています。▲ 往路と同じくE-チケットのきっぷです。
▲ 寝台車の設備です。ベッドから通路壁まで約25㎝の空間が設定されているのが今まで乗車した寝台車と違った点です。4人用コンパートメントは1車両9室があり、定員は、36人です。
▲ 日没は、21:33。黄金色に西の空が輝く中、森の中に太陽は沈んでいきました。私の同室客は往路と違って若いお嬢さん2人です。昨夜部屋でビールを飲んでいましたら車内は禁酒ですと警備のため添乗していた公安官から言われてびっくりしました。今日は乗車前にあえてビールを仕込むのを止めましたが、同室のお嬢さん方はビールを持ち込んで飲みだしました。知っていて飲んでいるのか、知らないのか、どっちだったんでしょうね。
第6日目 7月14日 その1
▲ 翌朝 8:52、定刻にユジノサハリンスクに到着です。
▲ ヤードの向こうに今まで隠れて見えなかったD51-4号機が見えました。
▲ 1番線ホームからの出口は1カ所、地下道への階段横からです。ヨーロッパスタイルの車内改札でホームへの出入りはフリーかと思いましたが、入場は時間制限されています。
▲ 駅横にある郵便局の車たちです。左上はよく見た現地産のワゴン車、ボンネットスタイルのトラックもまだ現役であります。
▲ 日本時代の古いレンガ造りの建物が続きます。壁面は鉄道貨物の広告のようです。
この先は樺太鉄道の屋外展示博物館なのですが、今日は施錠されていた入口の門が開いています。顔を合わせた責任者とおぼしき方が手招きしておられますので、改めて中に入って撮り直しの撮影することにしました。
▲ アレキサンドロスクで走っていたナローゲージの蒸気機関車です。
銘板では1937年製造となっています。
後の構造物はシールド工法トンネルの断面です。日本とロシアの比較が分かります。
▲ こちらは「オハ─ノグリキ狭軌鉄道線」で活躍していたDLと客車たちです。
▲ レールを持ち上げるクレーン車かな。
▲ かなりの重量物を吊り上げる能力あるクレーンが付いた操重車。保線や車両の事故復旧等が出番だったのでしょうか。
▲ ロータリー式除雪車は日本製です。
▲ JR東日本から無償譲渡されたキハ58495です。従来のDCの保守部品がない時期(1993年~2000年)につなぎ役として短い間でしたが活躍しました。
▲ こちらのロータリーは外板からして日本製ではない。圧雪の壁になっても削っていくタイプのようです。
▲ 今も現役で活躍中のТГ16 形ディーゼル機関車
ですが、なぜか展示されていました。
◀ 台車が特殊です。
▲ ジョルダン車?、軌道敷設時にバラストを整地する車なのか?いずれにしても迫力ある作業車です。
▲ 車輪はなくキャタピラのクレーン車、鉄道建設に使用されたのか?
▲ 展示会場におられた作業員の方々は車体の塗装やレンガ舗装の掃除を丹念にされていました。もう2、3日後であれば塗装の終わった車両が撮れたでしょうに残念です。
▲ 9:23 №6303列車の近幌(ちかぽろ)行きが発車してきました。丁度撮るにはいい場所ですのでシャッターを切りましたが、機関車はТГ16形の片運転台1両と客車も1両の編成です。
復路はどうするのでしょうか、近幌駅にはデルタ線か転車台でもあるのでしょうね。
9:55 踏切近くまで来ると列車の接近を知らせるベルが鳴って遮断機が下りました。慌てていくとDC2連が走ってきました。この時刻に発車する列車はないはずですが・・。 Part 11へ続く