6月20日「【13758】東急のアバンギャルドな5000型」に対し、乙訓の長老より23日「【13805】青蛙と赤蛙」で、熊本電鉄と岳南鉄道に転出した車両の解説があった。
東急5000形は、上記2社の他、長野電鉄、上田交通(現上田電鉄)、松本電鉄、福島交通に転出している。
今回は長野電鉄と上田交通に転出した車両について解説する。
(1) 長野電鉄
長野~善光寺下間の地下化(昭和56年3月1日開通)に伴い、不燃化基準の関係から半鋼製の在来車が使用できなくなるため、昭和52年1月から55年10月にかけて26両入線した。Mc+Tcの2両編成10本とMc+T+Mcの3両編成2本を組み、在来車に代わり普通列車の主力として運行されたが、平成10年の長野オリンピックに向け、平成5年から10年にかけて営団地下鉄日比谷線の3000形との置換えが行われ、平成10年までに廃車となった。
モハ2510+クハ2560が須坂市の「トレインギャラリーNAGANO」の駐車場に保存されている。
モハ2611(元東急デハ5036)+クハ2551(同クハ5155)/昭和52年5月5日 須坂 (最初に入線した車両で、モハ2611はサハ2651+モハ2601と3両編成、クハ2552はモハ2501と2両編成を組んだ)
モハ2501(元東急デハ5035)+クハ2551/平成8年8月24日 屋代
(2)上田交通
昭和61年10月1日別所線1500V昇圧に際し、東急5000形8両(Mc+Tc4編成)と5200形2両(Mc+Tc)の10両が入線し、在来車を置換えた。
平成5年5月28日に元東急7200形のモハ7251+クハ7551~モハ7255+クハ7555の5編成と置換えで廃車となり、僅か6年半の活躍であった。
モハ5001は元東急デハ5001で、廃車後東急に返還され、登場時の姿に復元され保存されていたが、平成18年車体をカットされ、無残な姿で渋谷ハチ公前広場に置かれている。歴史的にも重要な車両が、何故このような結果になってしまったのか、残念を通り越し憤りを感じる。
クハ5053(元東急クハ5163)+モハ5003(同デハ5017)/昭和61年8月24日 上田 (昇圧前で待機中)
モハ5002(元東急デハ5005)+クハ5052(同クハ5162)/昭和62年1月15日 上田 (扉の窓ガラスが原形)
モハ5004(元東急デハ5030)+クハ5054(同クハ5164)/昭和62年1月15日 上田
日本初のセミステンレスカーであるモハ5201(元東急デハ5201)+クハ5251(同デハ5202)は何度が撮影に行ったが振られっぱなしであった。こちらも廃車後モハ5201が東急に返還され現在は東急車両で保存、クハ5251は自社下之郷電車区で保存され、イベント時に一般公開されている。
(3)岳南鉄道補足
昭和56年5月から6月にかけて在来車置換えのため、東急5000形8両(Mc+Tc4編成)入線した。平成8年元京王電鉄3000系改造の7000形に置換えられ廃車されたが、岳南富士岡駅や貨物ヤードに留置され、平成20年夏頃解体された。
モハ5004(元東急デハ5049)/昭和61年8月15日 吉原
クハ5104(元東急サハ5364)/昭和61年8月15日 吉原
クハ5102(元東急サハ5363)+モハ5002(元東急デハ5028)/昭和61年8月15日 岳南富士岡
(4)その他
福島交通に昭和55年12月と57年10月各2両(Mc+Mc)入線しているが撮影していないまま廃車になった。
松本電鉄は昭和61年12月24日1500V昇圧に際し、東急5000形8両(Mc+Tc3編成、Mc+Mc1編成)が入線し、在来車を置換えた。こちらは登山で上高地から入下山の時、何度も乗っているがまともな写真がない。登山と鉄道撮影の両立は極めて難しい。
[番外]東急時代
デハ5030/昭和47年12月17日 多摩川園(上田交通モハ5004で再起)
デハ5042/昭和52年2月12日 田園調布(長野電鉄モハ2613で再起)