先般 3泊4日で佐賀県を旅してきました。主たる目的は、幕末から明治維新にかけて日本の歴史に大きな影響を与えた薩長土肥のうち「肥前 鍋島藩」の風土が知りたかったためです。従って、鉄分少な目の旅ではありましたが、以前から一度訪ねたかった旧佐賀線の筑後川昇開橋は必見箇所としてコースに入れていました。
国鉄佐賀線は鹿児島本線瀬高駅から長崎本線佐賀駅までの24.1Kmが昭和10年5月25日に全通し、国鉄民営化前の昭和62年3月28日に廃止されるまで約50年余り客貨輸送に活躍した路線でした。熊本発長崎行き準急「ちくご」も走っていました。残念ながら私は現役時代に佐賀線を訪ねたことはなく、福岡県と佐賀県の県境でもある筑後川に架かる昇開橋を是非この目で見たいと思っていました。
橋の全長は507.2mで、昇降部分(24.2m)は福岡県側にあります。地図でわかるように、大きな船が昇開橋を通り抜けても、今では昇開橋の上流部に国道208号線の大川橋と諸富橋があり、それ以上進むことはできません。川の両岸には船着き場がありますが、佐賀市側の岸壁は水深が浅いとのことで大型船は接岸できず、大川市側の船着き場を利用する船があるようです。
かつて 橋をはさんで佐賀市側には諸富駅が、大川市側には筑後若津駅がありました。また線路跡も自転車道などとして、しっかり残っていました。今回はまず佐賀市側を訪ねたあと、大川市側から昇降部まで歩きました。
昇降部は23m上昇できるのですが、昭和13年の写真でわかるように、汽船の煙突が高いために23mの揚程が必要だったのでしょう。この橋は鉄道省熊本建設事務所が設計施工し、昇開橋の仕組みそのものも日本人の考案だそうです。竣工当時は「東洋一の可動式鉄橋」とされ、昭和12年のパリ万博には精巧な模型が展示されたそうです。佐賀線にはもう1ヶ所、筑後若津・筑後大川間にあった花宗川橋梁(全長64m)も可動橋だったそうです。こちらは両側に75°跳ね上げられる跳開橋でしたが、佐賀線廃止に伴って撤去されています。残っておればきっと観光名所になっていたことでしょう。
さて、充分な事前調査もせずに現地を訪ねたのですが、昇降部は何か特別な時に昇降させるのかと思っていました。丁度大川市側から歩き出して昇降部に着いたのが16:35頃でした。昇降部そばの詰所におられた職員さんが、「対岸へ渡るなら早く渡って下さい。16:50頃から通れなくなりますよ! こちらに戻るのなら時間がありませんよ!」と言われて初めて、毎日昇降させていることを知りました。もう15分程待てば動くところを見れることがわかり、迷わず待つことにしました。
昇降開始まで待つ間に、動き出したらどんな音や振動があるのだろうといろいろ想像していました。ガラガラ、ゴロゴロという音がするのだろうと思っていたのは大間違いで、全く静かで振動もなく、拍子抜けした感じでした。88年も前に完成したリベットだらけの橋梁が、よく手入れされているとは言え これほど見事に保存されていることに感動を覚えました。職員さんは「川岸から見た方がいいですよ」と勧めて下さいましたが、すぐ近くで見ることにして正解でした。遠く離れていたら、これほど静かに滑らかに動くことは実感できなかったと思います。昇降部が見えなくなると、代わりにバランスウエイトが降りてきました。
バランスウエイトの真下には門型の支柱があり、上面には厚いゴムが取り付けられていたので、ウエイトはこの門の上に乗るまで降りるのかと思っていましたが、そうではなく宙吊りのままでした。線路があった頃には、このような門型サポートは無かった筈で、歩道化された際に設置されたのでしょう。貴重な瞬間を体験でき、満足して筑後若津駅跡に戻りました。
通行可能時間は16:30までと表示されていますが、訪ねた日は16:50から動き始めましたから、対岸に渡って戻れなくなる人があるため、早めの時間表示がされているのではと思います。翌朝は8:45頃から下降させるのではないでしょうか。
橋は平成8年に国の登録有形文化財に指定、平成15年には国の重要文化財に指定され、平成19年には機械学会の23番目の「機械遺産」に認定されています。日常の管理は「公益財団法人 筑後川昇開橋観光財団」が行われているようです。なお昇降作業を操作する詰所がありましたが、国鉄時代は「筑後川信号所」として、職員が詰めていたようです。
先取の気風にあふれた佐賀藩鍋島公は、蒸気船の建造をはじめ薩摩と並んで外国の技術導入に力を入れていました。また大隈重信はじめ多くの優秀な人材を輩出しています。「佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館」を訪ねると、蒸気機関車(レプリカ)も展示されていました。
昇開橋も佐賀という風土が生み出し、今日まで残されているのではと思える貴重な遺産でした。佐賀から三原への帰路は、敢えて佐賀⇨鳥栖⇨原田⇨桂川⇨直方⇨折尾⇨小倉というルートで筑豊本線の車窓風景を楽しんできました。ただ原田・桂川間の冷水峠越えは「線状降水帯」を通過する形になって大雨に見舞われ、景色が見えない状態で通過しました。沿線でのスナップ写真を添えておきます。
西村雅幸さま
