学生時代最後の旅行

先に投稿した山形交通に続き1974年12月、翌年3月の卒業を目の前にした学生時代最後の北海道旅行の写真が出てきました。当時旅行の記録をつけていなかったので、購入した北海道周遊券を見ると網走と小樽の途中下車印が押してあります。改札で下車印を押さない駅も多く、記憶ではこのほか根室まで足を延ばしていました。目的は最後の蒸機の撮影で、このころ既に本州からは蒸機がなくなり、北海道でも室蘭本線の石炭列車の他は入替作業が中心で、旅客列車の定期運用は室蘭本線しかなかったのではと思います。↑ 70年代初めまでの道内時刻表(’71年9月号)には蒸機牽引列車は蒸気機関車のイラストが描かれていました。ところが、74年12月号の道内時刻表にはこのマークはなくなっていました。

12月13日に目的の室蘭本線、夕張線を訪れ、追分から滝ノ上あたりで撮影しました。この日は快晴に恵まれ雪も少なく1日撮影の後札幌に戻りました。↑ D51が曳く石炭列車、編成は短くなりましたが、この年はまだ三菱大夕張鉄道も動いていました。↑ 追分駅、岩見沢行の225レではないかと思います。この時もう蒸機はC57,D51,9600の3形式だけでした。↑ 最初の写真と同じ夕張線川端ー滝ノ上間で撮影。夕張線の追分―夕張間は10往復あり、急行こそなくなりましたが札幌直通の気動車がありました。↑ 札幌市電西4丁目、この後風も出てきて夜には暴風、とても外は歩けなかったのを覚えています。

翌14日は一転大雪、多分低気圧が接近したのでしょう。午後から大荒れの天気となり、この日稚内に行くつもりで乗る予定の「利尻」は運休となりました。宿もなく、仕方なく唯一動いていた室蘭線の「すずらん4号」で函館に行きました。この後はもう帰る日が迫っていたので稚内はあきらめそのまま帰途についたようです。帰ってから最後の卒論の仕上げとなりましたが、この年は大学紛争で(田辺町移転か工学部の毒垂れ問題のどちらかで)いつごろからか学内が封鎖され、卒論の審査はどこか別の場所であったのではと思います。卒業式もなく、卒業証書はゼミの教授からどこかで手渡され、卒業の実感がわかないまま、4月からの会社生活に入り、その後40年近く鉄道趣味とは離れた生活を送ることとなりました。
今回カラーフィルムのデジタル化を進め、ポジに続き、ネガフィルムも鉄道関係のものは一応完成しました。ところがネガの方は、1975年以降のもので鉄道に関する写真は10本余りしかありませんでした。この空白の期間、少しでも趣味を継続しておればよかったといまさらながら後悔しました。

学生時代最後の旅行」への6件のフィードバック

  1. 45年前のカラー写真とは思えない綺麗さで、保存状態が良かったのだろうと感心しました。実家の押し入れに入れていたネガは40年も経っていないのに、退色して悲惨でした。北海道時刻表に蒸気牽引の表示があったのは初めて知りました。

    • コメントありがとうございます。ネガの原版は退色があり、スキャナーの退色補正モードでスキャンしました。本当なら更に編集ソフトでいろいろ調整が必要なのですが、取りあえずデジタル化ということでそこまでやっていません。
      昔の時刻表見ると、全国版含め、弘済出版のものにはSL記号がついていましたが、交通公社のものはありませんでした。普段は交通公社の時刻表を使っており、撮影の時は弘済出版のものを買っていたようです。

  2. 大津の86様
     学生最後の旅、北海道での思い出のシーンの数々、当時の状況がよく伝わってきますね。蒸気も然り、札幌市電も雪だらけで当地の厳しさが。
     特に前面が雪だらけの気動車5連、天気といい、国鉄色といい、今では見られないシーンだけに、余計に旅情を感じました。

    • 一昨年廃止前の夕張線を訪れましたが、単行列車が一日に5往復だけ、車内は数人と言った状態で隔世の感がありました。最近の地方路線は単行で、それもロングシートの車両が多く、旅情がなくなりました。

  3. 大津の86様
    稚内行ギブアップ残念でしたね。カラーもよく出ています。ブギウギさんやマルーンさんと同じような感想を持ちました。人生長いことやっていると撮影等やっていない空白期間は誰もあると思います。蒸機牽引列車の時刻表表示は懐かしいですね。C5744はカラーなのか白黒なのか一見するとどちらかなという写真ですが、雪まみれでいいですね。おおらかな旅を楽しまれたのか撮影記録がないのはどうしたことでしょう。

    • 準特急様ご無沙汰しております。
      追分で撮った時は曇っていたようで、モノトーンの写真となり、このシーンの次の川端ー滝ノ上間では快晴となって晴天の下撮影ができました。
      学生時代メモ程度の行程は残していましたが、そのメモは2度の引越でどこかに行ってしまいました。頼りとなるのは残っている当時の切符と、青信号の記事位です。時刻表など見て振り返ってみましたが、記憶はあまり宛になりませんでした。

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