北のC62 全記録 〈22〉

昭和46年3月25日 定番の上目名、倶知安へ

大沼公園のユースに泊まった翌日、列車を乗り継いで、またまた上目名にやって来ました。この日は天気も良く、山々もよく見えます。ただ最終日近くになって、やる気も失せてしまい、明確に撮影地も決めないまま、呆然と歩いて、お馴染みの151キロ地点まで歩きました。151キロ地点から先、目名寄りは、大規模な築堤になっていて、東を望むと、なだらかな傾斜地が広がっていて、目名の集落が見えます。西を望むと、冠雪した後志の山々がよく見えます。急に“山バックのロクニ真横”構図を思いつき、築堤をどんどん下がっていきます。雪があるので、泳ぐようにして、滑り降りて行くことができます。編成全体は捨てて、135ミリの望遠でC62重連をやや俯瞰できるところまで来ました。太陽の反射で暑いぐらいで、汗びっしょりでした。背後の後志の山々も、しっかり見えます。それをさらに強調するため、Y2フィルタを装着して、「ニセコ1号」の通過を待ちました。
例によって、野太い汽笛二声が、目名の通過の頃に聞こえて来て、ブラスト音がどんどん近づいて来る。この日も2号を先頭にした「ニセコ1号」が眼前を通過して行った。真横から見ると、ランボードの白線がずいぶん強調されていることが分かる。

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 北のC62 全記録 〈21〉

昭和46年3月24日 C62単機区間で写す

1000キロ離れた地で、山科人間国宝さんとの奇跡的な出会いに興奮して、夜行列車で眠りにつき、まだ明けやらない大沼駅に降り立ちました。今までは、山線の重連区間でしたが、今期では初めてC62の単機の区間で写すことになります。C62の運用を見ても分かるように、朝の通勤列車、大沼発函館行きの126列車が、C62の間合い運用で唯一、普通列車を牽くC62となります。ただ連日の強行軍、夜行列車の連続で、やる気、元気も失せて来ました。4時33分、寝過ごさずに何とか列車から降りたものの、待合室でまた寝てしまい、ハッと起きると外はもう明るくなっています。あわてて外へ出てみると、五稜郭区から単機で回送されてきたC6215が、安全弁を吹き上げて、モクモクと煙を上げて、側線で待機していました。
大沼7時05分発の126列車、雪に覆われた駒ヶ岳をバックにして、C6215が発車して行く。点灯したヘッドライトが格好のアクセントとなった。

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 北のC62 全記録 〈20〉

昭和46年3月23日 奇跡の遭遇?
北海道へ入って、ちょうど2週間が経ちました。均一周遊券の残りをフル活用して、C62重連に集中します。塩谷で撮った翌日は、上りを小沢、下りを二股で撮ることになりますが、忘れられない撮影、出会いを果たすことになります。倶知安ユースで泊まり、倶知安からひと駅乗って小沢へ向かいます。小沢は、夏に来たことはあるものの雪の時期は初めて、20‰勾配が続くものの、夏は、両側に山が迫って、引きのある撮影ができない線区ですが、雪があれば、自由に撮影地が選択できます。ただ、さすがにこの季節、豪雪地帯ながらも黒々とした道床が見えています。C62重連の魅力のひとつが、“人間に最も近い機械”を実感することだ。その機械を操るのが、二組の機関士・機関助士で、ナッパ服に帽子、ゴーグル、首に巻いた手ぬぐいと完全武装、まさに“男の世界”だった。その一端を表現したいと思い、少し前から編成全体だけでなく、キャブ周りも写すことにして、機関助士も、タブレットの授受でキャブ左に位置することが多く、二人のコンビネーションを公式側から狙うようにしてきた。あとはシチュエーションだが、幸い、雪が降り出し、135mmで狙ってみた。雪の斑点がボケて、にっこり笑ってくれた。“おい、頑張れよ”の励ましなのか、“こんな時に好きやなぁ~”の軽視なのか、それは分からない。とにかく、自分の存在に気が付いてくれたのは事実で、それがたいへん嬉しかった。 続きを読む

まだまだ続くよ、台湾鉄路への遠征その5

礁渓駅前の小籠包 なかなかいける

最終日の14日火曜日は、早朝に出て6時13分発の区間快速で八堵をめざす。その前に腹ごしらえだが、早朝6時から開いている小籠包の店でそそくさと朝食。65元にしてなかなか美味しい。

