佐渡の鉄道

道遊坑から破砕場に向かう坑外線

道遊坑から破砕場に向かう坑外線

島の鉄道と言えばまず淡路島、戦前の沖縄県営、屋久島の林鉄、サトウキビの南大東島を思い浮かべるのですが、佐渡島にも鉄道があったのです。佐渡と言えば金山で有名ですが、この金鉱山の鉱山鉄道です。実は鉄分抜きのつもりで佐渡旅行をしてきたのですが、思いの外 多くの車両や遺構に接することができました。佐渡の鉱山鉄道についてはJTBキャンブックス 岡本憲之著「全国鉱山鉄道」に1ページだけ紹介されていますが、もう少し詳しくご紹介しましょう。

佐渡金山は約400年前に開山され、江戸幕府の財政の基盤となったのですが、明治維新後は官営鉱山となり、明治29年からは三菱に払い下げられ、三菱金属、三菱マテリアルと名を変えながら平成元年3月末に閉山しています。現在は「金山資料館ゴールデン佐渡」として多くの観光客を集める史跡となっています。残念ながら鉄道車両は静態保存ですが、まずまずの保存状態でした。

道遊坑と道遊の割戸

道遊坑と道遊の割戸。庫内に4Ton機関車が見える。草むらにレールが埋もれている。

 開山当時は露天掘りから始まるのですが、後ろの山の真ん中にV字型の切れ込みが見えます。現在は木が生い茂っていますが、金脈を掘り下げて行った大きな切れ込みで「道遊の割戸」と呼ばれる佐渡金山の象徴です。この金脈に向かって入ってゆく坑道と線路が道遊坑です。

2Ton蓄電池機関車No.6と人車

2Ton蓄電池機関車No.6と人車

この鉱山鉄道の軌間は508mm(1フィート8インチ)と三菱鉱山規格の500mmが混在していたらしいのですが、その区別は不明です。機関車は日本輸送機(ニチユ)製です。ニチユ製の小型蓄電池機関車にはいくつかのタイプがあって、この2Ton車はF型と呼ばれた量産機です。ともあれ佐渡でニチユにお目にかかるとは思いませんでした。ニチユと言えば神足、神足と言えば乙訓のご老人をはじめぶんしゅう殿、特派員殿の地元ということで不思議な縁を感じました。

6号機の銘板、製番は��み取り不能

6号機の銘板、製番は読み取れず

 

昭和13年に三菱電機製の5Ton電気機関車が4両導入される以前には輸入電機が働いていたようですが、詳細はわかりません。蓄電池車ではなく架線式の電機だったと思われます。坑外には2Tonガソリン機関車もいたようですが 、これも詳細不明です。須磨の御大のお出ましを乞う次第。

10号機。機関車だけはきれいに整備されている。

10号機。機関車だけはきれいに整備されている。コントローラーのノッチも軽く動いた。

8号機と鉱車

8号機と鉱車

ニチユの古いエンブレムがついている。号機不明。

ニチユの古いエンブレムがついている。号機不明。

蓄電池機関車は仕事を終えると充電のため車庫に戻ります。今は機械工場ということで工作機械などが展示されていますが、レールの上に旋盤などが置いてあるところを見ると この建物は本来の機械工場ではなく 機関庫だったと思われます。小さなターンテーブルがいくつかあって、充電エリアと整備エリアになっていたようでした。

ターンテーブルと充電エリア並ぶ5,3,2号機。もう1両は坑内に展示。

ターンテーブルと充電エリア並ぶ5,3,2号機。もう1両は坑内に展示。

ここで使われているレールは主要坑道が15Kgレール、一般坑道が12Kgレールということで錆びた古レールが棚に並べられていました。棚にバラ積みされたレールというのも珍しい光景でした。

坑道から2Ton車に牽かれて出てきた鉱車は、坑外は牽引力の大きい4Ton機関車に牽かれて破砕場のホッパーへ運ばれたようです。その4Ton機関車も別棟に保存されていました。

4Ton機関車

4Ton機関車

機関車がニチユ、電池や整流器がGS日本電池、充電制御継電器がオムロン立石電機製と なんとすべて京都で生まれたものというのも京都人としてはうれしい限り。今は亡きSさんが御室にお住まいだったり お父様が確かGSにお勤めだったことも思い出され ここでも不思議なつながりを感じてしまいました(考え過ぎ、こじつけのようですが・・・・)。ところで佐渡島は北前船の寄港地で越後とのつながりよりも関西との文化的なつながりが深い島です。佐渡おけさも もとは北九州地方のハンヤ節が関西、北陸と伝わったものだったり、今も村毎に立派な能舞台が数多く残されて能の伝統があり、料理も関西風のうす味だったりで興味が尽きない島でした。その佐渡金山に京都生まれの機関車たちが働いていたのも おもしろい縁だと思った次第です。

