設計図シリーズ①

なんでも取っておく習慣があるのは戌年のセイか?と思われますが、本を整理していると思わぬものが出てきました。

「模型とラジオ」という雑誌を覚えておられますか?中学生の頃に毎月買って読みふけっていました。その昭和36年4月号に1/80の青写真が付いていたのです。当時としては話題の新型機関車ばかりです。べつに珍しくもないワイ!と言われるのを覚悟の上で夏枯れの紙面を賑わせたいと考えました。


東北本線交流電化のホープとして誕生したED71です。当然その雄姿をご覧に入れたいのですが、なんと!一枚もありません。何度も行っているので撮ってるとタカをくくっていたのですが、一枚もありません。そこで交流つながりでED70(敦)を入れますのでこれでお許しを!
代わりにどなたかED71の写真を投稿してください。

ED71図

ED7014

 


同時期に作られた直流機のED61。これも写真を、と思ったらED60しか有りませんでした。ED61は中央線用なので中学生には撮りに行けなかったのでしょう。代わりに阪和線のED60でご勘弁ください。どなたかED61の写真を!

ED61図

ED605(鳳)

つづく

 

設計図シリーズ①」への12件のフィードバック

  1. 米手作市さま
    中央線用ED61を飯田線北部に入れるために軸重を軽くしたED62のビデオならあるのですが。
    ED60は小学6年の時に阪和線で牽いてもらったことがあります。卒業記念として父の和歌山出張に付いてゆくことを許され、帰路白浜から週末臨時の「くろしお」で東和歌山→天王寺間がED60でした。
    当時の紀勢西線の花形列車はなんといっても黄色に赤帯のキハ55系の全車指定準急「きのくに」でしたが、週末とあって既に満席で、愛称は伝統のある「くろしお」ながら実態は各地から搔き集め(小6なのでまだ編成調べを知らずそんな感じがしただけですが)のスハ32でガッカリしたことを覚えています。和歌山まではSLだったのは間違いないのですが、形式は全くわかりません。D50だったかもしれません。
    阪和線ではEF52が牽いてくれないかなという微かな期待は裏切られED60が付きました。ELのくせに随分鷹揚な走りで正直「なんだ」と思ったものでした。東海道線脇でEF級を見ていたので非力なヤツだと思いましたね。後年、阪和線は電車区間でダイヤ上の制約から、ましてや臨時ですから走りたくても走れなかったのだろうと知りました。ED60ゴメンナサイ。

  2. 米手作市様
    「また、お前か」と言われそうですが1日経過しましたので1981.6.20東北本線藤田駅で撮ったED717[福島]を出させていただきます。この頃は東北新幹線開業前で特急電車やED75重連が次々に来ましたが、本命はED71でした。

  3. ED61は中央東線での活躍に絞られ後にED62に改造されたのでED71よりも撮影されている方は少ないと思われます。写真は1963.12.25中央東線武蔵小金井-国分寺間の下り貨物ED6111[甲府]です。

  4. 昭和49年1月3日 六十谷 私もED6118です。ED61のラストナンバーで、竜華機関区にはもう1両ED6117がいました。

    • 藤本さん、井原さん
      これは驚いた!
      不勉強ですね、阪和線にED61がいたことを初めて知りました。
      今ごろになって新しい知識を得るのもデジ青のいいところ!と、強がりを言ってみました。

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