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 北のC62 全記録 〈19〉

昭和46年3月22日 初めての塩谷へ

「北のC62」、前回〈18〉では昭和46年3月20日のことを記しましたが、同時期に渡道した分が、あと5日残っています。昭和46年と言えば1971年で、あと一年でちょうど50年前の出来事になります。自分自身では、鉄道趣味人生で、最大の感動を味わったと今も思っているC62重連ですが、これだけ年月が経つと、その感動も薄れてきています。そのためにも、自分としては、最後の記録のつもりで記しておきたい思いがあります。しばらくご辛抱お願いします。

この日は初めて、塩谷に降り立ちました。塩谷と言えば、訪れる3、4年前のNHK朝ドラ「旅路」の舞台になり、小樽築港区の機関士だった主人公の家があったところとして描かれていました。現在、梅小路蒸気機関車館で保存中で、当時は小樽築港区で入換機だった9633が、ドラマの専用機のように出てきたものです。
塩谷は、小樽を出て、山線に入ってから最初の駅であり、背後には小樽の市街地が続いていて、自然のなかを行く重連は望めませんが、角度によっては海を入れることもできて、小樽から延々の20‰勾配が続き、煙はかなり期待ができます。

釧路から夜行鈍行に乗って小樽に着き、塩谷まで行って、撮影地に向かった。線路の山側は、家も無く、なだらかな傾斜地になっているので、自由にポジションを選ぶことができる。小樽を出てから、ずっと20‰、R300程度のカーブの連続で、煙の具合も良い。

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まだまだ続くよ、台湾鉄路への遠征その4

玉里客城1號橋 莒光602次

自強306次 DR3100型

瑞穂からは、7時19分の自強306次で玉里まで乗る。この列車は、ディーゼルカーのDR3100型、日本車両製である。まだまだ新しい車だが、全幹線電化完成後はどうなることだろうか、と思う。 続きを読む

まだまだ続くよ、台湾鉄路への遠征その3

翌1月12日は、前半が九曲堂で撮影、後半はひたすら移動となる。九曲堂では、レンタサイクルで約10分、高屏渓で鉄橋を渡る列車を撮る。戦前は東洋一の長さだったという下淡水渓橋梁からひたすら撮る。元の鉄橋は一部が水害で流されて、一部しか残っていないが公園の施設として残されている。この区間、九曲堂―六塊暦は、西部幹線と南回り線の優等列車が頻繁に走るので飽きることはない。 続きを読む

まだまだ続くよ、台湾鉄路への遠征その2

翌1月11日、宿を早めに出て、八堵駅に入線するEMU300の自強109次をホーム端で撮り、そのまま乗り込む。自強109次は、日曜日以外毎日運行しており、基隆を7時35分に出て、竹南から海線を経由し、終点の彰化には10時48分に着く。八堵ではがらがら状態だったが、台北から満員となり立客が出るくらいになった。竹南から彰化までは、山線と海線に分かれており、乗り間違えでもするとややこしい。

EMU300型 彰化

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学生時代最後の旅行

先に投稿した山形交通に続き1974年12月、翌年3月の卒業を目の前にした学生時代最後の北海道旅行の写真が出てきました。当時旅行の記録をつけていなかったので、購入した北海道周遊券を見ると網走と小樽の途中下車印が押してあります。改札で下車印を押さない駅も多く、記憶ではこのほか根室まで足を延ばしていました。目的は最後の蒸機の撮影で、このころ既に本州からは蒸機がなくなり、北海道でも室蘭本線の石炭列車の他は入替作業が中心で、旅客列車の定期運用は室蘭本線しかなかったのではと思います。 続きを読む

まだまだ続くよ、台湾鉄路への遠征その1

虎尾のサトウキビ列車

今年の1月前半の台湾鉄路撮影記をレポートします。新型コロナウィルス禍が世界中に拡がる前の記録です。台湾については、諸先輩方が詳細なレポートをこのデジタル青信号で何度も発表されており、とてもその域に達するものではありませんが、内容は、振り返りも込めて、また、この状況を乗り越えた先に再び訪台出来ればとの願いも込めて発表するものです。 続きを読む

廃止直前の山形交通

世間ではコロナ禍で不要不急の外出を避けるようにとのことで、私もコロナに感染してはいけない事情がある為、家でおとなしく過ごしています。主に学生時代に撮ったモノクロネガフィルムはデジタル化が終わっていたものの、ポジフィルムが200枚ほど手つかずで残っており、こちらのデジタル化を進めることにしました。駅撮りに近いものが多く、色も劣化していますが、50年近く前のカラー写真ということに免じて紹介させていただくことにしました。↑ 三山線羽前高松駅 続きを読む

