駅弁包装紙・その2

前回(と言っても昨日ですが)の投稿にご常連の方から熱いエールを頂いたのに気をよくして、書き込みにあったお店の駅弁を集めてみました。

西村さんには先日の(二人だけの秘密!)お礼にオベンチャラを付け足して地元ネタの「たこ飯」を載せましたら、すばらしいご感想を頂いたのに感激して地元からもう一軒。

⇩呉駅のやまさき家の「御弁当」
たぶん音戸大橋が開通した時期かと思います。

呉線呉 御辨当 やまさき屋 150円

⇩姫路駅まねき食品のあなご寿司弁当

山陽線姫路 あなご寿司弁当 まねき食品 200円

 

⇩岡山駅 三好野本店の備前うなぎ 岡山駅で素人は「祭すし」を買う!

山陽本線岡山 備前うなぎ 三好野本店 200円

 

⇩紫の1863さんご指名の京都駅 萩の家 竹の子めし

東海道本線京都 竹の子めし 萩の家 150円

 

⇩珍品 岐阜羽島駅 嘉寿美館の御辨當

東海道新幹線岐阜羽島 御辨當 嘉寿美館 150円

 

新見や備後落合の駅弁もあるのですが、行方不明です。どですかでんさん、ゴメンナサイ!

駅弁包装紙

終活というのではないけれど、資料を整理していると“こんなものが!”と言うものが見つかります。その一つが「駅弁包装紙」です。熱心に集めていたのではありませんが、それでもある程度はたまっていました。捨てるのは忍びないのでスキャンしてファイルしました。
特派員氏が夏枯れで投稿が少ない、とお嘆きのようなので、得意のつなぎ記事で楽しんで頂きます。
例によってコメントは書いていないので、いつ買ったのかは分かるものもあり、無い物もありです。
皆様の思い出を聞かせてください。

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60年前の“元祖トワイライトエキスプレス” 重澤 崇先輩の記録

六月初旬、沖中忠順先輩の一周忌が行われたあと、同席させて頂いた重澤 崇先輩から興味あるお話を伺いました。

重澤先輩は、ご存じの通りDRFCの創業者のお一人で、当時のお話をうかがえる貴重な方です。その方から大変なお話しが披露されたのです。
以下、重澤先輩の話をお聞き下さい。

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つれづれの記 (終)河 昭一郎

ことのほかデジ青に協力下さり、貴重な国電の写真やお話しをご投稿下さっている河 昭一郎さんからメールを頂きました。

今回の投稿をもって「つれづれの記」の最終回と致します。という内容でした。
数ヶ月前から体調を崩されておられるご様子でしたが、なかなか回復せず、このまま中途半端な投稿を続けることは出来ないので、これで一旦終わりとして、回復後、新たに原稿を書いて投稿をしたい。つきましては今回原稿を書くつもりで集めた写真だけでも投稿して、会員諸兄の思い出でも、車両に関してウンチクでも、ここどこ?わただれ?でも、こんな写真もってるででも、他、なんでも話題にして賑やかしくしてほしいと仰っておられます。皆さんからの書き込みを回復への特効薬として期待されていますので、どうか一日も早いご快復を祈念しながら書き込んで下さい。

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ここはどこ?わたしはだれ?ー多摩湖鉄道所蔵作品より(10)

例によって米手作市が投稿のお手伝いをさせて頂きます、が、その前に言い訳をさせてください。
この原稿は5月に頂いておりましたが、わらくろや事故、琵琶湖のヒマ人こと吉田耕司先輩の急逝、そして乙訓の老人(長老)こと沖中忠順先輩の一周忌(6月8日)と続き、更には米手作市の高校の同窓会が昨10日にあり(米手が事務局長!)大多忙の日々で、今日まで遅延させてしまいました。
宮崎繁幹さんには大変な失礼をしてしまい、申し訳がありません。ただ今から回復運転に努めますのでお許しください。(以上、言い訳終わり)

今回は私鉄電車特集です。出所は恐らく昭和20年代に各地で色々と刊行された同好会誌に在ったものと思われます。これ等の会誌は、殆どが孔版(ガリ版)印刷でした。デジでない大昔の「青信号」もそうだったのでは、ないでしょうか? これ等の会誌にも写真掲載の試みは為されていました。それが写真の貼り込みです。小部数の出版物では、コスト的に網点で写真原版を作成することなど望むべくもなかったでしょう。しかし引伸ばし印画ならまだしも、密着版が多い。セミ判までなら見られますが、35mmの密着、所謂ベタ焼きでは、切手くらいの大きさであり、虫眼鏡が欲しいです。

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古いハガキ

行方不明のネガを探して、魔窟に足を踏み入れました。
そこから多量の切符、家族写真(鉄道写真の探しているものは未だ発見できず)、駅弁の包装紙等などと共に、就職のため上京した年の年賀状が出てきました。大西友三郎先輩や吉谷和典先輩など、鬼籍に入られた方からの懐かしいはなむけの言葉に改めて感激しました。

