【49759】広島の外廻り鉄

KAWANAKAです。

本当に久し振りの投稿をさせていただきます。最近はシルバー世代であるに拘らず副業に追われており中々、出掛けるチャンスがありません。

そんなとき、偶々、福山に副業に行くことになったので、西村氏の広島へ来んさい、の記事に誘われて副業のついでに外廻り鐵をしたということです。内容的には何も大したことはありません。イベントがあるわけでなし、お目当ての車両が走るわけでもないのですが、モタモタしていると広島地区の鉄道が様変わりしそうなので、この機会を逃す手はないと思い、西村氏に声を掛けた次第です。折角ロケするのだからデジ青に投稿して皆さん広島に来てください、と言うてくれ(かどうか忘れましたが)とのことで、貴重な電子データを借用する次第です。

さて多忙な中、暑いのでとの配慮からマイカーでロケに行きましょうと氏の居を構える本郷からスタートしました。特に何を撮ろうというのではなく、来たものを撮りつつ広島で旧車と新車を取り混ぜて撮っておこう位の気持ちで出とこ勝負、気楽に出かけました。ガツガツするのももう歳ですし、来たら眺め蘊蓄を傾けるというのも良いでしょう。という訳で、本郷を出て間もなく郷原信号場跡に車を止め路肩の広い空き地を利用して2,3構えることにしました。信号所の跡の研究ではなく、広島空港行の高速道路の橋を入れて撮ろうということになっただけのことです。

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実はセノハチ経由で広島に行こうとしていた道草なのですが、この橋とのコラボも良かろうと立ち寄ったしだいです。

ここで気がついたのですが、側線跡が残っているのですが軌間が広く感じました。本当かどうか分かりませんがレールが細いからでしょうか。2人も、そう思ったのですからそうなんです(そんなはずはないですよね)。

西村氏が調査している風景です。

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側線はごらんの通りなのですが、架線がちゃんとあります。縁は完全に切られているので訓練用でしょうかね。こんな場所でやらなくてももっと設備のちゃんした場所でと思うのですが、臨場感を得るために横を列車が通過しないといけないのでしょうか。

車はどんどん進み、瀬野に。かつて西村氏が紹介したスカイレールがあります。急峻な山の上に住宅街があって、そこへの交通手段です。ロープウエイとモノレールの間の子のようなシステムで、折角なので見ていくことにしました。可愛い車両がぶら下がっていますが女の子が1人で乗っていて、男が乗ってくると怖い!というのは分かります。遥か彼方へ遠ざかっていくキャビンを見送り、広島へ急ぎます。

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広電は1000形と旧車がお目当てです。写真は氏がよく行くスポーツ用品店の2階から。涼しくて見晴らしも良く快適です。今回は買い物はなかったのですが、有難く場所を提供いただきました。1002号ピッカラです。続いて大阪と京都市電のツーショット。

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あまりに暑いので、西観音町の区役所前の木陰にロケを移動。適当に撮った所でお茶にして退散となりました。今度はゆっくりと来ようと。その時の2枚です。また、西村氏宜しく。ちょっと報告が長くなったかな。

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10 thoughts on “広島の外廻り鉄

  1. KAWANAKA様
    暑い中をご苦労さまでした。横川から青春18でのご帰宅 さぞ乗り応えがあったことでしょう。予習が不充分でセノハチの補機は眺めるだけになってしまいました。セノハチの補機を狙うには夜明け頃に現地に着いていないとダメですね。さて少し解説を。山陽鉄道糸崎・広島間が開通して今年で120年になります。セノハチの急勾配は有名ですが、元機関士に話を聞くと補機を従えて一気に登る上り列車は意外と楽な一方で、三原から西条、八本松へダラダラと補機なしで登ってゆく下り列車の方がきつかったとのこと。なかでも急行「玄海」が重くてイヤだったそうです。九州に向かう客は手荷物も多く、マシ、マロネなど重い客車を引っ張っるので定時運行に気を使ったそうです。山陽鉄道時代には三原広島間に3カ所のスイッチバック信号場が設けられていました。そのひとつが本郷・河内間の郷原信号場、そして入野信号場、中瀬野信号場です。郷原と中瀬野は今も保線用車両の待避線として痕跡を残しています。写真にある地面に埋まったレールとつながっていない架線は謎なので 改めてレールゲージを測りに行こうと思います。広島空港大橋ですが 余り知られていないと思いますが国内最長のアーチ橋で谷底からの高さは190mもあって、クルマで走ると 下からの眺めを知っているだけに 何とも怖くて気持ちの悪い橋です。県北地域と広島空港のアクセスを便利にする目的で建設された広島中央フライトロードの一部で歩道はなく自動車専用です。300億円を投じた橋ですが 通行量は少なく県北を地盤とするSHIZUKA K代議士の置き土産と揶揄される橋でもあります。クローバー会の皆さま 当地へお越しの節は是非ご一報下さい。お待ちしております。