 こんな時こそ 元気に活動したい ‥‥‥‥ ⑨

満開の桜を求めて、数日遅れの活動報告です。なかなか、開花と好天が一致しませんが、一瞬の晴れ間を求めて近場を訪れています。まず嵐山で開花を確認したあと、嵐電北野線へと向かいました。訪問した3月24日はまだ全体に三分咲き、おなじみ鳴滝~宇多野の桜のトンネルは、最適の撮影地が封鎖されたうえ、昨年までのアジア系撮影隊が今年は皆無のため、全く人影がありませんでした。嵐電では、この3月20日から、駅名改称、施設の新設などが行なわれましたので、桜を見ながらのウォッチングとしました。
何ヵ所かある嵐電の桜のなかで、毎年まず訪れる御室仁和寺駅の一本桜だ。

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46年前の加越能鉄道高岡軌道線

元祖特派員氏の万葉線訪問記に触発されて、万葉線の46年前の様子をご紹介します。昭和48年7月25日の撮影です。まずはデ5022から。

冬姿のまま夏を越す5022

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 こんな時こそ 元気に活動したい ‥‥‥‥ ⑦

富山の南北接続へは、現地へ前乗りして、まずはお隣の万葉線へ向かいました。万葉線は、好んで庄川や内川の鉄橋へ何度も行きましたが、行った日は曇りで、鉄橋上でのシルエットやギラリも期待できません。考えたら、高岡からは、すぐ万葉線に乗って奥のほうまで行ってしまうため、途中区間の観察ができていません。それなら、と氷見線に乗って、途中の「能町」で下車し、駅周囲の廃線跡を見てから、すぐ近くの万葉線「新能町」まで歩きました。近くのスーパーのイートインコーナーで遅めの昼食として、そこから北上して行きます。周りは工場地帯で、お世辞にも優れた風景ではありませんが、自分の足で歩いて発見に努めると、隣の富山の大賑わいに比べて、静かで穏やかな自分好みの風景を見い出した気持ちでした。
模型? いやいや現物の保存電車が、途中の「新吉久」のすぐ横に置かれていた。

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 こんな時こそ 元気に活動したい ‥‥‥‥ ⑥

“コロナ”に負けない“古老”の活動報告、続けます。昨日21日(土)、富山へ行き、路面電車の南北接続の営業初日を見てきました。富山駅の北側の富山ライトレールと、南側の富山地鉄の富山軌道線を、富山駅の高架直下で接続し、一体化する市の事業です。新幹線開業後、壁のように聳えていた高架を挟んで、南と北でほんの数十メートルにまで接近していた両線ですが、在来線の高架工事も済んで、ついに結ばれた訳です。機会を見て進捗状況を確認してきた私にとっても感慨深いものがあります。ましてや富山に縁の深い、どですかでんさんや、一時は富山におられた乙訓老人さんには、その思いも深いこととでしょう。当日は、状況に鑑み、終日全線無料の太っ腹企画や集客イベントは中止されましたが、多くの市民が集まり、乗車を楽しみました。古~いネタも良いものですが、新しい鉄道ができて、みんなが笑顔になる、つくづく鉄道ってエエなぁと思った一日でした。 市内の環状線を走って富山駅へ。岩瀬浜行きは渡り線を通るので、ポイントの表示を指差確認して入線していく。

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 こんな時こそ 元気に活動したい ‥‥‥‥ ⑤

ローカルネタ、しかもバス関連で失礼します。元気な趣味活動の報告とご理解ください。全国的には14日(土)が春の改正でしたが、京都では、市バスが20日(金)から新ダイヤとなります。旺盛な観光需要などに対応した増便・延伸など、利便性の向上が中心ですが、いっぽうでは径路が重複する三つの系統が廃止されることになりました。京都市バスは、分かりやすい「多便少系統」が叫ばれる時勢に逆行するかのように、改正のたびに、どんどん系統を増やしてきましたが、久しぶりに系統が縮小されることになりました。なかでも、中心部を回る「循環1号系統」、通称“100円バス”は、土休日のみ運転のため、本日が最終日となりました。自分なりに京都の交通の変化は記録しておきたく、京都の街に繰り出しました。
京都の“100円バス”は、2000年4月から四条→河原町→御池→烏丸のルートで運転を開始し、土日のみ42回/日運転されていた。乗客数は一日780人程度だったが、他系統でも代替できるところから廃止されることになった。バス代の高い京都では、100円はデビュー当時は衝撃的だったが、慣れてしまうと価値を感じなくなったし、それに一周しても4キロ足らずでは、歩いた方がずっと早く、利用価値は低かった。

