出雲坂根の周辺案内板

小生の投稿で、「クリック拡大してご覧あれ」と記しながら、その実拡大できないではないかとのご苦情が。自分でやってみたら確かにそうだ。要はデジ青掲載に際し、ファイルを小さくし過ぎたことによるドジである。よって再度案内板だけご覧に入れ直す。
木次線出雲坂根周辺図1973.8.13
真中辺、「近道」とあるのが件の「旧道」=「湯口徹氏受難之地」である。県道4kmを40分とあるが、若い時でも1km10分はかなりきつい。かつて街中でも歩いていて抜かれかけると、張り合ったものだが、今では「お急ぎですねえ、どうぞお先に」という心境。
「平家」跡というのは、平家落武者が住み着いたところだろうが、これも鉄道が敷かれる前は文字通りの山間僻地であった証左であろう。

 

1 thought on “出雲坂根の周辺案内板

  1. 湯口先輩の周辺案内板と私の案内板とは投稿内容から湯口先輩の案内板はどうも1963年8月に撮影されたのではと推察いたします。そうすると私の案内板はそれから10年後のようですが、取り付けられている場所は同じではないかと思います。作り変えられても、内容はほとんど同じようです。「貝の化石」もそうですが「平家跡」も気になるのでネット上で調べてみると坂根には平家の一夜城の伝説があるそうです。落ちのびた平家の残党が坂根の山頂に集結して抵抗したそうですが討伐されたというものです。ところでこのことを調べているとたまたま奥出雲町のHPで「木次線開業100周年記念 木次線フォトコンテスト」があるそうです。詳しくはhttp://www.okuizumogokochi.jp/5849にアクセスすればわかります。締切は8月31日だそうです。自由部門と歴史部門があって昔の写真でもいいそうです。ふるって応募してはいかがでしょうか。

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