ここはどこ?わたしはだれ?京都市電編 ②

しばらくぶりの再開です。
ここしばらく公用・私用でパソコンの前に座る時間が無く、その上スマホの態度が悪く、追放蟄居を申しつけて、新しいスマホに交換しましたが、アプリのインストールやデータのダウンロードなど、深夜作業が続いてバテました。

さあ、心機一転、再開します。

 

まだまだ続きます。

ここはどこ?わたしはだれ?京都市電編 ②」への5件のフィードバック

  1. ㉒ 四条烏丸交差点を右折し、七条へ向かう3号です。背景は東南角にあった富士生命保険で、大正の終わり頃には三菱銀行ができました。烏丸通の西がから東を向いて撮影されてます。大正初期化と思います。
    ㉓ 烏丸通を北上して、今出川通りを西へ向かう10?号です。烏丸以東の今出川線ができており、大正6年以降の撮影でしょう。同志社の建物が良く見えます。
    ㉕ 烏丸丸太町で撮影された30号です。ポールの向きを見ると、渡り線を使って折り返すようです。丸太町以北の烏丸通は狭く、拡幅前でしょうか? 奥に見える電車は京電かもしれません。丸太町以南は明治45年6月11日、北側は大正2年5月26日に開業しています。30号の屋根に国旗がありますので、明治45年6月11日の開業当日に撮影されたのでしょうか。
    ㉗ 四條御旅町を東へ走る41号です。方向幕は四條小橋のように見えますので、大正元年12月25日までに撮影されています。3階建ての山本洋傘店は河原町に近く、櫛の十三やさんは画面左手にあったと思います。
    ㉘ お手上げかと思いましたが、ひとつだけヒントがありました。烏丸今出川を西へ行った場所で、西を向いて撮影されています。烏丸七條行132号の右に、ちらっと見える丸い看板に「小山」の文字が見え、決め手になりました。今出川通りの北側にあった薬屋です。画面左奥が新町で道路が右に振っているのを確認できます。京都市電編①の岩佐商店の写真にも、丸い看板が写っています。
    ㉙ 堀川丸太町で出会った広軌1形と、京電堀川線の狭軌1形です。東北方向を向いて撮影されています。
    ㉚ 七条通を西へ走ってきて、大宮通で北へ向きを変える58号です。右端の電柱に『東寺道』の文字がありますので、七條大宮です。米手様のお店は…、まだ見当たりませんね。
    ㉑と㉖はお手上げです。こんなモンわかりません!
    ㉔は思案中です。もう少し考えさせてください。

  2. 紫の1863さん、驚きの調査力です!
    重澤先輩を説得して持ち出して下った宇出木さんの熱意にお応えできます。
    それにしても会員諸氏が反応しないのは古すぎるからでしょうか?それとも紫の1863さんや乙訓の老人の甥さんの調査力に怖じ気づいたからでしょうかね?
    とにかく、ありがたいことです。

  3. いくら考えてもわかりません。しかし、何も書かないままでは申開きができません。確たる証拠はありませんが、私の推理として読んでください。
    ㉑ 七条線の七條大和大路付近で、午後遅くに北を向いて撮影された。東山七条から鴨川に向かって、かなり急な下り坂が続いています。二階建ての建物(何かの会社でしょうか)の基礎が、左右でずいぶん高さが違います。20‰くらいあるでしょうか。勾配と光の当たり方で推測しました。
    ちなみに電車の番号は、歴彩館の画像で150番代のようです。
    ㉖ 45号が走るのは、ずいぶん広い通りに見えます。立派な家並の前には歩道もあります。この2点に注目し、該当するのは四条通と烏丸通以外にないと考えました。市電の一期線(大正初期に開業した路線)はおおむね9間幅ですが、四条通は12間、烏丸通は15間です。そのうち歩道があるのは12間と15間です。乙訓の長老様の「京都市電が走った街」119ページに載っていて、大変参考になりました。光の具合から四条通、それも烏丸-西洞院間ではないかと推理しました。
    先にも書きましたが、当てずっぽうです。間違ってたら謝ります。
    ㉔ これがわかりません。道路と建物を見ると寺町今出川下がるのようで、京電の離合場所があったところです。しかし、47号電車はどう見ても広軌1形で、矛盾します。他の場所を探してますが、いまだ見つけることができません。う~ん、これが一番の難問かもしれません。
    撮影の時期は、いずれも大正初期と思われます。

    • 推量でもかまいませんのでお願いします。
      訂正があればいつでも訂正して下さい。
      いままでの情報は全て記録しております。

  4. 紫の1863さま
    乙訓の老人の甥さま
    「ここはどこ?」の詳細な解明を毎回していただき、ありがとうございました。甥さまなど、用務で疲れられているのに、深夜に眠い眼をこすりながらの解答、頭が下がります。私も石井写真の存在を知っていましたし、沖中老人など先輩が「鉄道ファン」に初公開された時の衝撃は今でも覚えています。私もOB会の会誌に、烏丸今出川付近の写真の今昔対比もしましたが、私は写真を見ただけで満足感を覚えてしまい、観察することもありませんでした。お二人の、わずかな差異も見逃さない観察力には脱帽です。「ここはどこ?」シリーズが終わってから、ようやく写真とコメントを対比して、納得しました。これからも、コメント、よろしくお願いいたします。

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