蒸機同士の併走
▲貨物列車を牽くC51が必死に逃げる。それを追うのは、C6235の牽く特急「はと」。たいへん珍しい蒸機の併走が山科で見られた。昭和31年1月
いまの山科は複々線、つまり4線化されていますが、写真展の時代は3線で、外側2線は上り線、内側1線は下り線でした。これは、太平洋戦争前、とくに貨物輸送の増大で、線路容量が逼迫したため、昭和19年12月に上り線が2線化されたものです。大津方に10‰の連続勾配が続き、とくに輸送力貨物列車は極端に速度が遅く、後部に補機を付けても、梅小路~大津が30分も掛かったと言います。特急・急行の優等列車では京都~大津10分ほどですから、本数の増加は困難な状態でした。そこで緩急分離を目的に2線化されたものです。外線を貨物、中線を特急などの旅客に分離されることが多かったようですが、この写真のように逆のケースもあり、適宜。使い分けしていたようです。
世にも珍しい蒸機同士の併走が見られわけですが、しかも貨物を牽くC51は、最後まで残ったC51として有名な梅小路区C51271です。私の時代は、魅力半減のパイプ煙突でしたが、この時代は、正真正銘、化粧煙突の時代でした。無蓋車には石炭が積まれていて、湖東線の各駅に石炭を配るのが目的。片や、追いかけるのは、最上級の特急「はと」、両列車者の対比が、より価値を高くしています。
このあと、どうなったのでしょうか、ネガを見ても、この1枚だけで、続きは分かりませんが、おそらく山科を過ぎ、逢坂山トンネルまでには、軽々と追い抜いて行ったと思われます。このシーンは、佐竹さんのネガには、この日しかなく、よく撮られている「はと」は、この日以外は、すべて単独の運転で、いずれかのダイヤ変更で、このようなシーンが見られたものと思われます。
総本家青信号特派員様
佐竹さんの作品を中心に数多くの山科の蒸機を見てきましたが、これは凄いですね。二条の煙はスター同士の競演で正しく鉄道写真の国宝物です。貨物を牽くC51271は嫌というほど撮ったり見ておりましたが、えげつないパイプ煙突で興醒めでした。若き時代は当然原形でしたが、この様な貨物列車牽引もあったのですね。後年のEF58のそれを思い出しました。
準特急様
コメントをいただいていながら返事が遅れてしまいました。山科で撮られたC51は、草津線直通の旅客と並んで、湖東線への区間貨物を牽くC51も何点か撮られていました。C51271は、私もたくさん撮った最後まで残ったC51でしたが、パイプ煙突では、たしかに興味も半減でした。