筑後川昇開橋のレポートを拝見しました。未だに現存しているのを知り嬉しくなりました。感激ものですね。小生は昭和45年3月に文中にあった準急「ちくご」で通過していました。昨今でいうところの卒業記念旅行?でK中さんI伏さんと3人で九州のSLを撮りに行った際でした。昇開橋の存在はピク誌で知っていたので、おそらく単調であろう佐賀線に在って面白そうだと興味を抱いての通過でした。もう記憶はかなり薄らいでいますが、いくらかスピードを落として通過したように思いますが定かではありません。尤も列車通過時は、まして車内からでは普通の鉄橋(多少ゴチャゴチャしていますが)にしか見えませんから、なんだという感じではありましたね。5~6年前に四日市港支線の末広可動橋で最後のDD51を撮りましたが、やはり可動橋は傍から見ないとわからないと感じたものです。
「ちくご」には高森線立野の鉄橋辺りで撮ってから松浦線へ行くため利用しました。「ちくご」は長崎行なので、途中佐賀~肥前山口(断じて江北ではない)間を走行中に博多発佐世保行「弓張3号」の編成に移動して佐世保に向かいました。
筑豊地区に始まり夜行で大畑、更に日豊線田野などと回った旅では九州のSLを堪能しましたが、なぜC11の地味な松浦線に行ったのか、今となってはもう思い出せません。因みにこの時の田野の綺麗な杉林と雄大な風景が、数年後に復活した急行日南のC57牽引を撮りに行く大きな動機になったことでした。
1900生様 コメントありがとうございます。佐賀線を「ちくご」でKさん、Iさんと通過されたのですね。四日市の可動橋もひと目見ておこうと、列車が来ないのを承知でタクシーで見に行きました。かつては大阪や神戸にもあった可動橋ですが、今となっては貴重な鉄道遺産です。
西村雅幸様
残念ながら筑後川の昇開橋は興味があったのですが佐賀線は乗ったことがありません。この諸富-筑後若津の間の9600が通過する写真を鉄研三田会の安達格さんの写真集「記憶に残る蒸機たち」にありましたので許可を得て転載させていただきました。1971年12月の撮影で走行しているのは9600も貨物列車です。
準特急様 いつもながら、素早いコメントありがとうございます。この安達様の写真を拝見しながら気付くのは、昭和46年頃には川岸に葦原?があったり、漁網を仕掛けられる場所があったということです。今では河岸はコンクリートで固められ、このような風景は見られないように思います。漁網越しのアングルに安達氏の感性を感じます。
鉄研三田会の安達です。筑後川を渡るこの橋は当時から貴重な鉄橋という認識から是非とも記録に残したいシーンでした。
西唐津機関区配属の9600が瀬棚線までやってきたのが喜ばしいです。早川様と福田様とは親しくお付き合いいただいております。
中州に仕掛けられた四手網も、今となっては思い出の風景です。
西村様のご感想に感謝いたします。
安達様
デジ青にコメント頂戴し、ありがとうございました。また、安達様の詩情豊かな筑後川昇開橋の写真も拝見しました。デジ青は、投稿記事の多様性も去ることながら、コメントが自由に入れられて、さらに返信もある双方向性が特徴です。これも、日頃デジ青をご覧になっている、皆さまのお蔭です。ツッコミ、イチャモン、大歓迎です。そこは、準特急さんはじめ、根っからの関西人ばかりですから、何を言われても太っ腹です。関西に縁がないと思っていました安達様も、意外な結びつきがあって驚いています。これからも、よろしくお願いいたします。
この度は、佐賀線を北海道にありました瀬棚線と路線名を間違えておりますので、謹んでお詫び申し上げます。(安達 格)
安達格様 この漁網の固有名詞がわからなかったのですが、「四手網」だったのですね。96もワフも当時の日常風景でした。この昇開橋がしっかり保存されてゆくことを祈るばかりです。
1980年11月3日に、1日に西鉄北方線の廃止を見送った後に訪問しております。
大学の学期中でしたが北方線の最終日を見ておきたく、フェリーで急遽帰省して、3日の日に夜行の「くにさき」で京都に戻ったと思います。
鉄橋の写真もありますが、列車が少なく入れて写せなかったので諸富駅の写真を出しておきます。これも貴重ですね。
今となってはこの数年後に佐賀線もなくなるなんて想像もできませんでした。1981年2月の春季旅行は長崎で、移動に「ちくご」を使って鉄橋を通っています。
西村様
遅れてコメント、失礼します。乗り鉄、撮り鉄の範疇を越えて、鉄道繋がりのテーマを求めて、各地へ旅行されている西村さんに敬服します。米手さんが口酸っぱく言っておられるように、鉄道は、あらゆる要素と絡み合っている乗り物であり、趣味活動も、単にネタ列車だけ追い求めて、人と同じ写真を撮るだけではなく、自分なりのテーマを掲げて趣味活動をすべきで、それこそが、大人(高齢者?)の鉄道趣味だと力説されています。まさに、その教えを実践された例ですね。
総本家青信号特派員様 そんな大それた思いで旅しているわけではありません。学生時代から各地を旅してきましたが、通過した県は多いけれども、じっくり見て回った県が意外と少ないことに気付き、特に県庁所在地や旧国名で濃淡を考えて、家内と相談しながら旅先を決めています。その中にどれだけ鉄分を盛り込めるかですが、計画するところから楽しんでいます。次は高知県、森林鉄道をキーワードに計画中です。