その中に当会設立の第一世代である重澤崇先輩からの年賀状もありました。ところが発見したその日に重澤先輩から沖中先輩・湯口先輩の一周忌にまつわるハガキが来たのです。
これも故人のご縁と、ご了承を頂きここに掲載致します。

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つれづれの記(4)憧れの山科 河 昭一郎

久しぶりの河 昭一郎氏からの投稿です。例によって米手作市がお手伝いを致します。
先日の宮崎繁幹さんからのご投稿も湘南電車・80系でしたから、時を一にして東の大家お二人が同じ話題を選ばれたことに驚いています。河さんは山科築堤で電車を撮影されたのですが、ここは一般的には蒸機列車の晴れ舞台です。ここで国電を撮るとどんな写真が撮れるのか、特に私はゲタ電がここを走るのを見たことがなく興味津々です。

《山科の築堤》

今回は、鉄道ファン、なかんずく国鉄(国電)ファンなら必ず詣でなければならなかった?「山科」のカーブです。

「憧れの山科カーブ」を訪ねたのは京都の予備校に通っていた浪人時代の事で、あの広々とした築堤上で、バックの比叡山に息を吞みながらの感激もヒトシオでした。

小生を築堤に立たせたのは?と思い起こせば、それは迫力のSL写真を世に発表された先人の方々の足元にも及ばぬ「国電」=「びわこ臨」でした。

当時、関西の国電(各停)はご存知「京都~西明石」の限定運用でしたが、東海道線全線電化後は従来のSL列車を置き換えた80系が米原まで入り、それは京都以西の快速電車との共通運用でした。

それに呼応して夏・冬に京都以東の湖東線に臨時電車が運用されるようになりましたが、車両不足は否めず、大アカ、大タツの70系のみを抜き出した予備車を掻き集めた臨時対応でした。当初は「芸が細かく」70系を掻き集めた6両編成の前後は茶坊主クハ76で固め、クハ86編成の向こうを張ったスッキリした編成でしたが、後には72系やクハ68のゴチャ混ぜ編成となって「地に堕ちた」感が一杯で、大いに落胆したものです。

さてさて、キッカケが湖東線臨電だった事も有って、小生の写真は大御所の方々の迫力有るSLとは雲泥の差が有るのを承知の上でご覧下さい。

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ここはどこ?わたしはだれ?ー多摩湖鉄道所蔵作品より(9)

久しぶりに宮崎繁幹さんから「ここどこ?わただれ?」に問題が出されました。
今回は、前回の「ロケ風景」での敗北を踏まえて、主題を「関西急電」に絞っての出題です。珍しい写真ですが、一部は撮影場所と撮影時期の判明しているものもあります。でも関西の皆様にぜひ見て頂きたいとお送りくださいました。

どこが珍しいか、どこで撮したのかを考えてください。

⇧いつ頃、どこで撮ったか分かりますか?

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保護中: お礼とお見舞い

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ここはどこ?わたしはだれ?ー多摩湖鉄道所蔵作品より(8)

宮崎繁幹さんから続きの原稿が遅れていたので心配していたら、少し体調を崩されていたとのことでもっと心配することになりましたが、この度快癒されて待ちかねていた「ここどこ?わたダレ?(8)」原稿が到着致しました。

私が「京阪ネタではすぐにバレるのでアクセス数が伸びない。もっとややこしいのを」と要求していたので、ほとんど場所も時期も分からないメチャクチャな難題が送られてきました。ご本人も答えをご存じないそうなので、ここで分からなければ永遠の謎となりかねません。

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つれづれの記 (3)河 昭一郎

昔は・・・の話

『昔は・・・』と、小生のようなロートルはつい口にします。

私も『昔の』学生時代に2度ばかり身延線を写しに行った事があり、その際静フシ区に運用等を照会したところ、本当に親切に車両運用図表や車番入りの電車運用予定表をはじめ運転士仕業図表までお送りいただきました。

 

 

そしてそれは、静フシ区のみならず新ナカ二区でも経験しました。 思うに、この頃の国鉄マンは鉄道趣味人(ファン)に対して「仲間又は理解者」意識をお持ちだったのではないかと思います。
そこには自ずと信頼関係と言うものがあって、昨今の良識なき不心得者や不注意者のせいで色々な点で厳しい規制がかかるような事はありませんでしたねえ。
電車区などでも特に厳しく規制される事は無く『不法侵入』してしまってもカメラを構えていれば職員の方々が「気を付けて」等と声を掛けてくれたもので、時には付き添って留置車両の車内に案内さえしてくれましたよ。
忘れられないのは「こだま形」の中で珍車だったクロ150-3をチタ電に訪ねた時、偶然お会いした職員の方が、ご自身の昼休みを潰して車内に迄案内して下さった時の感動です。

身延線と新潟地方での思い出の写真を貼ります。

まずは身延線。

① 富士山がきれいに見えました。

② 身延線らしい編成

 

