今回の旅は北陸で締めくくろうと雪害解消を願っておりましたが、コロナ騒動同様に悪化するばかりで好転しません。福井鉄道・えちぜん鉄道とも軌道が雪でうずもれて除雪作業が追い付かない状況です。明日10日の運行は難しそうです。
▲ えちぜん鉄道のブログを見ているととんでもない状況です。前回行った時も1m近い積雪がありましたがホームより上まで来ているとは・・・。
行っても無理と諦めました。仕方なく明日は丹後路のリベンジと決めました。
◀ こちらは福井鉄道のブログです。写真は付いていませんが明日は終日運休となっています。積雪の中を走るフクラムを撮りたかったのですが次回ですね。
【 寝過ごす大ドジ 】
翌日朝、起きまして時計を見ますと8時半を回っています。いつもなら7時前後には起きますが、昨夜は深酒をして寝入るのが遅かったようです。今日も大ドジです。
昨夜決めた行程はもう白紙です。そして、どうしようかと考える前に行動です。前回忘れたタブレットは2台をリックに入れて出発です。とにかく長岡京駅に行って電車に乗らなければと電チャリを走らせました。
① 長岡京 8:57⇒9:07 高槻 9:13(新快速)⇒ 10:34 姫路 10:50⇒11:23 播磨新宮 11:58⇒12:27 佐用
高槻で乗り換えた新快速の車内でタブレットを開けて、新たな行程の作成です。
当初は上郡から智頭鉄道に乗って北上、鳥取を目指す予定でしたが、姫路から姫新線で佐用に向かい智頭鉄道に乗り換える方法もあります。既に青春18きっぷの旅で姫新線に乗車して中国山地を横断・縦断するルートは何回も乗車経験済みです。
また智頭鉄道の運賃は別途支払わなければならないので上郡~智頭 1,320円が 950円となって 370円お得です。接続もいいのでこちらにしました。
▲ 10:50 キハ127系2両編成に乗車して姫路発車です。ガラガラの車内ですが窓が開けられていてコロナ対応がとられています。
【 姫新線 】
1923年(大正12年)8月21日、作備線(さくびせん)として津山~ 美作追分(17.54km)、津山駅 – 津山口(11.93km)が開業したのが最初で、以後延伸工事が進められて1936年(昭和11年)4月8日に姫路~新見が全通しています。最盛期は陰陽連絡路線として急行列車も登場しましたが1994年の智頭急行線開業、また中国自動車道が1979年(昭和54年)5月15日 : 吹田JCTが開通して東名東京ICから三次ICまで高速自動車国道で結ばれるようになると高速バスが頻繁に運行をはじめました。分岐する鳥取自動車道が 2013年(平成25年)3月23日に無料通行区間として全線開通すると鉄道利用客は激減していき、陰陽連絡路線として役目は終えました。優等列車の運行も廃止され、姫路~新見全線を通して運行される列車もなくなりました。
▲ 1967年(昭和42年)10月1日改正の時刻表です。優等列車は臨時も入れると4往復があり、全線通しの普通列車も3往復がありましたが現在は皆無となっています。
しかし、姫路を中心としたの都市圏の発展もあって播磨新宮~姫路の利用者数は増えてきました。
姫新線姫路上月駅間電化促進期成同盟会が結成され、高速化工事が実施されました。路盤強化工事等の結果、最高速度は85 km/hから100 km/hに引き上げられ、大幅な運行本数増も図られて、新型車両キハ122・127系が2009年3月14日から投入されてました。
この社会実験により、2010年度の乗客数は256.6万人、2015年度には高速化工事後の目標人数であった300万人を超え301万人となり活動6年で目標値を超え、その翌年である2016年度にも年間乗車人員310万人と順調に増加しています。
余部駅の時刻表を見ますとラッシュ時は15分間隔、閑散時も20分間隔で運行されています。ローカル線とは言えません。
▲ 11:23 播磨新宮に到着。姫新線高速化事業に合わせて2010年(平成22年)9月12日 にリニューアル橋上駅舎化されています。
▲ 残念ながらすぐに接続する上月行きはなく35分後です。折り返しの発車を撮りに行くことにしましたが、往復30分で行ける場所はそうはありません。
▲ 11:58 キハ122-6 単行に乗車して佐用を目指します。乗客は私を入れて4名、一日平均の乗車人数は姫路~播磨新宮の 6,918人に対して、播磨新宮~上月は 957人と1/7です。
▲ 12:27 所要時間わずか29分で智頭鉄道との交差駅の佐用に到着です。乗換時間は35分もありますので昼食も兼ねて街歩きです。
▲ 佐用町のB級グルメは「ホルモンうどん」です。町内で店ごとに違う味の“つけダレ”で食べる11店が紹介されていましたが、佐用駅から約430m(徒歩10分)の「新さよ」を選び、食しました。お味はホルモンが入った焼うどんですよね。
「かつてこの一帯は畜産業や精肉業が盛んに行われていた地域。ゆえに牛の臓物肉(ホルモン)が多く手に入ったのですが、当時はまだホルモンを食べることが一般的ではありませんでした。しかし食糧難の時代を経て、安く沢山手に入るこのホルモンを焼いて食べるのが普及していったそうです。さらにお腹を満たすために野菜と、米よりも安価なうどんを、ホルモンと一緒に焼いて食べるようになったのが「佐用ホルモン焼きうどん」の発祥と言われています。」という説明です。
