大阪市営地下鉄からOsaka Metroへ

 3月31日はJR三江線の運行最終日ですが、大阪市営地下鉄も市営としての運行最終日です。民間会社の大阪高速電気軌道株式会社が4月1日から運行することになります。Osaka Metro(オオサカ メトロ)と呼んで欲しいそうですが、皆さんはどのように呼ぶのでしょうか。オオサカ メトロになる前の梅田駅で撮ってみました。地下鉄の写真は初めてです。

料金表にある見慣れた「まるコ」マーク

御堂筋線は階段を下りる時に見えるドーム天井がそれぞれの駅に特徴がある。

日本初の公営電気軌道は大阪が最初、1903年のことであった。

戦前に計画された谷町線のトンネルは今は天王寺行のホームに

そして、2018年4月1日 Osaka Metroに

12 thoughts on “大阪市営地下鉄からOsaka Metroへ

  1. 大阪地下鉄のルーツ?に近い写真が出てきました。
    コピーですが貼付して見ました。
    写真の裏には『36-5-13 大阪地下鉄 梅田』と有ります。
    お目汚しですが、何となく懐かしくありませんか?

  2. 河様 コメントありがとうございます。画像が添付できないとのことですが、画像のファイル形式がJPEG形式ですか。ご確認ください。そして貼付出来ませんとありますがコメント文に画像を貼付をしていませんか。コメント文に貼付でなく、コメント入力画面で名前、メールアドレスなどの最後にファイル選択がありますのでそこをクリックすると河様のパソコンのファイル選択一覧が出てきますのでそこから添付したいファイルを選んで一覧表にある開くをクリックすると選択したファイルが添付できます。この時は入力中のコメント文には画像が表示されないと思います。最後にコメントを送信のところをクリックしてください。河様は写真をコメントに添付されるのが初めてようで、できたらどのような手順で添付されたのかお知らせいただけたら幸いと思います。昭和36年の写真とのことで私が10才の頃です。ぜひ見たいと思っています。

  3. どですかでん様

    大した写真でも無いのに大変お騒がせしており、申し訳ありません。
    小生のコメント画面のファイル選択ボタンの位置は参照ボタンとなっています。

    文章を書いた後⇒名前⇒メールアドレス⇒一番左下にある参照ボタン(ファイル選択のボタンでは無く、小生の画面では参照ボタンになっている。)を押して⇒小生のPC内の画像から選択⇒選択した画像の『記号番号』が現れる。⇒最後にコメントを送信ボタンを押しております。

    ただ、腑に落ちないのは小生のPC内の画像の『記号番号』は『JPEGイメージ』となっているのに、コメント送信画面の一番左下に有る参照ボタン(本来はファイル選択のボタン?)の枠内に出て来た画像の『記号番号』には最後に『jpg』と出ていて、JPEGではない事です。

    以上が『顛末』ですが、ひょっとすると小生のPCが『時代物』でサポート切れのVistaだからかも知れません。
    その場合は、此の度のお騒がせをお詫び致します。

    • 河様 手順を詳しく書いていただきありがとうございます。ボタンの表示名が違うようですが、それはPCによって表示名違うのだと思います。手順も間違いないと思います。あとは 画像ファイルが大きくて3MB以上なのかもしれません。デジカメで撮影した画像ファイルはそのままであれば小型のカメラでも3MB以上あるようです。それが原因かもしれませんがこれ以上のことは私の知識ではわかりません。『jpg』は画像ファイルの保存形式のひとつの呼び方です。いろいろな種類の画像ファイル形式がありますが、一般的に多く使われている形式でほとんどの画像ソフトで開くことが出来るもので『JPEGイメージ』もjpg形式の画像という意味ですので同じものです。うまく説明できなくてわかりにくかったでしょうか。

      • どですかでん様

        しつこくパソコン操作の話です。
        画像の容量が原因との『診断』ですが、小生のPC上に有る画像アイコンには『サイズ』としては50.7KBと表示されており、3MBには余裕のようです。
        ・・・で、結局やっぱり小生のPCがポンコツだからでしょうね。
        本当にお騒がせしました。 ご教示ありがとうございました。

  4. どですかでん様
    Osaka Metroとなってどのように変わって行くのでしょうか。採算性かサービスか難しいところですね。古い資料を捜していたら「地下鉄5号線 谷町九~今里間開通時の「交通局ニュース」が出て来ました。昭和44年7月と思われますが今里駅ホームの5083です。この塗り分け塗装も懐かしいです、当時は1区(3キロまで)が30円の時代でした。

    • wakuhir様 「大阪のあし」という広報紙があったことを思い出しました。この塗分はいい色だと思っていました。子供の頃は運転席の横の座席で前を見ていました。トンネルばかり(当たり前や)ですが駅の明かりが次第に大きくなっていくのや、信号の明かりがきれいだったのが印象的でした。また、大国町から玉出までが分岐しているので玉出行の電車と天王寺方面の電車が平行して走っていることが時々あり、どうなっているのか子供なりに不思議に思っていました。

    • 米手様、写真の出稿代行ありがとうございます。これが地下鉄梅田駅そのものです。正面にそごうの看板が見えます。階段の中間点にある踊り場から撮影したのでしょうか。天井照明も変わっていっているようです。この時代はシンプルなもののようです。上下の列車が到着するとホーム上が大変混雑しています。昭和36年でこの状態ですからホームを広げる必要があったのですが、うまい具合に戦前に計画された谷町線のトンネルが利用できたのが幸いでした。そのようなことを考えさせる写真を見せていただきありがとうございました。

  5. どですかでん様

    撮影当時、既に開業から30年以上も経っていたのに『大阪地下鉄のルーツ』などと大上段に構えた割には『ガッカリ写真』だったのではないでしょうか?
    反省しております。

    小生、元々国電ファン(只のファンで、研究家ではありません。)で、何故国電以外の写真を撮ったのか? それに、たったの1枚のみ。
    生憎この頃撮影したショットは、全部についてはベタ焼きをしておらず、結局ネガをひっくり返して調べて見ました。
    前後のコマには父方の祖母が小樽から来阪した時に『大阪案内』をした場面が有りますので、やっぱりたった1枚の『序で撮り』だったようです。(それが『どうした!』⇒自問&=笑=)

    公営から民営になるのは、国鉄からJR西になったのと似て商売本位に陥らないか・・・特に『派手さ』のみが優先されて経営合理化による安全面が・・・等と『斜めから見てしまう私です。』

    ところで、貴殿の4月1日のコメントで、『谷町線のトンネルが利用できたのが幸いでした』とありますが、小生勉強不足で・・・。
    その経緯など、ご教示いただければ幸甚です。

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