⇩次は新潟地区での撮影です。

つれづれの記 (2)  河 昭一郎

阪急電車・京都線の思い出

阪急京都線特急の『2枚看板』は同線の特徴で、何故2枚も・・・と大変不思議に思っていました。
これは京都線特急が十三-梅田間で神戸線と並走する宝塚線上を走っていたための誤乗防止策だったのではと思ったりもしましたが、結局今もって疑問は解けていません。

また、4両連結のP6急行も懐かしい写真です。2両目には『阪急』が『新京阪』に送り込んだ先遣隊の1550が写っていますが、これも当時若輩の私にはその知識が無く、ただP6とは不揃いなのが不思議に思えたものでした。

4連の急行編成には1550の代わりに元貴賓車のフキを組み込んだ編成もありました。

 

 

 

ここはどこ?わたしはだれ?ー多摩湖鉄道所蔵作品より(6)

今回よりタイトルが変わります。
今までは「Gordon Davis氏作品より」となっていましたが、今後は宮崎繁幹氏経営の多摩湖鉄道出版部が所蔵されている作品集から宮崎氏が厳選された“わけのわからん写真”(宮崎氏言)を出していただきますので表題を変更しました。
多摩湖鉄道は宮崎繁幹氏が経営する模型鉄道で、出版部からは写真集も刊行されています。

さて、前回までで諸探偵の実力のほどが分かったということで、今回も多摩湖鉄道の倉庫を探しまくって、撮影場所、撮影時期の不明なものを送ってこられました。
ただ、関東にお住まいの宮崎氏にとって未知の場所でも、我らにとっては「ああ、あそこやんか!」となる場所も含まれています。そこで答えは「どこどこ」だけではなく、どの位置から撮ったものなど、一段と詳しくお答えください。

撮影者は不明なものも多く、撮影時期は概ね昭和20年代から30年代ではと思われます。
それではどうぞ!

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ここはどこ?わたしはだれ?ーGordonDavis氏作品より(5)

数日前から我が家ではインフルエンザが跋扈していて、孫娘が保育園から持ち帰り、次にばあさんの家内が、次に母親たる娘が共に40°を越える高熱に倒れてしまいました。そのせいで買い出しから孫の送り迎え、風呂掃除等などでデジ青の製作がおろそかになってしまいました。
これから気を入れ直して取りかかります。

宮崎繁幹さんから「流石に地元の方々で、たちまちのうちに場所が解明されビックリでした。20年前にデジ青を知っていれば(未だ無かった?)、私鉄編も刊行できた
かもしれません。今回はDavisさんの作品ではなく、鐵道趣味社コレクションから、数点ばかり選んでお送りします。ただ殆どが戦前のモノであり、傷みが少し見られます。また難易度も高いかと思います。4枚お送りします。」とご連絡を頂き、次の難題4枚が送られてきました。

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ここはどこ?わたしはだれ?ーGordonDavis氏作品より(4)

いよいよ実力診断テスト版はこれが最後です。
宮崎繁幹さんの判定は概ね良好というところでしょうか。

すでに私の元には次の「ムツカシイ写真」が届いております。私も見ましたがこれはムツカシイ!

その前に残っている作品を解いてください。

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ここはどこ?わたしはだれ?ーGordonDavis氏作品より(2)

最近は若い世代の会員がちがった視点からの投稿をして下さっていて、活気が出てきたと嬉しく思っています。
一方、我ら老会員にはついて行けない話題もあって「古い話題」で対抗するつもりです。昭和40年代以前の世代、ガンバロウ!

宮崎繁幹さんは現役時代にアメリカでゴードン氏に出会い、友情をはぐくまれたご縁でこれらの貴重な画像を委託されたと聞きました。このご縁を大切にされていて、我々にも今回の企画が許されました。鉄道趣味とはこんなにもありがたく、楽しいものだとつくづく感謝する毎日です。宮崎さん、ありがとうございます。

では続けます。

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ここはどこ?わたしはだれ?ーGordonDavis氏作品より

デジ青へ多大なご協力を頂いている宮崎繁幹様から当探偵団に次のようなお手紙を頂きました。

《GordonDavis氏作品集として「思い出す日本の鉄道」という写真集を刊行して20年近く経ちますが、これは同氏が撮られた中から国鉄を主体としたものでした。続いて私鉄編を出す旨公表したのですが撮影場所不明なものが多く、出版にこぎ着けられませんでした。今回はデジ青探偵団のみなさまのご協力が得られそうなので期待しております》

宮崎さんは多くの鉄道研究家から信頼されて、その方々が撮られた写真を所蔵管理されています。しかし、撮影場所などデータ不足で日の目を見ないものも多いと聞きました。そこで私がお役に立てればと「エエカッコ」をしたのです。

ということで、当探偵団の実力拝見と、先ず関西中心の写真を送ってきて下さいました。私からは「全国津々浦々、鉄道ならば場所は特定できる!」と豪語した手前、サンプリングで躓くことがあってはなりません。
どうか諸探偵の皆さん、宮崎さんが「これならいける!」と評価下さればさらなるご依頼が見込めるので張り切って調査をお願いします。なお、写真には全く手を加えておりません。撮影場所、時期、車両に関してウンチクを傾けて下さい。

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