【美瑛町幸町4丁目 ライダーハウス】
スヤ52 2 43.587131, 142.476125 2016年8月16日撮影
◆スロ51 8(1950年新製 近車)→(1951年度改造 五稜郭工)スロ52 4→(1970年改造 旭川工)スヤ52 2→1986年廃車。
美瑛神社鳥居の交差点西にあるライダーハウス「蜂の宿」で「電車式 大衆居酒屋 安宿付」と看板をあげている。「蜂の宿」の宿泊客のサロンである。日が暮れたら営業開始で、飲み放題90分1000円の由。ちょうど夏のシーズンで、この日も若者のバイクが多数駐まっていて賑やかだった。西村さんの【92202】「いなでん」のように鉄道車両は何でも「電車」というのには複雑な気持ちがあるが、オーナーは若い気さくな人で、車内の撮影も快諾を得られた。現車はシートピッチが狭く評判の悪かった特ロで、その後診察室・レントゲン室・暗室等を備えた保健車に改造され、最初は釧路局のち旭川局で職員の巡回検診をしていた。スヤ52のうちでは珍しく出入台を増設し、1-3位側中央の窓が一部塞がれている。保健車時代にあった出入台下の大きな踏段は撤去されている。
駅を出るとすぐに住宅地で、高い建物は無く、広いとはいえないが瀟洒な一戸建てばかりである。雪国なので余計な塀が無く、家屋が綺麗に見える。各家屋の目立つ箇所に4桁の数字がそれぞれ書いてある。途中に交番があったので聞くと、居住を始めた西暦年を表示しているのだそうである。何か意味があるのかもしれない。美瑛駅から徒歩片道20分で往復したが、美瑛駅周辺は中国人が圧倒的に多く、日本人が少なかった。駅も石造りで見慣れない駅舎だし、大袈裟でなくここが日本とは思えないやかましさであった。駅の案内放送も日本語、英語、中国語でやるので、長くて聞いていて疲れる。駅前の駐車場には観光バスが2,3台いたが全部中国人団体で、富良野・美瑛ノロッコ号⇔観光バスの乗換駅になっていたのである。
▼富良野・美瑛ノロッコ号 ホームで待っているのは殆どが中国人で、観光バスでやってきてノロッコに乗車し、下車した団体は駅前の観光バスでラベンダー畑へでも行くのか。何故か大きなスーツケースを持ち込もうとしたり、行儀の悪いのもいる。
車体の色も屋根も違うといえども、窓の並びは変わらず・・・そこにシートがあって、座って旅をする・・・特ロなんて・・・思っただけで、えぇな~!1
現役時代の写真を探しますが、何しろ北海道で、数回しか行ったことが無いためなかなかビンゴ!とはいきません。前後賞ならいい方で今回もスロ518にスロ513が、スロ524がスロ529がカスる程度です。残念!!
生粋の北海道仕様車ばかりではなく、内地から転じた客車もありますので、期待しております。
井原さま
何点かコメントをさせて下さい。美瑛駅前の建物に付番された数字は仰せのように西暦だと聞きました。聞いた話では都市計画というほどのものではないようですが、建築年(商店は開業年)を明示すること、道路幅を確保するため一歩後退して建築すること、景観を一定のレベルに維持するため相応のデザインとすること、等の申し合わせがあるということでした。
美瑛駅の駅舎は地元産の美瑛石といわれる石材を利用したということです。石造りの駅舎は珍しいですね。
ノロッコ号は今や中国人観光客御用達列車になりましたか。もう7~8年前頃でしょうか、小生が乗車した際にも辟易した覚えがあります。中国の人は傍で聞いていると、まるで喧嘩をしているかのように声高で話し、まして殆どがグループ行動をしているので、綺麗な車窓を静かに観ながら旅をしたいのとは全く相いれません。指定席に座ろうとしたら先に勝手に座っていたり、グループで通路を塞いだりと、マナーの悪さが目立ちました。当時はまだ大きなスーツケース等を持ち込んでいなかったので、現在よりは少しはマシでしたけどね。まあしかし考えてみると、日本人も昭和30年代から流行りだしたJALパック等による海外旅行では、やはり似たような現象があったようです。農協等の団体ツアーに現地の人が眉をしかめることが多かったとか。欧米並みにマナーが良くなるにはやはり時間がかかるようです。
都市計画があるのですか。道理で無秩序でバラバラな印象ではありませんでした。
ひと頃は「ノーキョー」という表現があったのを思い出しました。