昭和の四条通、四条京阪前から、祇園へ向かうことにしました。四条通には昭和47年まで市電が走り、祇園まで行けば、外周線が昭和53年まで見られました。祇園の交差点に建つ八坂神社の西楼門石段から見る光景は、京都市電の格好の写材を提供していました。とくに、人で埋まる初詣のシーンを求めて、廃止前の数年は必ず訪れたものでした。▲石段から見下ろすと、外周線の市電と人出が、うまく俯瞰できた。交差する四条通は明治まで狭い道路幅だったが、明治末期に京都市は近代化の三大事業に着手し、そのひとつが四条通など主要道路の拡幅と市営電車の経営だった。四条通は市営電車の第一期線として明治45年に開業した。当初の停留場名は「祇園石段下」で、昭和20年ごろに「祇園」に改称されている。昭和47年に廃止された。
▲米手さんは、京都で着物姿は外人だけと斬られ、至言だと納得したが、当時は日本人の晴れ着姿が多く見られた。
▲京都駅方面に向かう南行きの停留場は、とくに乗客が多く、6号系統には長い列ができた。やっと乗れても、クルマの大渋滞で、京都駅までは難行だった。
▲こちらは「臨」の西大路七条行き、6号系統の集中を分散するため、七条烏丸で下車すれば京都駅前へも徒歩連絡している特製の板を付けている。
▲四条通は少し前に廃止されており、クルマで埋まってしまっている。この交差点名は「祇園」に違いはないが、行政地名には祇園はない。市電時代は「祇園石段下」、短縮して「石段下」も通りが良かったように思うが、次第に聞かれなくなった。これは、開業時の市電停留場名は「祇園石段下」であり、市バス停留所名も四条線時代は同様だったが、改名により次第に廃れてしまった結果だろう。
▲右に停留場標識が二つ見えるが、「祇」の偏が違うことが分かる。「しめすへん」の「示」と「ネ」の違いだ。「祗」は表外漢字のため、表記に揺れがあり、どちらでも正解ではある。まだ手書きが主流だった市電時代、「しめすへん」の新字体は「ネ」だから、市電停留場名も「ネ」だった。しかし次第に「示」が圧倒的になる。これにはパソコンで文字表現する時代背景がある。パソコンのフォントは、JIS規格コードに拠っているが、平成16年に168字の字形変更が行なわれ、「祇」は、「ネ」から「示」に変更された。現在では、あたかも旧字体を思わせる「祇」が逆に主流になった。写真は、両方のフォントが混在する珍しい光景である。「祇園」の駅名を持つ福岡市営地下鉄、JR久留里線も同様の「祇」である。そんななか、京阪電鉄が四条駅を平成20年に改称した際、敢然と「ネ」の「祇園四条」と名乗り上げた。改称の告知パンフにも「“ネ”が正しい」との注釈を添えている。
▲外周線の東大路通は、このとおりのクルマの混雑で、もはや歩いた方がずっと早いのは、市電時代も現在も変わらない。
祇園の「祇」にまつわる話は知りませんでした。
知識を頂き感謝!
テッチャンの本来の姿はこれですね。なんにでも広く興味を持って知識を吸収する、そして使うべき時にさりげなく披露する、それをみんなで共有する、これに尽きます。ありがとうございました。
最近は、「鉄道文字」に関する記事・著作が見られますね。私も文字にかかわる仕事をしていたので興味を持って眺めています。米手さんは、かねてから、鉄道には、すべての知見が詰まっている、そのためには、社会のあらゆる事象を吸収しないことには、一流の鉄道趣味人とは言えないと諭されています。まさに至言と言えまする
さて、「祇園」の書体変更のきっかけになった、平成16年のJIS規格コードの変更内容を改めてみますと、「祇」以外にも、「鯖」「榊」などがありました。そのため北陸線では「鯖江」、近鉄では「榊原温泉口」と駅名表記していることが分かりました。なぜ、このような旧字体を思わせる書体に戻したのか、よくわかりません。
1900生さんへ
今日乗ったタクシーのドライバーさんが10年前まで京阪の運転士をしていたと言うので“おけら火”を聞きました。
確かに地下化したときは持ち込み禁止にしたけどお客から「阪急はいいのに・・」との苦情が出て、今は元旦朝まで可能になっているとのことでした。運転士会長をしていたときにネクタイピンとカフスボタンのセットをつくったところ東京の私鉄から注文があったとか。
米手作市さま
貴重なお話をご披露頂き有難うございました。明け方まで認めていたとは知りませんでした。やはり阪急さんはOKだったのですね。
米手作市さま
『おけら火』、久々に聞きました。
遠い昔、母が存命時に彼女の娘時代の話の中で、オケラ詣りでオケラ火を『縄に移して』クルクル回しながら家まで持ち帰った話をよく言っていました。
彼女は娘時代を修学院で過ごしており、幼少時から小生は京都の話を良く聞かされました。
図らずも貴殿のコメントで『オケラ火』を思い出させていただき、同時に老いの真っ只中にいる自身の幼少時を懐かしく思い出させてもらいました。
『鉄』からは脱線した話でスミマセン。
河 昭一郎様、
余談ですが、最近まで“おけら”の意味を知らずにいました。
螻蛄(おけら)虫と無病息災の縁起物がどう結びつくのか分からなかったのですが、ひょんな事で“白朮(おけら)”と書く植物のことだと知りました。
胃の病に効く薬草だとかで、これを種火にして雑煮を炊くと一年間健康でいられるとの言い伝えから“おけら火”が始まったそうです。『鉄』からもっと脱線してしまいました!
総本家青信号特派員さま
昨日は遅くまでお疲れでした。楽しいひと時を皆さんとご一緒出来て楽しかったです。
さて、市電・市バス「祇園」の停留場名称変更の件ですが、交通局が発行した公式文書【『交通事業成績調書』または『事業概要(月報)』】によると次のことが判明しております。
停留場名称:祇園石段下 → 祇園
・市電:昭和27年6月1日
・市バス:昭和47年1月23日
市電の改称は意外にも早かったのですが、市バスの方は、四条線廃止時に変更となって現在に至ります。てっきり同時に改称していたと思っていましたが意外でした。