ダルマ転てつ器の残る坑外線

ダルマ転てつ器の残る坑外線

この金山には江戸時代の様子を再現した宗太夫坑と明治時代の様子を再現した道遊坑の2つの観光用坑道があり、両方を見ると1時間半程度を要します。観光バスで乗りつける団体客は時間に追われるため宗太夫坑とお土産店だけで次の名所へ行ってしまうようで、ご紹介した道遊坑の鉱山鉄道跡まで足を延ばす人は少数です。従ってゆっくりと見学できました。この2つの坑道のほか選鉱場跡、製錬所跡などの古い産業遺産も含め、また金とともに金の量の30倍を産出した銀とあわせた金銀鉱山として世界遺産登録を目指して活動しているようでした。今は静態保存の鉱山鉄道ですが、その一部でも動態保存化できれば 集客力も増えるのではと思いました。特にニチユは盛業中であり、比較的良い状態で保存されている機関車ゆえ 復元は楽なように感じます。

現在国内で稼働中の鉱山鉄道がいくつあるのか不勉強ですが、稼働中の鉱山鉄道があっても 普段は見学や撮影は難しいでしょうから 閉山しているとはいえ その様子がよく判り 楽しいひと時を過ごすことができました。わざわざ金山だけのために佐渡に渡ることはないと思いますが、花の島、トキの住む島、古い文化の残る島と様々な顔を見せてくれる島に興味のある方は是非訪れてみられてはいかがですか。

4 thoughts on “佐渡の鉄道

  1. 殆んど知られていないが、長岡鉄道が佐渡ヶ島に1926年5月1日免許を取得していた。佐渡線と称し、両津町-相川町、軌間762mm、工費90万円、動力は蒸気である。長岡鉄道は雨宮製作所が製造した日本最初のディーゼルカー2両を、まだ設計段階で契約。舞い上がったとみえ、1928年2月23日1067mmの本線に重油動力併用を申請しただけでなく、佐渡線も起業目論見書を変更して動力を「ディーゼル機関」に変更したのである。ディーゼル動車キロ1、2は1928年12月27日竣功届、雪解けを待って1929年4月9日「5日ヨリ実施」と重油動力併用を届出、全国私鉄の関心を集めた。しかし設計に難があり、舶用MANエンジンが18.5トンの車体に50馬力/1,100回転と極めて非力、しかもガソリンも経験しないままのいきなりディーゼルで、成功はせず、極めて高価な買い物に終わって、結局はガソリンカーに改造、敗戦後は電車になったのが知られている。佐渡線も着手に到らず免許を失効している。

  2. 湯口様
    早速のコメントありがとうございます。全く知らなかった歴史に驚いています。佐渡線が実現していれば、両津、相川間は国仲平野と呼ばれて たいした勾配もなく、淡路島のようなことになっていたのでしょう。そんな歴史があったとはつゆ知らず、レンタカーを走らせ、司馬遼太郎の「街道をゆく 佐渡の巻」を頼りに島を巡った次第です。

  3. 佐渡の鉄道と投稿されていたので、ネットで検索してみました。佐渡については少し思い入れがありまして、高校1年のとき部活で夏期調査旅行(地歴部所属でした。)で佐渡を訪れました。遠い所へ行ったのは修学旅行の東京だけでしたから、そのときは外国に行くような感じでした。さて、佐渡の鉄道ですが湯口先輩のコメントに書かれてあるような幻の鉄道があったようで、計画路線図もあるようです。ウィキペディアでは島内路線バスの本線がそのルートになると書かれてあり、また地名に「駅前」と表示されているとありました。主要なバス停留所を「駅」と表示していたようです。地図で確認すると地名にはなく、交差点名で「金井駅前」がありました。ここは佐渡市市役所や佐渡市立図書館がある近くであるようです。この鉄道を計画した経緯については「佐渡郷土文化98号2002年-2月」に記事があるようです。富山に居ていた間に行きたかったのですが、行けませんでした。私の祖父は上越市の春日周辺の出身でここにある寺に先祖の墓があることがわかったので、墓参りも兼ねて、佐渡に渡り少しばかり調査したいと思っております。興味あることを知らせていただいてありがとうございました。いつ行くかは未定ですが。

  4. どですかでん様
    貴君の佐渡への思い入れは知りませんでした。私もウィキペディアを見てみました。「金井駅前」があるのを知っておれば 写真の1枚でも撮れたのにと残念です。ところで高校1年の地歴部旅行の調査目的は何だったのですか。今度お会いしたときに聞かせてください。当時は関西から佐渡は遠かったことでしょう。今回私は「はくたか」で直江津に行きましたが、確かに速いのですが、親不知はトンネルで抜けて海は見えず、糸魚川は停車せず通過。POINT TO POINTの鉄道旅は味気なく、通過した閑散とした糸魚川構内の光景だけが印象に残っています。学生時代の旅がなつかしいですネ。

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