  2. 質問へのお答えと共に臨時車掌の思い出を紹介しましょう。
    マイクは白川橋から貸していただきました。先ず、今走っているのは昔の東海道で、東京へ行くにはこの道を歩きました。お金持ちは馬に乗りました。と言ったら反響がありました。追分を出たところで右の壁の上に名神高速道路があり、昔は汽車が走っていたと話し、逢坂山トンネル入るときは車掌と話し合って予備灯だけとしました。薄暗い中で昔の汽車気分を味わってもらいました。
    浜大津は東駅に通常通りの入線、折り返し石坂ホームで一旦停止、石山方面に下りストップ、折り返し上りホームでストップ。通常通りの入替作業でした。この作業を先に予告しておいたせいか2度に亘り「バイバイ」が出来て子供達は大喜びでした。ホームで待っている乗客も何事ぞとビックリした表情で手を振り応えてくれました。近江神宮前を出て柳川鉄橋から穴太間の右窓からは琵琶湖が良く見えると案内しました。湖西線の上に見えましたのでまたもや大騒ぎ。小さな小畑川しかない向日町の子供たちが見る湖は、海と映ったのでしょう。
    帰路は着席の子供はほとんど寝てしまい、車内は昆虫天国になりました。浜大津の折り返し作業中のホームの乗客は、時ならぬ昆虫電車が目前に到着、あっけにとられるやら笑い出すやら、その中をしずしずと三条に向け出発しました。
    先日の福塩線で一箇所間違いあり、3度目の備後安田行きは1995年でした。また尾道~府中間を走っていた70系電車の塗色は阪和急行用のものであったと思います。キハ120の新製が1990年であったことを思い出し、手帳を探し出し確かめてみました。ごめんなさい。

  3. 乙訓のご老人様
    三条発坂本行きの様子が目に浮かびます。またこの特別列車を引き受けられたY助役殿もさすがです。その時の子供たちももういいおじさん、おばさんでしょうが 浜大津の転線、スイッチバックを覚えている人が一人でもあればうれしいですね。

  4. 総本家氏への問いに返事を忘れていた。京阪が琵琶湖汽船鉄道を併合した事により石山坂本線は京津線と連絡する必要が出来た。その発端は琵琶湖汽船が新造した100型12両をどうするかであった。昭和6年に6両守口に送り、本線用に改造した。昭和10年に2両、昭和14年4両と追加された。これらはいずれも京津線経由ではなく、仮台車に履き替え東海道線経由だろう。昭和14年の4両の時、初めて代替車として京阪100形4両が錦織車庫に京津線経由で送られた。この時を前にして、京津20型が石坂線用として送られている。この時初めて京津線との連絡線が坂本行きの線から三条行きの線と繋がった。そして石山行きの線にも、三条行きの線と連絡するための折り返し線が出来たのであろう。このルートを利用しての営業列車は、50年史では1往復、昭和20年2月25日大化改新千三百年祭を近江神宮で挙行のため、天満橋・近江神宮間直通運転を実施とあるだけである。これには60型63号が使用された。石山方面には昭和23年から70型を使って三条から直通急行が設定された。しかし坂本方面への三条発の直通列車運転記録は今に至るもない。臨時列車としては昭和35年8月某日、夏の高校野球、京滋決戦が新装なった皇子山球場で開催されることになり、三条発皇子山行き260型臨時急行が運転された。老人はこの列車をカメラに納めたが、皆さんご存知のNEOPAN SS事件でフィルムは捨ててしまった。プリントしたものはだれに進呈したのか思い出せない。
    老人が坂本行き臨時列車を思いついたのは、高校野球臨に端を発する。暇人に三条駅駅長に挨拶に行くように指示を受け参上したが、駅長氏は高校野球臨を覚えておられ、坂本への臨時は過去にないと思うとおっしゃった。その後、坂本臨が走ったかどうか知らないが、もしあったとしたら先鞭をつけたことになる。

  5. KAWANAKAです。
    副業が忙しく、コメントの返事さえ出来ていませんが、乙訓の老人様のコメントがすごいところまで展開して、外回り鐵のレベルを超えてしまったのですが、ここでもう一回ポテンシャルを下げて初めの西村氏のコメントの続きにします。
    セノハチは下り列車が荷が重いというのは、色々と文献にも出ていますね。例えば、古くは昔高価な書籍ということで無理して買ったC59 life of pacific(アイゼンバーン)などに、機関士宇田賢吉さんの格調高い記載がありますね。
    それから何回もでてくるのですが、Greatセノハチなのです。重い列車を索く気合が手に取るように描かれていますね。

