三山電鉄の不思議

先日、山形交通三山線の昭和34年9月訪問記を投稿したところ、後追いで廃線になるまでを哲夫君が紹介してくれ感謝している。これで一件落着の筈が、紹介した以外の三山電鉄があったらしいので頭を悩ましている。それは1996年10月に鉄道資料保存会から配本された【日車の車両史:写真集-創業から昭和20年代まで-】に掲載された一葉の写真(下に掲載)とキャプッションなのである。曰く【三山鉄道 大正15年11月 1~3 おとなしいスタイルの路面電車 後の山形交通モハ100形】とある。

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これからすれば、全く異なる電車を見て撮影(再度掲載)してきたことになるので悩んでいるのだ。まして鉄道資料保存会にはクローバー会メンバーが2人いらっしゃる。なにかあれば老人の耳に入ってきそうなものだが、今に至るまで沈黙を守ったままである。

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事の発端は【おとなしいスタイルの路面電車】の窓下に画かれた○の中に山三つがあるようだが、これが基で日本車両鉄道同好部の方がどこかで、ボタンの掛け違いをなさったようである。そこで大正15年11月製の【おとなしいスタイルの路面電車】を、和久田康雄氏の調査資料中心に探してみたのだが、今のところ行き当たらない。何処にあるのだろうか、真相はどうなのでしょうか、デジ青ファンで電車好きでお気づきのお方さま、悩める老人にお教え下さるようにお願いします。

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三山電鉄の不思議」への3件のフィードバック

  1. 乙訓ご老人がお悩みはごもっともで、誰が見てもこの社紋は山が三つで三山電車と考えて不思議はないが、実はこれは水浜電車の社紋なのである。鉄道史料98~100号に戦前私鉄社紋を列挙しており、98号155頁右上にある。
    和久田康雄『日本の市内電車』では150頁に1~10、木製単車、40人乗り、1922年日車製とある。
    日車売上台帳では第46期(1922年6~11月)の東京支店に、「水浜電車株式会社、四輪電車車体、10輌、請負金額42,500円/製作費332,955円17銭/工場損益9,544円83銭、トラック4,200円/2,841円05銭/1,358円95銭」とあるのが該当する。

  2. 私も慌てて【日車の車両史:写真集-創業から昭和20年代まで-】を開いてみました。
    社紋の文字が「水」に見えるので「水浜電車」かなと思い「図面集―戦前私鉄編」を確認したところ「上」のP83に図面が掲載されていました。

  3. 須磨さん、哲男さん、有難うございました。さすがクローバー会エースのご両人です。山に拘ったのがいけないのですね。これで今夜から熟睡できます。このところ左足不全につき生中を控えております。2/22、3/3、3/16にやっただけで、飲んだ翌日異常ないように見えますが、2/24朝から痛むところありで整形外科に飛び込みましたが、依然として原因不明です。酷い日は350歩でダウン、一服してからヨロヨロソロソロです。これで回復することを祈っています。

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