鉄道とは何の関係も無い話 年賀状考

沖中・湯口両先輩の逝去に接し、やる気が失せた老会員の独り言に付き、興味の無い方の閲覧は不要。

毎年、正月元旦は年賀状を拝見するのが何よりの楽しみである。
差し出された方々の顔を思い出しながら一枚一枚読んでいくと、数十年の時間もつい最近のように思い出されるから不思議だ。同じようにこちらから送った年賀状をどのように読んでくれているかを想像するのも楽しみとなる。

⇧スユ3025 (本文と何の関係も無いイメージ画)

私は毎年三種類の年賀状を作る。
一つ目は家族同士のお付き合いがある方への年賀状。二つ目は私のみのお付き合いの方、または仕事上のお付き合いの方。三つ目は趣味、鉄道趣味界の友人。
いずれも大切な友人・知人ではあるが付き合う角度がちがうため、デザインには頭を悩ますことになる。夏を過ぎる頃から写真を撮りためて年賀状が発売されるや、一気に作成する。
そこで最近はある問題に突き当たるのだ。
一つは喪中ハガキのこと。
11月に入る頃から喪中ハガキがぼつぼつ来始める。11月に来るのは「あの人が亡くなったのか」と名簿を消すことになるのだが、12月中旬を過ぎてから来るのには往生する。先に書いたように12月に入ると年賀状の作成は終わっており、宛先も書いていることが多い。何時亡くなったのかと見てみると10月から11月であれば致し方ないが、2月や5月になくなっている場合はもう少し早く知らせて頂きたいと思ってしまう。
そしていつも悩むのがご遺族のお考えである。つまり「喪中だから年賀状は出さない」のは分かるが、受け取るのも断るということなのだろうか?死者を悼む気持ちは分かるが新年を言祝ぐのとはちがうと思うのだが皆さんはどう思われるのかお聞きしたい。
因みに我が両親が亡くなった時は喪中ハガキと年賀状は出さず、例年通り受け取ってから正月明けに「寒中見舞い」として旧年に親が亡くなったので年賀状は失礼した旨を書き記した。
また、喪中ハガキの範囲も問題である。親や配偶者、子供と言った近親者の場合は当然として、親の兄弟や配偶者の親兄弟まで知らせなければならないのだろうか?
この範囲も皆さんのご意見をお聞きしたい。

さて年賀状である。
最近とみに「今年で年賀状を終わりにする」と書かれた“賀状じまい”の年賀状が来るようになった。
これにも頭を悩ませる事になる。
「私は年賀状を出さないが、貰うのはかまわないので送って下さい」というのか、「私は出さないから送らないでくれ」というのか判断しかねるのだ。
先にも書いたように当方は毎年の楽しみで作るのだから送りたいのである。これを嫌われたら年賀状の趣旨にも反する。
私はこの様なハガキを貰っても一方的にこちらは出すことにしている。それは「私は元気ですよ」と一方的なお知らせをしている事になるが、年賀状を貰うことは期待していない。現に「出さないが下さい」と書いてある終い状もあるのだ。
さて、思い当たる方々よ、貴兄のお考えやいかに!

追悼 湯口徹先輩が亡くなりました

以前から静養中だった湯口徹先輩が、12月11日に逝去されました。
脳梗塞の再発によるとのことです。心よりご冥福をお祈りすると共に、鉄道趣味界、同志社大学鉄道同好会OBクローバー会へのご尽力に感謝申し上げます。
2015年12月15日 広島電鉄1911号車内にて車内にて

ここはどこ?わたしはだれ?京都市電編 ②

しばらくぶりの再開です。
ここしばらく公用・私用でパソコンの前に座る時間が無く、その上スマホの態度が悪く、追放蟄居を申しつけて、新しいスマホに交換しましたが、アプリのインストールやデータのダウンロードなど、深夜作業が続いてバテました。

さあ、心機一転、再開します。

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ここはどこ?わたしはだれ?京都市電編 ①

いよいよこれからが本番の「京都市電編」です。
写真は開通間もない京都市電を市内各所で撮影したものです。
それだけに京都にゆかりのある我々は撮影場所を正確に言えなければなりません。
幸いにも京都の風景は他都市に比べて変化が少なく、今でも当時と変わらない町並みが残っているところもあります。よーく写真の細部を見て何処で撮られたのかを言い当ててください。地元ですからどの方角からどの方角に向かって撮ったのかも、現在の同じ場所の写真があれば貼って比較させてください。
撮影時期も大体でもいいので教えてください。

では、はじめ!