    郷原信号所で、ほどなく下りの貨物をEF200が単機で牽いて難なく通過するのをみて電機のパワーと時代を改めて感じました。
    そういえば、これも45年ほど前、まだ呉線にC59がいたころ、1本だけ下りのC59がセノハチを下っていたころ(記憶が怪しい)、inubuse氏と京阪に就職することになっていたK氏と九州行の急行で夜間のセノハチを下ったことを思いだした。窓を開けてサミットを通過するのを眺めるのであるが、考えてみると蒸気でもないので投炭の明かりが見えるわけでもドラフトが轟くわけでもシンダが飛んで来るわけでもないのであるけど、その時はその時で思いを巡らせたことがあったなあと思い出した。
    また、今度行きませんか。

  6. KAWANAKA様&西村雅幸様
    西の箱根「セノハチ」の補機付き上り列車よりも下り列車の補機なし単機牽引列車の方がきつかったという元機関士の話は大変興味深いものがあります。同じ急行でも玄海のマシ29は重量フォワードでして、そういう戦前の重量級客車に加えてお客の数や荷物の量で厳しさが増してくるとは想像もつかない話ですが、やはり生の声は迫力がありますね。最近、C60、C61、C62のハドソン機に乗務した方や世界的に有名なジャンボジェット機の元機長と話をする機会がありましたが、実に面白くてひき込まれます。蒸機の予備灯や自動給単機の効能について少しわかりましたが、まだまだ聞きたいことが沢山あります。例えば、蒸機で言えば、集煙装置、クルクルパー、重油併燃装置等の効能の程度、補機付きと補機なしの列車の速度差、除煙板(デフレクター)の有無による運転上の難易性、標準デフとドイツ式(門鉄式)デフの除煙効果の差等どこかに記事があったのかもしれませんが、今の所、私にはよくわかっておりません。
    広島を始め中国地方のニュースいつも有難うございます。なかなかコメントできず申し訳なく思っております。プロ野球も後半戦に入り、ご当地広島東洋カープも女性ファンを開拓したりして頑張っておりますが、是非息切れせずにダメ虎よりも巨人をたたいて下さい。

  7. 準特急様
    コメントありがとうございます。今宵はカープが負けてしまって今一つテンションが上がらず、明日の朝刊も見たくない気分です。さて 鉄道に限りませんが、ひとつの道を極めた方のお話には引き込まれてしまいます。現役のベテラン機関士からこんな話も聞きました。今どきのJR貨物のELやDLの若い機関士はコキしか引っ張ったことがなく、長さや重さの違う様々な貨車の入換え(連結、解放、突放など)の経験者がほとんどなく、地上側からことこまかに指示を出さないと応用問題に対処できないと。昔は体で覚えたものだが、今はマニュアルがないと何もできないと。若い人を責められませんが、職人気質が消えてゆくのは世の流れなのでしょう。話が変な方向に行ってしまいましたが、鉄道趣味の奥深さを今さらながら感じています。

  8. KAWANAKAです。就寝前、寝つきがよくなるよう1発。
    気がつきましたが西村氏はカープ党なのですね。私も今頃気がついた?のです。車もMAZDAであるし・・・。
    列車の重さの話題がでました。小生は渋谷から埼京、山手、京成と乗り変えて通勤していますが、職場の同僚に技術なんでも蘊蓄を言わんと気が済まない人がいて、私は割と長じていると思っている鉄の話をします。
    渋谷駅の埼京線は山手線から外れており、結構な速度で通過していきます。ただ1箇所ジョイントがあります。曰くM車とT車でジョイント音が違うのわかりますか?katam、katakatan、katakatan、kakagatan、gatagatan、gatakatan・・・に聞こえるやろ、な。と言いました。
    そうかいな?というような顔をしていました。こんなもんです。
    おあとが宜しいようで。

  9. ボケが急速に進行中です。自動給単機→自動給炭機に訂正願います。これはストーカーと呼ばれC61、C62、D52に装備されていましたが、D52改造のD62、D51のほん一部にも装備されていたそうです。ついでに我々年寄りは皆知っておりますが、クルクルパーは回転式火粉止めと称し、煙突の上にお皿をのっけたような装置で見た目非常に不細工なカマになりました。全国各地にはそれぞれの事情に応じて改造されたり、余計(?)なものを付けたりしたカマが沢山おりましたが、それがまた蒸気機関車1両、1両に特徴を与え、C57等は遠目に見ても何号機かわかるものでした。

  10. kawanakaさん、無断闖入してごめんなさい。実はスカイレールを18きっぷで安芸の国に行くときに車中から見つけ、その時に出会った友人(非DRFC)に話したら後日説明書を送ってくれましたので、その話をコメントしようと思ったのです。ところが説明書があるべきファイルにありません。そのあと何の気なしに京阪貸切電車を打ち込んでしまったのです。今年の学童保育の合宿は園部の奥の施設でした。孫は楽しみで1週間前から合宿の事ばかり、それで指先が滑ってしまいました。8月2,3日、雨と曇りで、期待外れとなったようです。孫の母親は40年前は小学3年生でした。当然、坂本へ臨時列車で運ばれたのであります。

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