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 こんな時こそ 元気に活動したい ‥‥‥‥ ④

明後日あたりに寒波が到来と報じていますが、ことしは記録的な暖冬で終わりそうです。でも富士山に関しては、例年どおりの冠雪があったようです。いつの時代も富士山は憧れです。とくに、日常的に見ることができる首都圏の在住者より、めったに見られない関西人のほうが、潜在的な憧れを抱いているような気もします。ことし1月、東のほうで用事を済ませて、翌朝、のんびり帰ろうかと思って普通列車に乗り込むと、窓に飛び込んできたのが、雪を抱いた富士山でした。急遽、予定変更、結局は陽が暮れるまで、定番撮影地3ヵ所を歩き回り、その姿を拝んだ一日となりました。
最初に行ったのは、伊豆箱根鉄道駿豆線の三島二日町から南へ歩いた地点、ここは以前来たものの、全く富士山が見えず、悔しさのあまり何も撮らずに戻って来たところだ。それだけに冠雪した富士山を見て感激、しかも、最初に通過したのが、今回の改正でも生き延びることになった185系「踊り子109号」。

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 こんな時こそ 元気に活動したい ‥‥‥ ③

“阪堺線”と言えば、初詣で活躍する旧型車は有名ですが、そのほかの時期にも通うことが多くなりました。以前は恵美須町から出ている阪堺線の寂れた雰囲気が好きで、北天下茶屋などへよく行ったものですが、いかんせん乗客減で本数も減ってきて、日中は24分ヘッド、もはや路面電車とは言えない間隔になりました。いっぽう、天王寺駅前から出る上町線は、阿倍野・天王寺の再開発事業も終わって商業施設への乗客も増えて、改正のたびに増発されて、日中は6分ヘッドの運転となりました。自分好みの撮影地も多いのですが、なかでもハマっているのが、あべのハルカスとのコラボです。本欄でもWAKUHIROさんらが発表された写真が刺激になったのがきっかけです。東京に勝てるものが何もない大阪ですが、今のところ高さ日本一を誇っているのが、あべのハルカス、まもなく、その座も東京に奪われるようで、今のうちに日本一高いビルと現役最古の電車が走る阪堺線を、との思いで通っています。
高いだけあって、ハルカスは遠くからでも望むことができるが、できるだけ膝元で大きく取り入れたい。そこで選んだのが「松虫」、ここは、あべの筋の併用軌道から専用軌道に入るところにあり、クルマにも邪魔されることも少なく、その全容を収めることができる。午後の遅い時間帯から、夕景、夜景を楽しんだ。

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 こんな時こそ 元気に活動したい ‥‥‥‥ ②

終端の小さな駅が、日没とともに、はなやかな光彩に包まれた。

叡山電鉄の八瀬比叡山口駅で、毎年冬に行なわれている“イルミステーション”に行って来ました。開業当時の面影を残す、八瀬比叡山口の駅舎をはなやかなイルミネーションで飾るイベントで、12月から2月までの開催で、ことし5回目、冬の叡電では定番行事となりました。ただ、きらびやかな構内も、平日の夕方とあっては人影も見えず、ただ老人が一人だけ走り回って必死にカメラを向けているのでした。

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 こんな時こそ 元気に活動したい ‥‥‥‥ ①

深刻な事態が続いています。クローバー会の活動も影響を受け、私のまわりの行事・イベントも中止・延期に追い込まれています。感染が早く収束し、以前の日常に戻れるよう願うばかりです。この事態に及んでの趣味活動は、団体での行動は自粛すべきでしょうが、前向きな姿勢を失わないためにも、個人の活動は元気に取り組みたいものと思っています。
私もデジ青投稿を、老齢人生の第一の使命と考えて投稿を続けていますが、家に引き籠って文字を打ち込み、カビの生えたモノクロ写真を載せただけでは、決して元気さが伝わりません。もっと明るく、リアルで空気感の伝わる写真も載せて、多少なりとも誌面から元気さを感じてもらいたいと、最近の撮影記録を、しばらく紹介させていただきます。少し前に岡山へ行って、岡山電軌を撮ってきた。目的はこれ、東武日光軌道線から来た3000形のうち、日光線の塗色に復刻された3005号だ。岡電では予備車的な存在で、冷房も無いところから、秋冬春に月に一回だけ運転される。

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