前回のモハ40の時に河様とのやりとりで出てきた、モハ43型の登場です。
昔はこの電車を言うときに、決まり文句として“合いの子電車”モハ43型と書かれていたのを良く覚えています。でも、何と何の“合いの子”なのかわかりませんでした。旧来の“ゲタ電”との合いの子なんだろうと漠然と思っていましたが、モハ52とゲタ電の合いの子だったと知りました。
もっとも幼少の頃から乗った記憶がありますが、それがこの43型か三扉の51型だったのかわかりません。阪和線へ転勤したのが80系に押し出された、とありますのでどちらにも可能性があります。はっきりと覚えているのは、茶色とクリームの80系急電でした。
関先生も意識しておられるんですねぇ。『合いの〇』には。
小生の『折衷車』も然る事ながら、新語?の『混血種』が出て来て、思わずニヤッとしました。
さしずめ、ひところ流行った『ハーフ』ですが、それも問題有りだったのか、とうとう使用禁止?になったのでしょうか。
本当に窮屈な時代になってしまいました。
この『合いの〇』の本当の言われについては知りませんが、モハ52と一般形モハ43との『掛け合わせ』と言う意味ではないかと勝手に思っていました。
この『合いの〇』4両の内1両が戦災廃車され、2両がパワーアップされモハ53になったようです。
小生はと言うと、こんなに大阪国電ファンだったのに会えず終いでした。
国電を意識し始めた頃には既に京阪神からは消えており、幼少の小生には阪和線は遠く、所要で父母に連れられて見た数少ない阪和線経験では遭遇出来ませんでした。
後に、何度か静トヨを訪れた時も静ママ車だった同車には会えなかった上、飯田線の乗車も手抜きしてしまいました。
流電とゲタ電との「合いの子」ではなくて、流電52系と、本来の42系との混血種です。
3扉ロングシートの40・41・60系ならともかく、クロスシート2扉の42系を「ゲタ電」と呼んでよいものかどうか、いろいろと議論はあろうかと思います。