昨日テレビで「関西線で鉄道ファンが列車を止めた」と報じていた。見た人も多いと思うがもう一度読売新聞記事の一部を掲載する。
14日午前10時40分頃、大阪府柏原市青谷のJR関西線河内(かわち)堅上(かたかみ)―三郷(さんごう)駅間で、加茂発天王寺行き快速電車(6両、乗客約500人)の運転士が、線路脇に4、5人が入り、カメラの三脚を立てているのに気付き、約50メートル手前で電車を止めた。連絡を受けたJR西日本社員が説得を重ね、約30分後に敷地外に出た。
午前11時25分頃には、約600メートル西の河内堅上―高井田間でも、JR難波発奈良行き普通電車(6両、乗客約200人)の運転士が、線路脇にカメラを持った人が入っているのを見つけ、約10分間、停車した。2度の停車で上下19本が運休、同26本が最大39分遅れ、約1万3000人に影響した。
同社によると、当時、運行回数の少ない団体用お座敷列車「あすか」(6両)が、カーブが多く撮影ポイントになっている現場付近を通るため、鉄道ファン約50人が沿線に集まっていた。(以下略)
写真撮影をやめて久しいので最近の線路端の雰囲気はわからないが、昔と比べてなにやら殺伐としすぎていないか。
JRの対応やファンの態度にも疑問を感じる。
線路端といってもファンも危険な範囲には入らないだろうと言うこと、それなのにJRは電車いちいちを止めたりするのか?50mも手前で止まっていることから運転士はだいぶ前から視認しているし徐行・停車しているので係員を繰り出して説得まですることなのだろうか。
またファンもJRから危険だから立ち退くように、と言われたら素直に移動するのが常識であろう。
古いのかもしれないが、どちらも行動が硬直的で敵対的なのが気になるのだ。かつては機関士と手を振りながら撮影していたではないか。
撮影を趣味にしている会員諸兄のお考えと最近の現場状況をぜひとも聞かせていただきたい。
ノスタルジックトレインという昨年発刊の鉄道雑誌の第3号(最新刊は4号)に眞舩直樹さんという論説主幹的な執筆者が、『「危険」を排除するようになった社会と自己責任論』といったテーマで、鉄道を含めた近年の社会全体に問題提起されていました。
この筆者は、30年前は乗客でさえ客車のデッキに立ち通学していたことなどをあげて、日常的な危険がなぜなくなったのか、という経緯から反対に柵を作ることで鉄道はそこに線引きをし、禁止社会がどのようにして到来し現在に至ったかということを丁寧に分析されています。
半世紀以上前の山科の築堤でC59や151系こだまを撮影できたという歴史の証人はこの掲示板に幾名かおられますが、今日の鉄道撮影者はそれを見て「古代中国のように性善で牧歌的だった時代」としか説明できないのではないでしょうか。
少し本質から外れますが、日本の鉄道趣味は長らく「雑誌」と「組織」でしか教育はされてこなかったと思います。しかしその頃までの日本人は非常に物事を覚えるのに柔軟性があり、時刻表の見方からカメラの使い方、そして対象となる現物の鉄道の接し方までありとあらゆること、これはしてはいけない、ということまでを学んだのではないでしょうか。
近年の社会には「現物教師」はありません。マニュアルや夥しい説明のどこそこにいけないと書いていなければ判断できません。家電製品や携帯電話一つにも読み切れない点数の「言い訳」がついていることは皆さんご存知だと思います。
今回の鉄道事件のこと、昭和47年の京阪神地区でSLを走らせた時のような不幸な事故死者がなくて幸いでしたが、鉄道関係者の中にはあの時のことが脳裏にかすめた方も多かったのではないでしょうか。
現場の新聞記者は(過去の歴史を)知りません。そして「近代兵器」の普及によりそのニュースが拡散、論議されていく社会において、多少の無責任な発言があれば、ヒットのしようにより議論はしばしば隘路にはまっていきます。今回のネット系の見出しは「困った鉄ちゃん、列車を止め大迷惑」だったと思います。
これを機会にあるべき鉄道の撮影のあり方という真摯な議論が再燃するとよいのですが、SL撮影時代のような国民的な熱狂でもなく、鉄道マニアは組織に属さなくなり、悪くいうと「オタク人種」の中の一部でしか過ぎません。
個々の行動の目的と、それを「営業に期待する」鉄道との間には介在する雑誌等の存在が希薄になりつつあるだけに、難しいのではないかという気がいたします。
我らのような集団、歴史的経緯を知るものは非常に重要な存在だと思います。
少なくとも、この掲示板を読むものは外部であれ、頭の片隅にいれて欲しいと思います。