青蛙と赤蛙

東急電鉄初代5000形をなぜ青蛙と言うのだろうか。京都人は市電600形を【青電】と言っていたではないかと、漫才のネタになりそうな話題だ。理屈っぽい江戸人も京都流にすんなり幼児感覚で画期的な新型電車の登場を祝ったのだろう。比良山系一隅の小池が繁殖地として知られている【もりあお蛙】を、息子が小学生の時に見せてやったが、背は青でなく緑であった。

屁理屈はさておいて、1989年GWに九州へ電車の旅をしている。5月2日、仕事を手早く済ませ午後の新幹線で先ず小倉へ、門司港から夜行「かいもん」で西鹿児島へ、午後3時頃に熊本へ移動。翌日午後2時頃に市電で上熊本到着。そこで眼にしたのが【あおがえる】。ピク誌を通じ蛙の上陸は知っていたが、まさか単車で使われているとは……。後の行程もあり走行中の姿は諦め、北熊本の車庫へ向かった。車庫には検修要員の方だけであったが、蛙の運転台増設に至る経過を話していただいた。老人は静岡100形がワンマンカ-となり使われているのだと思っていたのでびっくり仰天となった。休日で要員が2人という事もあり、全身が撮り易い位置への移動は遠慮した。

その4年後、大井川鐵道から伊豆箱根鉄道駿豆本線に行こうと思い、3番電車で新金谷を出発した。吉原で眼にしたのが赤蛙。新幹線利用が多くなった東海道線の旅、岳南鉄道なんて忘れていた。次駅で降りて吉原にトンボ帰り。近郊電車区間並となりこうした事が出来るようになった。戻ってみると次列車が出迎えてくれた。これに乗って途中下車。貨物列車と煙突が背後にあるところで一景、これが今回の一枚となった。その後3回訪れることになった岳南鉄道。2年前の春は雨となり写真どころではなかった。青蛙に復元された編成があると知り終点まで行ってみたが8000系2連のみで、5000系は解体されたのか何処にもなかった。何でも東急電鉄が青蛙については引き取った?とかの話を耳にしたが、どうなのか知りたいものだ。

モノコック構造電車のはしりとして今も現役で残る熊電の2両、今月21日発売のピクトリアル誌№851の表紙を飾っている。米手作市氏の紹介はタイミングばっちり。今後の迷図作家氏の発表を楽しみにしている。河さんのピク誌での国電話も佳境に突入した。

本日は晴天なり、電車をボイコット!

本日は晴天なり、電車をボイコット!

下部が広がり、おっちんすわりの蛙の姿
下部が広がり、おっちんすわりの蛙の姿
この姿が譽・?なのだが、なぜか2パンタとなっている。
この姿が正位なのだが、なぜか2パンタとなっている。
この端面に運転台が増險・?れていた
この端面に運転台が増設されていた
本来こうした2連で走っていると思っていた
本来こうした2連で走っていると思っていた
貨車、煙突、煙の3本柱がここには必要
貨車、煙突、煙の3本柱がここには必要

青蛙と赤蛙」への1件のフィードバック

  1. この熊電での尻切れトンボ姿をはじめてピク誌で見た時、本当に絶句でした。無理な単行化なので、これしかやりようが無かったんだ!と自分に言い聞かせては見たものの、暫くは驚きと落胆の後遺症が残ったのを覚えています。
    一方の吉原の赤ガエル、現役時代に一時吉原ー日産前(現ジャトコ前)を利用する時期があって、毎日乗車しました。
    この岳南電鉄では乗車率からも単行にすべきところを2連で運用していましたので、結構様になっていました。
    ただし、車体の保守には手が回りかね、雨の日は窓から雨漏りがして、その部分のシートがベットリの時がよくありました。
    またまたピク誌今月号の小生の記事に言及いただき、恐縮です。

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