昭和の電車 改訂版(199)ー信貴生駒電鉄デハ1型ー

前回の時、どですかでんさんがコメントを下さいましたので再録致します。

信貴生駒電鉄がついに出てきました。さて米手作市さんが交野線との連絡の計画と書かれていますが、信貴生駒電鉄の社史によると大正10年に設立された生駒電気鉄道によって生駒・枚方間が施工認可を受けていたので、連絡ではなく最初から枚方から生駒への路線として計画されていました。生駒電気鉄道は開業できずに信貴生駒電気鉄道に買収され、その後に建設が容易であった私市まで開業したのですが、私市・生駒間は山間部の為に難工事となり、建設費がかさむために建設されずにつながらなかったのです。ちょうど今の国道168号線のルートです。この道は北田原から北上して私市までの道はカーブが多い山間部で、車を運転していても楽しいというかスリルがあるというか・・・・ 鉄道でつなぐとなるとちょっとした山岳鉄道になったかもしれません。このルートの目的は京都から生駒山参詣者の利便性を図る目的であったようです。信貴電にはもう1つ路線延長の計画があって許可申請をしたのですが、不許可となった路線があります。それは信貴山下駅から鉄道省関西線柏原駅までの延長線です。これも信貴山参詣者の利便性を考えたものらしいが、却下となりました。まだ、亀の瀬崩落前に計画したものなので、もし開業していたら大損害を受けて今の生駒線は廃業していたかもしれません。不許可なってラッキーであったのかもしれません。》

 

昭和の電車 改訂版(199)ー信貴生駒電鉄デハ1型ー」への1件のフィードバック

  1. 前回のコメント再録していただいてありがとうございます。関三平さんの文を読んでいると、その冒頭に「・・・墨書して曰く、「女の夜の一人歩きは危険です(!!)」・・・」は見たことがあります。ちょっと文章が違っていたかもしれません。私が見たのは「チカン出没」とか書いてあったかもしれません。とにかく寂しい駅でした。今は立派な駅になっています。関三平さんが「(現生駒線の東山あたり??)」の東山駅で間違いないと思います。子供の頃、信貴山下に親類がいていたので、年始挨拶の帰りに両親と一緒に大阪へ帰るとき生駒経由で大阪に帰ったのですが、そのときに乗った電車はよく揺れて、頻繁にトロリースパークが起こるのでちょっと不安になったことを思い出します。

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