② 佐用 13:32⇒14:51 智頭 15:54⇒16:44 鳥取
▲ 智頭鉄道線に入ると130km/h走行可能な高速規格路線だけあって直線が続きます。
14:20 突然、「恋山形」で25分間の停車です。当初の駅名は、なんの特徴もないさみしい駅「因幡山形」でしたが、人を呼ぶ「来い」という意味と掛けて住民の強い要望により開業前に名称が変わりました。この改名によって縁結びや恋愛成就のパワースポットとして“車で”訪れる人が絶えない無人駅に変貌しました。長時間停車は記念写真撮影等の乗客サービスのためだそうです。
▲ 14:32 岡山行きの特急「スーパーいなば」が、振り子を効かせながら100km/h超の高速で通過していきました。
▲ 14:51 終着智頭に到着です。駅前には兵庫県に多い「いかりスーパー」がなぜかあります。お酒が切れていましたので智頭の地酒メーカー諏訪酒造の純米酒720mlを購入です。次の乗り換えまでは約1時間ありますのでかつての宿場町を散策しました。
▲ 15:54 キハ471019+キハ4741の2両編成が鳥取へ向けて出発です。ホーム向かいには16:30発津山行のキハ120-336が発車町です。
▲ 2両合わせての乗客は私を含めて4名です。鳥取に近ずくにつれて雪原が広がっていきます。鳥取はやはり積雪が多いようです。
▲ 16:44 乗客は増えることなく鳥取に到着。すぐに改札口で京都方面への運行状況をお聞きしますと、運休は解消したとのことです。このまま智頭鉄道経由で戻るつもりでしたが通常運行なら前回のリベンジに山陰本線経由で戻ることができます。
早速みどりの窓口に行って接続の時刻表を印刷していただきました。
③ 鳥取 17:22⇒18:06 浜坂18:28⇒19:35 豊岡 19:37⇒20:59 福知山 21:09⇒22:15 園部 22:17⇒22:59 京都 23:09⇒23:20 長岡京
駅弁にかに寿司を仕入れてから駅内のマーケットを散策です。
▲ 17:27 米子からの250Kが遅延しているので接続のために発車が遅れますとの車内放送がありましたが乗り換えるお客は皆無でした。乗客は私を入れて8人です。浜坂行きキハ47系2両編成の540Kは夕暮れが迫る鉄路を東へと向かいます。車窓は、鳥取~福部のスイッチバックの滝山信号場辺りです。
▲ 18:11 3日前には引き返しを強いられた浜坂に到着です。
先日はおられた駅員さんはこの時間はおられません。優等列車が発着する時間までなのでしょうね。
乗継列車はまだ入線していませんので駅舎外に出てみましたが人影は皆無です。
▲ 18:16 豊岡からの折り返しのキハ47系2両編成が到着しました。
▲ 18:35 次の久谷着、ホームに積もった積雪は取り除かれていません。駅名板が隠れそうなほどの積雪です。
▲ 18:42 余部着、さすが観光地だけあって除雪ができていて人が通った跡があります。
▲ 19:04 蟹民宿が多い佐津着、利用客のある駅ホームは除雪が出来ています。
▲ 19:35 定刻に豊岡着、同じホーム上で福知山行きの223系2両編成に乗り換えます。ようやく乗客が増えたかなとの感じがしますが、1ボックスに一人程度です。
▲ 飲み続けています智頭の諏訪酒造の純米酒「諏訪泉」です。京都に着く頃には1本空けてしまいました。美味しいお酒があれば飲み鉄旅は最高ですね。
23:20 園部、京都で乗り換えて長岡京に無事到着です。
3日前に途中で断念した丹後路雪見酒ツアーでしたがリベンジができました。
▲ 佐用で食べたホルモンうどんが効いたのか、諏訪泉が効いたのか、帰宅するまで空腹感はなく鳥取駅で買った「かに寿し」は自宅に帰ってからです。お茶を入れて美味しくいただきました。
関西にも緊急事態宣言が発令されました。鉄ちゃんにとってはどこへも出かけられないのはとても辛い事ですが何よりも自らの身を守らなければなりません。明日からはコロナ騒動が終息するまでまたステイホームの耐える毎日が続きます。
次の行動開始日は桜が咲く頃です。撮りに行きたい場所はたくさんあります。ぶんしゅう8号に乗って3密を避けソーシャルディスタンスを守る事で感染を避けて行きたいと思っております。また、よろしくお願い申し上げます。
毎号、楽しみに見ております。
「佐津」は、ほぼ毎年泊まりに行くなじみの宿があり、懐かしく見ました。遠浅の砂浜は夏には海水浴客、冬は香住のカニ目当ての客で賑わいます。でも私はカニや海水浴には行きません。カニも海水浴も面倒くさいからです。でも、村の中にバス停があり、シーズンにはナンバから直通バスが来ているのには驚きました。
最後に2018年2月18日の新聞に載った『豪雪の佐津駅』の記事を貼っておきます。
米手作市様、コメントをいただきましてありがとうございます。駅構内での豪雪はラッセルカーが使えず人海戦術ですね。でも、よくこんな新聞記事をとっておられましたね。
佐津はカニ民宿で有名なところで勤務中ではクライアントもおられましたので空いている時に宿泊に行きましたら、サービスはしないがと言われてバケツ一杯の松葉ガニを出されてカニ刺し、焼きガニ、カニスキ、カニ雑炊とフルコースで堪能したことがありました。