45年前のゴールデンウイークのこと

 準特急さんの「最後のころの旧型客車」にあったEF57牽引の津軽の写真を見て思い出したのが45年前の1975年のゴールデンウイーク。勤め人になっての最初の連休なのでK君が東北の私鉄めぐりを・・・ということで上野発の夜行列車に乗ることになったのである。ところが予定していた列車はえらい混んでたので臨時の夜行急行津軽に乗ることになった。やって来た臨時夜行急行津軽を引っぱっていたのは・・・

 発車前の機関車の写真を撮ったのであるが、夜の上野駅だったし、ネガを見るとなんか写ってないような気がしたので、この45年の間でまともに写真を見たことがない。デジ青を見ると準特急さんのEF57の写真を見て、それではちゃんと見てみようということでスキャンをした。今はデジタル技術のおかげで何とか見ることができるであろうとやってみると、ご覧のような写真となった。

わぁぁぁぁ!これはなんと、前にグッとはみ出したパンタのEF57と思っていたのにちがうやないか。ひょっとしたらEF57のパンタがはみ出たのではない試作機?調べてみるとそうだった。ところがこの列車、米手さんが大好きな旧型客車で編成されていて、乗った車両は窓からはえらい寒い隙間風が入ってくるし、暖房は暖房車がお世話をしてくれるのであるが、温かくならない。そんなこんなであったが、朝になって車窓を見ると遠くに白い花が咲いているのが見える。やっぱり夜行列車は夜明けがええ。何とか青森に着いて(臨時なので超時間がかかった。)いざ、南部縦貫鉄道を皮切りに東北私鉄めぐりをしたのであった。ちなみにフィルムはネオパンSSSで現像はミクロファイン12分と記録がある。

45年前のゴールデンウイークのこと」への3件のフィードバック

  1. コメントの欄で間違いを訂正いたします。本文中に「暖房は暖房車がお世話・・・」とありますが暖房車はなかったようです。車体側面に出っ張っている表示灯のようなものが気になって調べてみました。調べてみると電気暖房を使用して通電している時に表示点灯するものということがわかりました。ということはこのEF571は電気暖房が可能であったようです。そうすると臨時急行津軽は電気暖房をしていた可能性があるのですが、足元だけの暖房では暖房していてもお構いなしに窓から入り込んでくる寒風はまともに顔面を直撃するのでこれはたまったものでありません。今となっては体験できない懐かしい旧型客車の夜行列車でした。ということでさらに調べると、EF571は電気暖房ができるように1965年に改造され、1966年に蒸気暖房装置があった量産型もすべて電気暖房に改造されたようです。

  2. どですかでん様
    思い出有難うございます。上野駅でのハプニングかえって良かったですね。EF57のトップナンバーと思いますが先にデビューしたEF56の13号機が出力増強でEF571となったものでスタイルはEF56です。EF57も沼津時代の写真をみますとパンタの出っ張りがそれほど強烈ではありませんが、この機関車は人気がありました。ところで北斗星やカシオペア時代にはファンで賑わった通称ハスヒガ(蓮田-東大宮)よりも蓮田の白岡側の方が有名撮影地でした。そして、「はくつる」などを牽引していたEF58よりもデッキ付きのEF56、57の方に人気がありました。EF56は小荷物列車や臨時列車に入ることが多かったようです。いつの日か南部縦貫も見せてください。

    • 準特急さん コメントありがとうございます。この時は南部縦貫鉄道、津軽鉄道、小坂鉄道に行きました。上野から乗る前に家の玄関先すれすれに走る江ノ電を乗ろうということで江ノ電も訪れています。そしてこの時に私にとっては最初で最後の青函連絡船にも乗船しています。なんで青函連絡船?それはあの~そういうことで、必殺ワザです。

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