飯山線1962.3.4その2

先回が2月6日だったから、3週間近く開が抜けてしまった。その間山陽200、300型なんぞの夾雑物?(失礼)があって、ピントも外れてしまったが、思い出して「その2」を続ける。

十日町を過ぎると、やがて越後鹿渡、越後外丸、越後国を越え信濃国に入ったところが森宮野原と、いずれも豪雪地帯が続く。我々は8時51分越後鹿渡で214レから下車。下り列車は10時08分だから、時間はたっぷりある。ともかくモーニングコーヒーと朝飯の支度を。腹が減っては戦は出来ぬ。




291レを待っている間に野うさぎが1匹我々の視野を横切っていった


4人ほどが雪壁に段をつけていたのは どうやら人道確保=線路を歩かれないように らしい

292レで越後外丸に移動

太陽が出て雪がまばゆく 露出にとまどう

飯山線はいわずもがなだが、戦時中の1944年6月1日飯山鉄道の買収で、線路規格は低くC56が活躍している。何分ともこんな山中を延々と走りぬけ、日本有数の豪雪地帯だから、採算がいいはずはなく、戦前は地方鉄道補助の大口常連=毎年度20~30万円程度を受領していた。

機関車は日車製27tCタンク機1~3、日立製42t1C1の11~15で、後者は国有化で形式2950、2950~2954に。ガソリンカーはボギー車7両全部が上田丸子鉄道で付随車で再起したのは先に記した。他に2軸車が1両(←南総鉄道キハ103)いたが、買収されず、日立航空機立川工場で工員輸送に当たり、敗戦後も残存していた由だが、見損ねたのが残念である。

客車はボギー車は木製と半鋼車で、前者は国鉄制式車より窓が一つ少ない=便所はあるのに、通常便所になるデッキ寄りの独立した1個の窓がないのである。なぜか国鉄に編入されず、高知鉄道や三井鉱山に再起したが、高知には遂に行かず仕舞い、三井は半鋼車体に改造後しか見ていないのが何とも残念至極、口惜しい。

半鋼ボギー客車はは独特のスタイルで冴えたデザインではないが、国鉄半鋼雑形に編入。2軸木製車もオリジナルは屋根のやや深い個性のあるもので、これは松尾鉱山鉄道で見ることができた。

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