逆光の中214レと上越線734レ=越後川口 自分でも大好きな写真の一枚なんだが
やったら寒い日が続いたと思ったら、昨今は3月下旬並みの暖かさ。北陸の大雪も一段落したようだが、1月末9歳上の姉の葬儀で上京した際は、往路新幹線が名古屋で7分、新横浜で2分遅れていたが、東京には定時着。当然ながら関東圏では、北陸の大雪など、どこの話?全く関心がない。48年前のサンパチ豪雪の際と同じである。
諸兄の素晴らしい雪中写真がいくつか出て、そういやぁ、俺もサンパチや杉津、大桐以外、重澤旦那と飯山線に行ったことがあったなぁ。結構写真も撮ったなぁと、限りなく薄れ行く記憶を搾り出した。時は1962年3月4日、つまりサラリーマン初年兵の終わり近くであった。ルートも全く記憶がないのだが、撮影順序からは、急行「北陸」で長岡へ、上越線642レで越後川口へ、目的たる飯山線214レに乗車した、としか考えられない。
越後川口で214レに乗り込む 天気は「いまいち」
発車待ちの214レ
十日町で215レと離合
十日町で トンビや角巻なる和式防寒衣が健在だった
十日町での離合 214レは14分 215レは31分停車する
十日町発車前の214レ
その間入換も行われていた
一路鹿渡目指す214レ
なおその後の飯山線(に限らないが)はダイヤ改正毎に列車がキハ化され、C56牽引列車は減る一方である。この日は当初天気が「いまいち」だったが、幸いその後回復したのは、新島譲の加護か、天が「自ら助くる者を助けた」か。
湯口先輩
模型を弄ることしか出来ないぷるぷるでございます。いつもながら興味深い写真をお見せ頂き、ありがとうございます。工房の稼働中はPCの電源を入れっ放しにして、作業をしながらついつい見入っております。
ご自身も大好きとおっしゃいます1枚目の写真のみならず、夫々の写真がその時代を忠実にとらえたショットで、フィルムを大事に使う必要から生まれたシャッターのタイミングやフレーミングの的確さが伝わってきます。特に1枚目は画面の中に色々なものが詰まっていて、何度も拡大して楽しんでいます。
先ず雲に隠れた朝日が黒く写る筈の送電線を白く光らせている点、なぜこのような写り方になるのでしょう。次に、背後の山はスキー場なのでしょうか。そう思うからでしょう、何かリフトの支柱のようなものが見えます。第三は中線の貨車。よく見ると係員が話をしているように見えますが、入換え中なのでしょうか。背後から入換え車両がやってきそうですよ。そして右手客車のデッキの人物。こちらを向いて何か言っているようですが・・・
そして驚いたのは上越線のEF58です。最近工房では蒸機ばかりで、少し食傷気味となり、気分転換のため塗装のくたびれたEF58を、少々ボテ塗りになっていたEF64と供に再塗装していたところだったのです。(ともに青色ですが)この前の川中さんの記事にもEF58が出ており、なんだか嬉しくなりました。