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ここはどこ?わたしはだれ?国鉄(鉄道省)編①

話題が古すぎるのか、若い方からの反応がイマイチで、少しガッカリしている所ですが、気を取り直して国鉄編を投稿します。時代で言えば国鉄より鉄道省が正しいのかも知れません。

今回も撮影場所、車種、撮影時期など、分かることはなんでも教えてください。

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ここはどこ?わたしはだれ?京阪電車編

予告したとおり「わたしはだれ?ここはどこ?・京阪電車編」を投稿します。

この記録写真は重澤崇先輩が所蔵されているものを宇出木信吾氏からの依頼を受けて米手作市が代理投稿するものです。
スキャンするに際しては極力暗部を出すようにしましたが、原画が写真のため潰れているのはご了承ください。また、傾き等は補正しましたが、写真の全体像はカットせずに記録しています。

ご覧になった探偵諸氏には①撮影場所 ②車両の型式等 ③撮影時期 を推察下さい。

まずは「京阪電車」と思われるものからスタートします。

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《近日公開》「ここはどこ?わたしはだれ?」鋭意制作中!乞、ご期待!

会員諸氏は宇出木信吾先輩をご存じでしょうか?
湯口徹先輩や重澤崇先輩、沖中忠順先輩らと共に鉄道同好会を立ち上げたお一人です。私が入った頃には既に卒業されていて、ときどきEVEなどでお顔をお見かけする程度でした。

その宇出木信吾先輩から卒業以来の電話を頂いたのです。
何事か?と身を清めてご指定の場所に伺うと、「青信号の1号からの初版本と杵屋栄二氏が京都で撮った写真を許可を取って複製したものを重澤君が持ってるが、これをクローバー会に寄付したいので渡して欲しいと託された」とのお話しでした。
青信号は事務局で公開方法をお考え頂くとして写真は私がスキャンしてデジ青に投稿することになりました。
改めて拝見しましたが明治時代と思われる国鉄と、京都市電、開通時の京阪電車の写真ですが場所が分かりません。
そこで実績のある「デジ青探偵団」の皆様に①撮影場所 ②車両車種 ③撮影時期について推察をお願い致します。

予告編

近日 当館で封切りロードショー!ご期待下さい

沖中さんの置き土産

“乙訓の老人”こと沖中忠順先輩が西方への旅に発たれてはや3ヶ月になろうとしています。今でも電話が掛かってきて「おい、話があるから四条大宮まで出てきてくれ!」と言う声が耳に響く気がします。そんな頃、四十九日・納骨式が開かれることになり、会長と共にお呼び頂きました。
ところで沖中さんが亡くなって驚いた事(不謹慎ながら嬉しいこと)がありました。
それは、会いたかった方にお目にかかれたことです。
お一人は、このホームページでたびたびコメントを下さっている「乙訓の老人の甥」さん、今一人は当会創立者のお一人の「重澤崇」先輩です。

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追悼・乙訓の老人 ここはどこ?わたしはだれ?ー最終回ー

今回で乙訓の老人こと長老様の追悼投稿を終わります。
左上のカットは、長老様が最後まで保存されていた数少ない人物写真の内でDRFC設立当初からの親友お二人と歩く写真をご了解の上使わせて頂きました。
改めて沖中忠順先輩のご冥福をお祈り致します。

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追悼・乙訓の老人 ここはどこ?わたしはだれ?

早いもので、乙訓の長老様が還らぬ旅に立たれてひと月になります。
パソコンの前に座ってもキーボードに指が届かない日が続きました。
目の前には長老様から預かった写真の山があります。奥様から「放っておくと捨ててしまうので全て任せるので持って帰って欲しい」と言われた写真です。そのうち長老様と思い出話をしながらゆっくりと整理すればいいや、と思今となっては今となっては悔やまれてしかたがありません。
会員の皆様も同じと見えて新規投稿も少なければコメントもしめりがちです。

