三江線のその後

平成30年の廃止からもう3年が経ちました。ぶんしゅう氏やワラクロ氏が現地に足繁く通われ、最後の姿をしっかりと記録されたと思います。地方線区が廃線になると、駅舎の撤去はそれほど難しくはないものの、レールを剥がしたり、鉄橋の桁を外したりするのは大きな費用もかかるため放置される例が数多くあります。トンネルや鉄橋はそれなりに安全対策はされるでしょうが、わびしい光景を晒すケースが多いようです。三江線沿線では地元住民が駅周辺を公園にして、地域振興を図っている例もあります。

令和3年4月2日 中国新聞朝刊

同紙

令和3年4月26日 中国新聞

少子高齢化のなかで、何とか地域の宝として残そうとされている方々には、頭が下がる思いですが、この人たちが動ける間は良いとしても、その先を考えるとせつなくなってしまいます。芸備線や木次線も同じ運命を辿らざるを得ないように思えてなりません。米手作市様が木次線への熱い想いを語られており、私も何とかならないかと考えてはみるものの名案は浮かばず、一方でリニア新幹線に注ぎ込む莫大な資金力があるなら、出雲坂根の永久保存は訳もないことだと思ってしまいます。今回のコロナ騒動で大都会は人が住む場所ではないことが鮮明になった気がします。一極集中をやめて危険分散しないと、この上大地震でも起きれば、この国はどうなるのだろうと不安ばかりが募るのは私だけでしょうか? 話が「脱線」してしまいましたが、芸備線とともに三江線廃線跡訪問も計画しようと思っているところです。

三江線のその後」への4件のフィードバック

    • ワラクロ屋様
      熱中症の心配もない、秋になればコロナも収まっていることでしょう。三江線跡を巡るにはクルマが必要ですし、数少ない列車を上記の線区で撮影するには数日が必要ですね。私がクルマで参加することにして、どこかで落ち合って中国山地の秋を楽しむプランをいくつかお考え下さい。参加者は貴殿、ぶんしゅう氏、米手氏と私?窮屈でも良ければもう一人乗れます。

  1. 西村さんありがとうございます。
    そうですね、紅葉の11月頃に向けてプランをいろいろ考えてみたいと思います。
    西村さんにはお世話になりますが、よろしくお願いいたします。

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