今回から、個別の写真について、“あれこれ”述べてみましょう。写真展の場合、展示する写真候補のなかから、ポスター、はがき、雑誌告知などの事前の案内用として、リリース写真として選ぶことになります。写真展の内容を端的に表す、シンボリックな写真となる訳ですが、どの写真にするか‥‥、普通なら例の「雪のC622つばめ」でしょう。ところが、前回に述べたように、このネガも所在が不明なのです。以前にネガがあった時に、スキャンしたデータを取っていたものの、今回、門司鉄道記念館で作ってもらったビッグサイズの写真も再展示することになり、競合は避けて、新規の写真がふさわしいとなりました。▲C6230「つばめ」でリリース原稿を作成
▲▲雪の日のC622「つばめ」は文句ない写真だが‥‥。
そこで、ネガのあるものから、あらたに選定に掛かりました。選んだのが、1955年5月撮影のC6230が牽く上り「つばめ」でした。佐竹さんにお聞きすると、C6230は、宮原区所属のC62のなかで最も好調なカマで、「つばめ」牽引の実績が最も多く、お召の先行列車の牽引にも使われました。写真は、順光で、煙の具合も良く、本展のシンボルに相応しいものです。
さて、ネガからスキャンした“素”のデータが〈上〉のとおりです。リリース用の写真の〈右〉の写真との違いがひとつあります。C62の連結器あたりを見てください。なんと人が写っているではないですか。別に心霊写真でも何でもなく、この当時、山科の大築堤には、列車はもちろん、人も通っていたのです。とくに、東山トンネルを出たすぐの北花山の踏切(現在は封鎖されていて、高架が越している)からは自由に入れて、山科駅へ向かう人などは、最短のルートとなっていましたし、随所に築堤へ上がる小道もありました。佐竹さんは、自宅のあった市内から自転車で山科へ向かい、築堤上も自転車で移動していたと述懐されています。
事実、私が山科で写した昭和40年代になっても、撮影者の自転車が築堤上に駐輪してあったことも覚えていますし、私も随所にあった築堤へ上がる道を通って撮影をしたものです。佐竹さんは撮影時には全く気が付かなかったそうですが、くだんの人物を、当時の事実として載せるのか、やはりここはシンボルらしい写真として加工すべきか、決断は後者のほうで、2、3分の修整作業で、人物はアッと消えてしまいました。佐竹さんからも、来場者への話のネタにしていただきました。いまの基準からすれば、到底考えられないことですが、列車、自転車、歩行者が共存していた山科の大築堤でした。
「つばめ」を牽くC62 30の写真は、印象に残った一枚です。定番の撮影地で、定番の列車というのもありますが、何よりもシャープな画像に驚きました。会場では大きく引き伸ばされて展示されましたが、パソコン上で拡大してもビクともしません。セミ版での撮影とのことですが、これほど見事な作品は見たことがありません。会場では佐竹様とベテランファンの会話が聞こえ、シャッター速度500分の1やパールⅡ型のフレーズが交わされてました。
築堤上を歩く住民の話は、10年ほど前に佐竹様ご本人から聞いてました。昔はそんな時代だったと思ってましたが、古い地図や航空写真を見ると「なるほど」と頷けます。大石道が北花山の踏切を通っていて、付近には民家も見えます。総本家様に消された人物は若い女性のようですが、築堤上は確かに山科駅への近道ですね。
コメント、ありがとうございます。たしかにピシッとピントが決まっていますね。別にシャープネスは掛けていませんから、佐竹さんが撮られたネガそのものの効果
です。パールと言うカメラも佐竹さんは気に入っておられたようで、約15年ほど愛用されていました。今般、自分史を著すのに、パールの販売をしていた小西六に伝えると、喜んでおられたと奥様からも聞きました。