クルマで京都・大津に出向いた帰りに北条鉄道を訪ねてきました。JR加古川線粟生から北条町まで13.6Km、かつての国鉄北条線です。車庫は終点北条町にあります。車両はたった3両しかありません。北条町駅は予想に反して近代的な駅でした。
車庫の中に1両(フラワ2000-2)が休んでいました。外に留置されているピンクのDCは1999年富士重工製のフラワ2000-1です。運行は1列車が片道22分で行ったり帰ったりしています。途中に交換設備はありません。
粟生へ向けてクルマを走らせました。次の駅は播磨横田駅です。ホームの桜はまだつぼみでしたが 咲けばきれいだろうなと思います。フラワ2000-3の615レが来ました。
このフラワ2000-3は平成20年3月末で廃止された三木鉄道のミキ300-104が平成20年12月に北条鉄道に移ってきたものです。当初は三木鉄道時代のままの塗色でしたが今は塗り替えられています。満開の桜に映える色です。平成13年12月30日に三木駅で写していました。
次の駅は長(おさ)駅です。大正時代に建てられた木造駅舎です。元は交換可能駅でここにも立派な桜がありました。
線路は集落を結ぶように伸びていて、次は播磨下里駅です。ここもに交換設備があったようです。播州鉄道の王子駅として開業したそうです。
北条町から7.5Km、4番目の駅が法華口駅です。法華口とは何だか抹香臭い駅名ですが、この駅から西方に西国二十六番札所天台宗法華山一乗寺があります。列車の来る時間待ちを兼ねてお参りしてきました。国宝の三重の塔などを有する立派な古刹でした。丁度前日に台風まがいの強風が吹き荒れたため 境内の桜の古木があちこちで折れて片づけに追われていました。
法華口駅も交換できる駅だったようで、向かいのホームの桜が咲いていないのが残念でした。
ところでこの駅から北東方向に陸上自衛隊の青野ヶ原演習場があり、ヘリが離着陸していました。実はこの演習場とは別に法華口駅のすぐ北側には姫路海軍航空隊の鶉野飛行場と川西航空機姫路製作所があったのです。敗色濃い昭和20年5月に完成した飛行場は 本土決戦を覚悟して急造され、川西航空機で作られた特攻機「紫電」「紫電改」が配備されていたそうです。その飛行場の滑走路跡や地下防空壕(地下指令所)が今も残っているのです。終戦後 広大な土地は民間に払い下げられて この防空壕も民家の敷地内にありますが、中を見学できます。
今でこそ整備されて見学できますが、戦後66年間は水が溜まったまま放置されていて 中がどうなっているのかわからなかったそうです。2011年8月に地元の人たちが消防ポンプで水を汲み出し、入れるようになり 照明設備を付けたり、各種展示をして戦争遺跡として今日の姿になったようです。写真右手に写っているコンクリートが半地下構造の防空壕の屋根の部分です。ここからほど近いところに広々とした滑走路跡があり 一応自衛隊の演習場となっていますが出入り自由です。その一角に この飛行場から特攻機で飛び立った若き飛行兵を悼む慰霊碑もあり、 自衛隊旗が掲揚され 花も飾られていました。鉄道の引込線はなかったようです。
さて 北条鉄道に戻って次の駅は田原駅ですが、写真は省略します。次の網引(あびき)駅に向かいます。ここは駅舎や交換設備もない小駅ですが、ここにも悲劇の記録がありました。
踏切の向こうが事故現場です。
C12189は事故直後ではなく、昭和35年10月15日に加古川区で廃車されています。客車の形式、番号、両数などはわかりません。
地元ではよく知られた史実かも知れませんが、私は戦跡や列車転覆事故のことを知らなかったので、あえてご紹介しました。北条鉄道に行かれたときには 訪ねてみてください。
終着 粟生駅は神戸電鉄も乗り入れている近代的な駅なので今回はパスして 三原へと帰りました。古い木造駅舎、今頃では珍しくなった木の枕木、のどかな田園風景の中をゆっくりと走る単行DCなど 懐かしさ漂う北条鉄道でした。このミニ鉄道がいつまでも走り続けてくれることを念じつつ。