湖西線 開業40周年 -3-

 

これもまたタイミングを逸してしまったが、湖西線開業40周年関連の続きを。

昭和49年7月20日の開業日当日は、以前に記したとおり、開業式や各駅の祝賀の様子を撮ったが、その翌日も、日曜日とあって、F本さんとともに、走りの様子を収めるため、志賀、近江高島、安曇川へと向かった。

1IMG_0002 (2)syu1IMG_0006 (2)syu志賀で降りて蓬莱方へ戻り、琵琶湖沿いの区間で撮影する。この場所、江若で言えば近江木戸に当たる。湖西線の駅は、江若時代と同一地点または接近して駅が設けられた場合は、ほぼ江若の駅名を継承したが、この近江木戸のみは字名のため、より広範な当時の町名である志賀を採用した。田んぼのなかだけに、築堤が続く以外は、江若時代と大きな変化はない。ただ、近くにあった天井川の木戸川トンネルは埋められ、湖西線は高架で一挙に天井川を越えている。新旧の写真を対比すると、左側に見える2本の松の形が同じで、ほぼ同一地点と判る。

2syuIMG_00112IMG_0003 (2)近江高島から歩いて、北小松寄りの乙女ヶ池が見える小高い丘へも向かってみる。いま、この場所は有名な撮影地になったが、江若時代から、経験的に知っていたものの、乙女ヶ池の名すら知らなかった。定点がすこしズレているが、江若時代と変わらない、いかにも湖西地方らしい光景が広がる。細かく見ると、江若の廃線跡より山側に平行して湖西線が造られたため、現在でも、この区間は、江若の廃線跡が未舗装の道路として残っている。

3syuIMG_00143IMG_0004 (2)安曇川から歩いて、安曇川の鉄橋へも行ってみる。向こうに国道のトラス橋が見えることから、同一地点と判る。近江高島から以北、近江今津までは、江若の廃線跡をほぼトレースして湖西線が建設された。上流からの流木を避ける木杭もある江若時代のひ弱そうな橋脚から、PC桁のコンクリート橋となっている。

IMG_0060sy最後に紙資料も少々。これは、開業を告知する大鉄局制作のパンフ。湖面に船を漕ぎ出して写したのか、比良山が大きく迫っている。びわこバレイのカーレーターにより山肌が露出しているのも、この時代らしい。この絵柄は、駅貼りの大判ポスターにも採用され、チラシは駅などで大量にバラまかれていた印象がある。よく見ると、右下に目立たないようにして、ディスカバー・ジャパンのロゴも添えられている。このキャンペーンが終了するのは、昭和51年と言われ、つぎのキャンペーン“一枚のキップから”へ移行する末期のものである。

IMG_0061syパンフの中面は時刻表になっていた。京都口の下りで見ると、普通列車24本、新快速9本、計33本が湖西線のすべてで、現在の優等列車も含めた約110本と比べると、隔世の感がある。北陸方面へ向かう列車が米原回りから、湖西線経由となるのは、貨物列車が同年10月、ほとんどの優等列車は翌昭和50年3月後の改正からである。IMGsy

IMGsysy各駅に置かれた記念スタンプ、それぞれ絵柄の異なる記念スタンプが、京都から各駅に置かれていた。また、開業日には、下車駅で入場券も買い回った。自動販売機の軟券のため、価値は低いが、ナンバーを見ると、いずれも2ケタ台だった。このように、当時タダで手に入れたパンフ、チラシ、スタンプなどの紙資料は、時代を知る貴重な資料となるが、これが全く整理ができていない。写真のつぎは、これら紙資料の整理とは思っているものの進展はない。

 

 

 

 

4 thoughts on “湖西線 開業40周年 -3-

  1. 総本家青信号特派員様
    いつも褒め過ぎの準特急です。しかし、これは見事な定点対比撮影だと思います。同一路線の新旧対比写真でも風景の激変に驚くものですが、これはローカルな江若鉄道とその廃止路線跡にできた幹線鉄道の湖西線という大変珍しい記録だと思います。琵琶湖とその奥の山並みが昔と変わっていないがよく分かりますが鉄道施設や車両の変化が興味深く感じられます。私の様な昔(昭和30年代)の鉄道の雰囲気が好きな人間はこのような対比写真を待っているのです。最近はどこも撮影し難くなって若いファンには気の毒だとは思いますが、有名ポイントで同じような角度で撮ったJR特急列車等の写真が多い最近の趣味誌には多少うんざりしております。総本家さん是非趣旨を理解してくれるところに持ち込んで発表されては如何でしょうか。考えてみれば写っている113や153も湖西線開業当初の車両と思われますので風景自身も江若時代とそれほど変わっていないのかもしれません。そこで現在の同一地点の写真を入れてもらうのも一興かと思います。何れにしましても興味深い対比写真有難うございました。益々のご活躍を祈っております。

  2. 準特急さま
    またまたお褒め言葉を頂戴し、恐れ入ります。今回、この企画を通して、江若も、湖西線開業も、同じ場所から撮っていたことに、初めて気がつきました。結局、撮影地というのは、時代や鉄道が変わっても、同じ場所から撮っていることを感じました。
    江若廃止は昭和44年、湖西線開業は昭和49年ですから、定点撮影としては、短い年月ですが、劇的に変化した湖西地方ならではの定点撮影でした。
    準特急さまも常におっしゃっていますが、定点撮影が一人でできるのは、ン十年も続けてきた老齢ファンでしかできません。決して、ネタ列車の尻ばかり追いかけている、最近のファンには真似ができません。その特権を生かして、また別企画の定点撮影にも励みたいと思っています。

  3. 総本家青信号特派員様
    高島の乙女が池には先日ぶんしゅう先輩と関東の鉄の方々と御一緒して、トワイライトエクスプレスを撮影してきました。この場所は、古代の西近江路が通るところで、石碑も立っています。地元の歴史ツアーで行ったときに、講師の話そっちのけで湖西線の風景を見ていましたが、帰ってからこの場所が、有名な撮影スポットになっていることを始めて知りました。その場所にすでに40年前に行かれていたのですね。安曇川の鉄橋では撮影したことがありましたが、今回の撮影では行きませんでした。総本家様のおしゃる何十年も続けられるファンの特権をうらやましく思っております。湖西線40年を機会にまた足跡を辿ってみることにします。

  4. 大津の86さま
    コメント、ありがとうございました。まず、「乙女湖」ではなく、「乙女ヶ池」でしたね。訂正しておきました。40年前に行った時は、Fさん、Nさん、Tさんの4人で行ったと思います。もちろん撮影地ガイドなどなく、車窓から見て、なんとなく決めたのだと思います。ここから見ると、手前の土地、乙女ヶ池、間の集落、そして琵琶湖と、4層に分かれているのが、写真に奥行きを持たせていますね。
    私も少し前、江若廃線跡の取材時にレンタサイクルで回りました。途中、急に土砂降りの雨に見舞われ、ズブ濡れになりましたが、雨が上がると、琵琶湖の上空一杯に虹が出ていました。ちょうど、乙女ヶ池のあたりで、その美しさにしばし立ち止まって見とれていました。

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