KAWANAKAです。
そろそろ我が関東の故郷になってしまいそうな佐倉点描でもと思っていましたが、YHや西村氏の投稿に刺激されて九州の写真を探しました。そこに吉都線など南九州があるはずなのですが、引越しを重ねるうちにどこにあるのかわからず、その代わりこんな写真を見つけました。アルバムに整理する途中だったようですが、編成の記録などはどこかに紛れ込んでわかりません。録音テープも行方知れず。
年代の人は、懐かんで見てもらえれば幸甚です。大きな1枚窓を開放し風を全体に浴びて旅の空気に浸り、見知らぬ人との出会いやハプニングを楽しむ。夜明けの寒さに目覚め、ホームの洗面で葉を磨く、こんな古き良き旅を思い出した訳です。
また、いささか汚い写真は多いのですが、何せ写真をスキャン/取り直ししての掲示なのでご容赦を。また、だらだら長いですが、それくらいの旅程と思えば容赦いただけるかなと思います。
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ダイヤ改正が間近に迫った金曜日、大阪から大垣経由で東京着、ここから長駆鹿児島を目指します。今まで乗った桜島高千穂(昔はこの名前ではなかったが・・・)とは違い、食堂車もないので、これからずっと4食駅弁にお世話になります。
東京駅12番ホームです。当時は一般的なゴハチの牽引です。入線した客車の先頭に立ち、いよいよ出発。
沿線ではカメラを向けている人がいます。車内放送を録音している人もいます。そんな中を東海道をジョイント音も高らかに一路西下します。
熱海を過ぎると興奮は一段落、変化の少ない東海道をひた走ります。
昼になったので東海軒の駅弁を買っています。小生はこの時期が東海道で駅弁の購入した最後位になりましょう。名古屋の中村屋の弁当の包みはいつも面白いですが、このときはそこまで腹持ちがせず途中での購入です。皆さんデッキから降りて買っています。
列車はいくつかすれ違いをしながら只管、走り続けます。岐阜を出ると次は大津です。
この間のいくつかのすれ違いが写真に残っています。
・上りの桜島と離合
・新幹線が追い抜く
・しらさぎと離合
大阪に着くのは夕方。
これから列車は趣を夜行列車に変えていきます。
「おおさか~、おおさか~。列車がよく停まるまでお待ちください・・・」デッキドアが手動であるので時間に競っている人は飛び降ります。今ではそんな危険なこと、となるでしょうが。
大阪駅では8分の停車。給水をします。
その間に弁当を仕入れたり、まあ色々あります。鉄道は出会いと別れがつき物。このころのよき風物でしょうか。お婆さんが車内の人に挨拶をしています。
・8分停車
・さようなら、お気をつけて
・スチームはよいか。いよいよ夜汽車に。冷えるので十分な暖房が必要。懐かしいSGの湯気。
昔は、このように過ごすのが普通でしたね。寝台車なんて高嶺の花。学生は普通列車でごろんと行くのが当たり前でしたなあ。
山陽を西に向かってひた走ります。途中停車駅で特急寝台に通過追越されていきます。
まだ、乗客が眠りの中にあるころ、本州と分かれていよいよ九州に。
長駆がんばってきたゴハチとお別れです。
九州に入った列車は小倉で分割、それぞれ別の鉄路を歩みます。熊本廻りの桜島を見送り、高千穂単独となります。列車の各としては、まあ、準急なんでしょうね。
列車は長旅の乗客を乗せて日豊路を南下します。
途中でほとんどの人が入れ替わります。もっとも東京から通しで乗ってくる人は誰もいませんが、さすがに単調な列車の旅は疲れます。
みどりと離合。単線なので格上列車に進路を譲ります。ヒマな乗客は気分転換、通過列車を見送ります。発車したってデッキから乗れますからまあ暢気なものですね。
・青井岳通過。こんどはこっちが格上です。
・長旅はさすがに疲れる。
いよいよ最終コース。桜島が見えると終着です。
車内はガラガラ、つり広告の「新しいひかり」の掲示が皮肉です。
・焼くムラがあって、どうもこのときは焼きをミスったみたいです。桜島が見えてきました。
1.5メガメートルの旅はこれで終わります。西鹿児島に着くと、旅情もなくあっという間に回送です。西鹿児島の写真は手元にないのでこれで終わりとします。
小生はこれから、鹿児島をふらついて、博多まで夜行で北上、つばめで帰阪することになりました。しんどかったが面白かった、また行こう、と言いたいのですが、もうあの列車は居ないのですね。九州ではこういう事態がまたすぐ起こります。しかし、こんな旅があってもええではないですか。
なお、この取材の前に高田氏も単独で走破されており、小生は京都から大阪まで併乗しました。弁当でも差し入れすればよかったかな(古い話ですが、高田さん、覚えておられたらごめんです)。南九州の記録は写真が見つかれば掲示するかなと思っています。
なお乗車は3月1日と記憶します。
フィルムが勿体ないと車両中心に撮り勝ちな小生と異なり、人情味ある写真や夜景等を得意とした川中さんの作品、大変懐かしく拝見しました。それにしても窓が開く開放的な客車とは言え、休む暇なくホームに降りたり、対向列車を撮ったりしていたのですね。恐れ入ります。川中さんとは吉松や桑川等鄙びた旅館で悪ふざけして撮った写真は結構あります。伝統あるデジタル元祖青信号ですが、このような傑作を発表し続けられることを期待しております。