世間ではコロナ禍で不要不急の外出を避けるようにとのことで、私もコロナに感染してはいけない事情がある為、家でおとなしく過ごしています。主に学生時代に撮ったモノクロネガフィルムはデジタル化が終わっていたものの、ポジフィルムが200枚ほど手つかずで残っており、こちらのデジタル化を進めることにしました。駅撮りに近いものが多く、色も劣化していますが、50年近く前のカラー写真ということに免じて紹介させていただくことにしました。↑ 三山線羽前高松駅
1974年最後の夏合宿に合わせて山形交通を訪れたときのものです。卒業のゼミが忙しく夏休みは盆をはさんで2週間くらいしかありませんでした。当時の記録を見ると8月17日大垣発の夜行で出発、東京から常磐線、仙山線経由で山形に行き、左沢で泊まりました。最初の予定では栗原電鉄に行く予定でしたが、この年の11月に山形交通の2線が廃止になるとのことで急遽訪問することとしました。
まずは三山線の出る羽前高松に行きました。当時の時刻表を見ると、8時台に2本、次が10時台でその次は13時までありません。8時頃から撮り始め、羽前高松10時14分の到着を撮った後、糠ノ目に移動し終点の高畠まで行って3時間ほど撮影をしています。この後、五能線で行われた合宿に参加しました。↑ 三山線羽前高松-新田間の112号↑ 同じく羽前高松-新田間
↑ 前の写真と同じところで正面から撮りました↑ 高畠線糠ノ目駅?
↑ 高畠駅?
↑ 当時の終点高畠駅。高畠から先、二井宿までは既に1968年10月に廃止されていましたが、駅名標には次の東高畠が書かれたままになっています。↑ 高畠駅。石造りの立派な駅舎で車両と共に今も保存されているようです。
あまり予備知識なくただ撮ったというだけですが、山形交通三山線についてはデジ青2014年2月17日に乙訓の老人さんが、同年3月4日に藤本さんが、また高畠線については2015年11月12日に乙訓の老人さんが詳細の訪問記を書かれていますのでご覧ください。
山形交通三山線と言えば室町BOXにあった「ハレハレ写真集」か何かに貼り付けてあった梯子をぶら下げた電車。そして、長崎弁と山形弁と〇△弁が飛び交う「ハート13、副官マイティー」とタバコのにおいが混じり合った怪しい密な空間が思い出します。
そうですね。三密の典型でおまけにたばこの煙が充満してとても健康的な雰囲気ではなかったですね。それでも何か居心地の良さがありました。ところで「ハレハレ写真集」、何年か前に写真展の準備で新町BOXに行った時に、当時のアルバムがそのまま本棚に立てられていたのを見つけました。但し我々より上の世代の写真ばかりで、新しく付け加えられたものはなかったように記憶しています。昭和40年代と50年代で雰囲気はだいぶん変わったように感じました。
大津のハチロク86様
よく撮られましたね。有難うございます。ローカル私鉄にあまり興味がなく山形交通も撮らずじまいでした。後年栗原電鉄のディーゼル化後は行っています。文中高畠駅が出てきますが、大人の休日俱楽部の日帰りコースで高畠にも行くようなリました。駅に温泉があり、入浴したことあります。駅付近には山形交通と思われる線路跡があったように思います。山形交通とは全く関係ありませんが、高畠駅を出て新庄に向かう「とれいゆとつばさ」E3系の後追い姿です。
準特急様
今回時刻表を見て、糠ノ目が新幹線も停まる高畠になったのだと知りました。高畠の町の中心は当時の山形交通高畠駅で、糠ノ目駅は単に国鉄線との乗り換えで駅の周りには何もなかったような記憶があります。今は駅に温泉があるのですか。旧高畠駅には電機と電車、貨車が駅舎と共に保存されているそうなので、是非訪問したいと思っております。
鉄道ブログを見ていても、今までガンガン撮られていた方も、さすがに昨今の情勢に鑑み、活動を自粛されて、昔のネガ・ポジのデジタル化に励んでおられると聞きました。昔を振り返る、いい機会でもあるのですね。デジタル化のなかでも、カラーポジは変色・褪色があって、いちばん難しいものです。変色は復元は困難ですが、褪色は、全体が均等に褪色しているのなら、修整ソフトで「濃く」にしてやると、割とマシになりますよ。
今回はすべてのポジフィルムを同じ設定でスキャナーの退色復元モードでデジタル化しました。一部の写真はphoto shopで加工しようとしましたが、山形交通の写真は全体に露出オーバー気味だったのでなかなかうまくいかず、やはり元の写真が良くないとだめだということがわかりました。また、別の写真で挑戦してみることにいたします。