元京王貴賓車成れの果てと地方私鉄元京王5000系の追加

長ったらしい表題であるが、内容は二題あって別のものである。一つは2016.9.17付けデジ青[75248]関三平先生の貴賓車「京王電軌500号」を紹介された米手作市さんにその成れの果てらしき車両があることをコメントで申しあげたところ発表するように言われ用意した次第である。もう一つは同じく関先生のシリーズで京王帝都5000系が紹介された時、地方私鉄へ譲渡された姿を16.6.26付けデジ青[73063]および16.7.15付けデジ青[73443]で紹介したが、わたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車に使用されている車両と今年になって活動を始めた京王→伊予鉄→銚子の遍歴を持つ銚子電鉄初の京王5000系車両を紹介できなかったので追加発表を行う。

まず、NHKブラタモリの高尾山をご覧になった米手作市さんから頂いた宿題の車両であるが、京王電軌貴賓車500号は1931年(昭和6年)雨宮製作所で半鋼製14m車両として製造され御陵線で使われる予定であった。以下は鉄道ピクトリアル2003年7月臨時増刊号NO734の合葉清治さんの「京王中形車の思い出」の中にある貴賓車に関する記述で、「御陵線開通後いくらも経たないうちに省線東浅川駅ができたので、皇族方の利用は一度もないまま1938年(昭和13年)に格下げされて一般車として使用された。この車両は1形式1車両で罹災(1945年5月の空襲)したため、原形は残っていない。日本車両東京支店で復旧して番号だけは残っていた。」とある。また、保育社カラーブックス「京王帝都」の著者合葉博治さんはその中で次のように述べておられる。「(大東急から分離独立して)京王帝都となった1年後の昭和24年5月、京王線に日車東京支店から7両の更新車が搬入。被災車の台枠を流用、14m化、京王初の全室仕切り運転台。車号も原番を踏襲、元貴賓車の2500の他、2501、2502、2205、2304、2305と両運転台車2407とされた。台車、主電動機は手入れ復旧、制御器は新製ながらHL、空制は京王初の自動ブレーキAMM、警笛はAW5型タイフォンを装備。のち全車が混成スモールT車とされ、昇圧後まで活躍した。」とある。

以上であるがもう少し付け加えると1938年に一般車への格下げ時に中間にあったトイレを撤去しそこに扉を増設して3扉ロングシート化している。1944年の大東急時代には元京王電軌の車両は2000番台となったためこの車はデハ2500となった。罹災復旧後1960年3月に東横車両で電装解除して運転台撤去、2010系の付随車サハ2503となり1963年(昭和38年)8月の昇圧後も使われたが1968年(昭和43年)12月に廃車されている。

写真は廃車が迫ったころのサハ2503である。尚、右の車両は同じような経緯を経たデハ2305を付随車化したサハ2553である。

1968.8.18 高幡不動 サハ2503▼s-68-8-18%e9%ab%98%e5%b9%a1%ef%bd%bb%ef%be%8a2503

 

つづいて地方私鉄元京王5000系の追加であるが、最初はC12が活躍した国鉄(JR東)足尾線の3セク化わたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車である。DE101537が牽引しスハフ12に挟まれたわ99-5020(かわせみ)、わ99-5070(やませみ)は元京王帝都デハ5020、デハ5070でともに1969年2月日立製で試作的要素の強かった集中型冷房装置をつけた印象的な車両であった。わたらせ渓谷鐵道の現車は京王時代と全く異なり、僅かに屋根の部分の傾斜等に面影を感じる程度である。

右端の団体御一行さんも帰りの列車では出来上がったことであろう。かつての京王コンミュータートレイン(通勤電車)も酔客を運ぶことになるとは思ってもいなかったことと思う。なお、京王の譲渡車両は1372ミリから変更の必要がありこのわたらせの場合は台車はDT21である。

2016.9.4 大間々駅を定時10時54分に出発し足尾に向かう8717列車トロッコわたらせ渓谷3号 わ99-5020▼s-16-9-4%e5%a4%a7%e9%96%93%e3%80%855020

 

京王帝都時代の5020編成で前からクハ5720(富士急モハ1208)、デハ5020(わたらせ わ99形-5020)、デハ5070(わたらせ わ99形-5070)、クハ5770(富士急モハ1308)の4連である。5000系の京王現役時代は地方私鉄に譲渡されるとは夢にも思わなかったので番号のよく見えるように近接撮影したり、中間電動車のみを撮影することはなく平凡な写真に終始していた。写真は珍しく急行4連の流し撮りで4両とも上記の通り譲渡されており2、3両目がわたらせ渓谷鐵道に行った車両である。

