設計図シリーズ②

やっぱり!というか、なるほど!というか、コメントを下さる方は古いことに精通している方々です。
昭和30年代に入ると「もはや戦後ではない」と経済白書が言うまでもなく、戦後復旧が一段落して、そこから新たな開発が始まります。鉄道でも新型の強力電機の開発と、蒸機に代わるDLの開発です。

次は蒸機を駆逐する新型DLです。


京都駅の東にあった梅小路機関区の駐泊所で、いつもいたC50に代わってDD13が突然現れました。当時はまだDLは珍しく、C50がいなくなってもさみしいとは思わなかったのです。

DD13図

DD1346( 吹)

 


DF50、これこそが蒸機追討の先陣であったが、後のDD51ほどの拒否反応を起こさなかったのは箱形の優美さだろうか。それでも後のこの塗装でお召しを牽くのは違和感を覚えた。

DF50図

DF50528+DF50529

 


DF50以前に作られたDD50。単端式で1両での運用が出来るのに、なぜか二両単位で使用される不思議な機関車。まさしく戦後のシティーボーイなのだが、シティーならぬ北陸を走ったため永らくお目にかかれなかった。それに会えたのは北陸トンネルが開通する直前だった。

DD50図

DD501+DD502+D51
杉津線

今日はこの辺で、さようなら。つづく

 

設計図シリーズ②」への11件のフィードバック

  1. 昭和39年12月20日、京都駅山陰線ホーム、DD13110です。
    DD13は、身近すぎてあまり撮影していませんが、いつの間にか消えてしまいました。

  2. 昭和39年9月26日、同じく京都駅山陰線ホーム、DF5051です。次のオハニ61も懐かしいです。

  3. 昭和45年2月12日、馬堀駅の保津峡寄り、同世代の方には懐かしい場所と思います。
    前5両、敦賀発(小浜線経由)、後ろ4両、豊岡発(宮津線経由)の列車です。

  4. 米手作市様のお写真は、北陸トンネル開通前ですので凄いです。大桐駅でしょうか?
    昭和45年2月12日、米原駅、米原~田村間、交直接続区間で使用中のDD506です。我々世代では、このあたりが限度かと思います。

  5. 藤本さんにホメてもらえるとは望外の喜びです。DD50は京福電鉄の社員の方々と一緒に行ったので、どこで撮ったのか記録がありません。中学生でした。

    • DD50の撮影場所ですが、線形から考えて、葉原(はばら)信号場です。この敦賀~今庄の旧線は、通称「杉津線」と呼ばれ、スイッチバツクが連続することで有名でしたが、杉津は峠に近い分、割と平坦なため、唯一スイッチバックではありませんでした。葉原は信号場ですから、頼んで降りられたのでしょうか。それとも、最寄り駅の杉津か新保から歩かれたのですか? 米手さんは、いまも戦闘的な老人ですが、中学生の時の方が、もっと戦闘的な鉄道少年だったのですね。

      • お答え致します。
        当日は雨、乗ってきた列車はここで交換待ちのため停車します。その交換列車を降りて撮影しました。
        ついでながら、今は好々爺となっております。準特急さんのような戦闘的老人ではありませんのでご安心なさって下さい。

    • 2015年4月23日にtsurukame様が投稿された「北陸トンネル開通前夜―杉津駅付近、半世紀前」に、葉原信号所の写真がありました。米手様はコメントで今回と同じ写真を寄せておられます。二枚を見比べると、信号機や背後の山の形など、ほぼ同じ場所で撮影されたように見えます。
      リンクを貼れると良いのですが、私はその術を知りません。申し訳ないです。

      • いつも使い回しの写真で申し訳ありません。
        皆さんの記憶にはもうないだろうとタカをくくっていましたが、紫の1863さんのような鋭いお方の目はごまかせませんね!
        “大目”に見てください。

  6. 米手作市様、
    1965年5月14日のお召しのお写真、いつ見ても惚れ惚れと見てしまいます。大山町での第16回国土緑化大会に行幸啓された際の鳥取からのお召し列車ではあるものの、福鉄としては自局のDLを使いたかったでしょうね。DD54誕生の一要因だったのではないかと邪推しています。
    さて本題のDF50の形式図ですが、操車掛用の手摺が小型、運転室側窓上の水切りのアフレどめがない、機械室の小窓が追加されている、機関車の最大高さの値から、41~47号(Sulzer)と537~544号(M.A.N.)のものです。下の諸元はM.A.N.のものですが、主電動機の定格電圧は225V、定格回転数は410rpmはSulzerの値なので、M.A.N.の場合は250V、450rpmとすべきでしょう。同じ主電動機なのに、ややこしい話です。
    DF50のお召しと緑化大会(全国植樹祭)との関係は深く、お写真の第16回だけでなく、第13回、第15回、第17回、第20回、第22回、第28回、第29回(回送のみ)で牽引機として供されています。このうち、第13回のときに供された41号の写真をお目にかけます。528号や529号同様、貫通扉手摺が大型化されています(41号は1Eだけですが)。

    • 四方誠さん、
      これも使い回しです。
      DF50の写真は他にもたくさんありますが、やはりお召し牽引車は別格で、DF50の代表写真と致しました。

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