こんなことでは「デジ青」ファンの皆様に申し訳なく、長老様が楽しみにしていた「デジ青」にも申し訳が立ちません。そこで気持ちを切り替えて写真整理に取りかかりました。長老様に聞いても「しらん、撮ったおぼえもないわ」と言われた写真から掲載しますので、例によってデジ青探偵団の皆様に「車両の特定」「撮影場所」「撮影時期」を教えて頂きたいのです。

おおいにツッコミ頂いて盛り上げてもらい、以前の賑やかさを取り戻して天国の長老様に笑ってもらえたらうれしいと思いますので宜しくお願い致します。

同志社号発車式で檄を飛ばす長老様

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「ディーゼル車」アラカルト (Ⅳ) 河 昭一郎

『ディーゼル車 アラカルト』も過去3回掲載させて頂き、幸いな事に各回ともⅠが52件、Ⅱが45件、Ⅲでは64件と多くのコメント数となり、興味を感じられた方々がそれなりに居られたんだなあと認識を新たにした次第です。

さて、それに気を良くしたと言えば安易過ぎるかも知れませんが、さらにもう1回追加させていただく事になりました事を感謝致します。

最終回に当たる今回は、これまでとは違った視点で、ディーゼル特急の前サボでガッカリした話やキハ81のボンネットに「やたら興味津々」だったが、結果は?などの「軽~いお話し」で締めくくりたいと思います。

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京都市バスの挑戦

報道で全国が知った“京都市が破産か!”のニュース。
その元凶が交通局だそうです。
数年前までバスに乗ると、大きなバッグを持った外国人だらけで、市民が乗車できず、市民専用車を造って欲しいなどの投書が新聞に出ていたほどです。それが地下鉄の建設時の借金が返せなくて倒産の危機にあるとか。

でも、京都市交通局はいろいろとアイデアを出して乗客を増やそうと努力しているようです(私から見るとピントがずれているものや、不十分なものもあり不満もあります)。
でも、努力する姿勢は評価して、協力できるものならしていこうと思っています。

この話は私の考えを書いたものですから、さらに良いアイデアがあれば教えてください。そして京都市交通局が京都市の財政を支えられるようにご協力をお願いします。

黄色のラインは西大路通経由を表す

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「ディーゼル車」アラカルト (Ⅲ) 河 昭一郎

《会友・河 昭一郎様が続編を投稿されましたので米手が代理投稿させていただきます。今回も珍しい写真が登場しますので、関連車両がありましたら(関連がなくても)われ先にとご投稿ください。》

先に『ディーゼル車 アラカルト』を2回掲載させて頂きましたが、駄作と言えども少しは皆様にも興味を持って頂けたと嬉しく思っております。これは一重に米手作市様にご協力を頂いたお陰と感謝しており、特に添付写真に関しては、何回ものヤリトリにお付き合い頂き申し訳なく思っております。
ともあれ、皆様には過去2回とも多数のコメントを頂く事が出来、嬉しく思っております。それに気を良くして「アンコール」の声も無いのに、図々しく続編を掲載させていただこうと考え、しつこくも3度目の登場です。

今回は目玉として恐れ多くもディーゼルカーの歴史に関わる機械式に目を向けて、レールバスを始め42000形(キハ07)をも登場させる事ができました。
出来ればこれに続く電気式をも取り上げたかったのですが、電気式➜液体式のスピードが速く、既存の電気式は元々少数だった事も有って、瞬く間に液体式に改造されてしまった感があり、国電撮影の合間の片手間撮影では対応できなかった事を今になって大いに後悔しております。

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多層建て客車急行「青葉」に敬意を表して

当会には「至宝」または「人間国宝」と言われる大先輩がおられます。佐竹保雄先輩と湯口徹先輩です。それに続く第2の湯口と私が勝手に呼んでいるのが今回「多層階建て客車急行」を掲載された井原実さんです。彼の精密緻密な分析力は第一級と思っており、今回の論文も豊富なデータを解析して得たものだと思います。

この中で客車の編成が出てきますが我々世代には見飽きた客車でも、少し下がった世代には見たこともない車両が多いと思い、当時の客車急行がどんな客車で編成されていたかが分かればおもしろいかな、と考えアルバムから探し出しました。

★できるだけ多層建て客車急行「青葉」掲載の車両番号に近いものを選びました。
★改造・改番後の車両もあります。
★例によって、日時・場所はいい加減ですので(ここが井原さんと決定的にちがう所)各自が類推してお読みください。

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