1970.2.27 高尾山口-高尾 急行新宿行きクハ5720他 ▼s-70-2-27%e9%ab%98%e5%b0%be%e5%b1%b1%e5%8f%a3%ef%bc%95720

 

地方私鉄元京王5000系追加の2番目は銚子電鉄である。同社には、これまでに京王帝都5000系に似た顔の車両がいたが、これは京王帝都2010系を改造したもので今回発表するデハ3001+クハ3501は銚子では初登場の京王帝都5000系である。当日行き当たりばったりで銚子駅に向かうと生憎デハ2002+クハ2502が運用に入っており、運転士に確認すると次に来るのがお目当てのデハ3001+クハ3501で折り返し直ぐに車庫に入るとのことであった。写真はその時の折り返し車両のクハ3501で1963年12月日車製で京王帝都では当初クハ5770形のクハ5774であったがすぐに改番となりクハ5854となった。1986年12月に伊予鉄に譲渡され同社クハ763となったが、本年3月からは銚子電鉄クハ3501として活躍中である。同社トロッコ澪つくし号ユ101の復刻塗装とのことである。

2016.8.7銚子駅を出るクハ3501+デハ3001 ▼s-16-8-7%e9%8a%9a%e5%ad%903501

 

銚子電鉄クハ3501の京王帝都時代のクハ5854の姿で特急高尾山口行きに運用されていた。高幡不動でカルダン車4連の京王八王子行きと分割して2連で走行。後ろのデハ5104はウイングバネ、吊り掛け式モーターで2700系の部品を利用しているいわゆる偽新車である。

1968.8.18 高尾-高尾山口 特急高尾山口行きクハ5854+デハ5104 ▼s-68-8-18%e9%ab%98%e5%b0%be58545104

 

銚子電鉄クハ3501の伊予鉄時代の姿で郡中港行き列車の後追いで最後部がクハ763。

1998.5.2 岡田 郡中港行きクハ763(元京王帝都クハ5854) ▼s-98-5-2%e5%b2%a1%e7%94%b0763

 

元京王貴賓車成れの果てと地方私鉄元京王5000系の追加」への3件のフィードバック

  1. 準特急様、
    先月の二十日過ぎから忙しく、ここを訪れる時間がなく申し訳ありませんでした。また、明日からの一週間も多忙で、毎日が日曜日であったため身体がなまっているから大変です。
    さて、京王の500号のなれの果てとは如何?と期待しておりましたが、意外とまともなので安心しました。むしろ驚いたのがわたらせ渓谷鉄道のトロッコ客車で、今までオハ50系と思い込んでおりました。こんな改造や譲渡があるのですね。勉強いたしました。ありがとうございます。

  2. 準特急さま
    久しぶりのご投稿、楽しく拝見しました。写真の日付を見ますと、最近も変わらず東奔西走のようで、何よりです。
    以前から準特急さんからは、譲渡車両の新旧対比をライフワークとされていること聞いていますが、今回の京王→わ鉄、京王→伊予→銚子も、見事に決まっていて感嘆しました。
    私も以前の熊電青ガエルの東急時代を偶然にも撮っていました。それが、たくさん撮っていたら話は分かるのですが、私が撮った東急時代の5000は、ほんの数両、その一両が最後まで残った熊電青ガエルと一致していると分かった時は、思わずほくそ笑んだものです。

  3. 米手作市様
    ご多忙中コメントを頂き有難うございます。京阪16、阪急1500(元新京阪フキ500)、近鉄2600等は何となく貴賓車の面影があったのですが、京王の晩年のそれは一般車化、戦災復旧車化後の付随車で米手様からは「なんやこれはー」と言われそうで発表を控えておりました。それでも当時は変な車両だなと思いながら珍しく形式写真的にとらえていました。それにしても関西人の関先生がいろんな変化球を投げられるので電車に疎い人間にたまにご指名があるとうろたえてしまいます。

    総本家青信号特派員様
    同じ車両を全く異なる場所、つまり、譲渡先で撮ると嬉しいものですが、実際は家に帰って番号を付き合わせて車両が一致すると思わずほくそ笑むものです。ライフワークという大げさなものではありませんが、最近はフィルムスキャンとデジカメのパソコン活用で紙面上でご対面ができるのでもう少し気張ってみようと思います。保存蒸機とその現役時代も同じような考えでやっています。

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